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| 店名 |
Paul Bocuse
|
|---|---|
| ジャンル | フレンチ |
|
予約・ お問い合わせ |
(+33) 0472429090 |
| 予約可否 |
完全予約制 |
| 住所 |
フランス40 Quai de la Plage 69660 Collonges au Mont d'Or |
| 交通手段 |
リヨン市内から車で30分 |
| 営業時間 | |
| 予算(口コミ集計) |
|
| 支払い方法 |
カード可 |
| 駐車場 |
有 |
|---|---|
| 空間・設備 | 席が広い |
| 利用シーン |
こんな時によく使われます。 |
|---|---|
| ロケーション | 一軒家レストラン |
| ホームページ | |
| 初投稿者 |
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フランスのリヨン郊外にあるこの美食の殿堂を訪れるのは今日で3度目。
今回、約20年もご無沙汰しておきながら、リヨンでの仕事もないのにパリからわざわざTGVでやって来たのは、1月に亡くなったポール・ボキューズ氏に献杯するため。
というより、今後新たなオーナーやシェフによっていろいろ変わる前に、もう一度ポール・ボキューズ氏直伝の料理を味わいたかったというのが本音。
この20年間の大半、もし、ボキューズの料理が食べたいと思ったら、基本的には青山の「ジョエル」に行けば完ぺきではなくても欲求は満たされた。
ボキューズ氏を敬愛し、忠実に彼の料理を再現し続けたジョエル・ブリュアン氏の店だ。
ただ、彼が青山の店を閉めてまで臨んだ東京ミッドタウンの店を志半ばで引退を余儀なくされて、以降日本ではボキューズ氏直伝の料理は食べられなくなった。
「ひらまつ」グループが掲げる「ポールボキューズ」ブランドもあるが、ボキューズ氏の薫陶を受けていない料理人が作るポール・ボキューズの料理っていうのも・・・。
という事で、「最後の晩餐」のつもりでテーブルに着いた。
メニューはもう決めてある。
「トリュフスープVGE」と「すずきのパイ包み焼きソースショロン」
いずれも、この店を代表するスペシャリティだ。
他にも食べたいものはあるものの、帰りのパリ行き最終のTGVの時間も考えてこれだけに留めた。
でも、過去2回の訪問の中で忘れられないのが、初めての時にアミューズで出てきた「マグロのソテー」。
焼き過ぎるとパサパサになるけど、生焼けだと独特の鉄臭さが出るマグロながら、ひと口食べてみたら、生臭さは全くなく、かと言ってパサパサでもなく、例えるなら中国料理の牛肉のステーキのようなツルっとした歯触りと柔らかな食感が信じられなかった。
私はギャルソンに「これは本当にツナか?」と尋ねたぐらいだった。
聞けば、この頃(30年ほど前)ボキューズ氏は年に2度は日本に来ていて、滞在中は日本料理店で勉強していて、この「マグロのソテー」も日本で思いついた技法なのだそうだ。
今日のアミューズは残念ながら「マグロ」ではなかったが、「フォアグラのポワレ」もさっぱりとしたやや甘めのソースが食欲をそそる。
「トリュフスープVGE(ヴァレリー・ジスカールデスタン)」
ここへ来ると必ずオーダーしているが、何度食べてもパイを割った時のトリュフの香りはこの世のものとは思えない。
近くのテーブルにまでトリュフの香りで包まれる。
「すずきのパイ包み焼きソースショロン」
ここで頂くのは2度目だが、淡白なスズキとは思えないほど芳醇な風味を湛えたフワッフワの身に軽いシナモンの香りがアクセントになったそのソースは重さを全く感じさせない。
堂々たるスペシャリティだ。
連れのフランス人はその後チーズをバクバク、デザートワゴンからはあれもこれも状態。
彼にとっては初めてのボキューズを存分に楽しんでいるようだった。
コーヒーとお菓子を食べながら食後の余韻に浸る。
過去2回は、ここで御大ボキューズ氏の登場となるところだが・・・。
初めて訪れた時、私は大阪に住んでいて、大阪の然るべきルートから予約したからか、ボキューズ氏自らあいさつにきてくれた。
当時私は「ローズルーム」→「ル・ランデブー」の故横田シェフと懇意にしていたのでその話をすると、「ヨコタはここで一緒に働いていたんだぜ。前回日本に行った時もヨコタと京都の料亭を巡ったんだ」と言っていた。
約10年後の2度目の訪問では、ジョエル・ブリュアン氏の事を問われ「時々店に行っている」と言うと「彼は日本が好きになってしまった」と笑いながら答えていたのが印象的だった。
今回は、駅までのタクシーが来るまでの間、メートルのオルボワンさんとボキューズの思い出話に花を咲かせた。
ボキューズ氏は「ヌーベルキュイジーヌ」の旗頭として世に出てきたが、晩年は「伝統への回帰」と言われた。
オルボワン氏は、逆にそんなボキューズ氏の「伝統の継承」に強いシンパシーを感じたという。
思えば、ボキューズ氏と同じく「ヌーベルキュイジーヌ」の旗頭のひとりで昨年6月に亡くなった「巨匠」アラン・サンドランス氏も、晩年は三ッ星を返上してまで「シンプルで美味しい料理」に店の舵を切った。
「複雑な工程」、「真空調理」、「分子ガストロノミー」・・・、継承と進歩が有ってフランス料理は発展する。
「進歩の役割を担った者は、いつの日か継承に責任を持たなければならない」とオルボワン氏は言う。
「ホント、その通りなんだよな」。
フレンチに関しては新しいものに飛びつき、クラッシックを「古くさい」「重い」と一刀両断してしまう日本の料理評論家に聞かせたい話だ。
と同時に、このような人がメートルであるなら「最後の晩餐」などと悲観的になる必要はないだろうと感じた。
この時、彼が店のオリジナルの「キール」を持ってきてくれた。
私が毎回食前酒としていただいていたものだ。
私たちは3人でボキューズ氏に献杯した。
余談だが、帰り際にオルボワン氏が発した言葉は、やはり「オルボワール」だった。