1回
2012/07 訪問
蟹盡(かにづ)くし 宴會(うたげ)も酣(たけなは) 燒蟹(やきがに)を ほぐして啖(くら)ひ 舐(ねぶ)り貪(むさぼ)る
活花(いけばな)
先附(さきづけ)
先附(さきづけ)の高脚盞(ぐらす)
輪島塗(わじまぬり)の汁椀(しるわん)
汁椀(しるわん)=鮑(あはび)、唐墨(からすみ)、銀耳(しろきくらげ)、茄子(なす)
宮津(みやつ)の鳥貝(とりがひ)
若布鹽(わかめじほ)
土佐醤油(とさじやうゆ)
鳥貝(とりがひ)指身(さしみ)
炙鳥貝(やきとりがひ)
甘鯛(あまだひ)と石鯛(いしだひ)の指身(さしみ)
麥茶(むぎちや)
鱸(すゞき)鹽炙しほやき)
万願寺唐辛子(まんぐわんじたうがらし)
万願寺唐辛子(まんぐわんじたうがらし)、賀茂茄子(かもなす)、雉子羽太(きじはた)
万願寺唐辛子(まんぐわんじたうがらし)、賀茂茄子(かもなす)、雉子羽太(きじはた)
香(かう)の物(もの)
阿波牛(あはうし)炙(あぶ)り、とも三角(さんかく)
青梅甘露煮(あをむめかんろに)吟醸酒粕(びんじやうさけかす)載せ
猪口(ちよこ)に玉薤(さけ)
猪口(ちよこ)に玉薤(さけ)
赤貝(あかゞひ)に蕨(わらび)
鯛白子(たひしらこ)と山獨活(やまうど)の椀(わん)
大葉擬寶珠(うるい)
甘野老(あまどころ)
片栗(かたくり)
片栗(かたくり)の花(はな)
甘鯛(ぐじ)
鮑(あはび)
梅醤油(むめじやうゆ)
肝醤油(きもじやうゆ)
吭黒(のどぐろ)燻製(くんせい)
〆鯖(さば)
櫻鱒(さくらます)
和蘭芥子(くれそん)
鍋(なべ)に和蘭芥子(くれそん)
櫻鱒(さくらます)に和蘭芥子(くれそん)の鍋(なべ)
鍋(なべ)に筍(たけのこ)
香(かう)の物(もの)
魳(かます)の土鍋飯(どなべめし)
筍(たけのこ)の椀(わん)
蓬(よもぎ)氷菓子(そるべ)
客席(きやくせき)
カウンタ席(せき)
燈(あかり)
利休箸(りきゆうばし)
鰤(ぶり)熟(な)れ鮓(ずし)に鰤刺身(ぶりさしみ)
骨董品(ふるだうぐ)の茶碗(ちやわん)
茶碗蒸(ちやわんむ)し
平鱸(ひらすゞき)螺(つぶ)
鰹(かつを)
但馬(たじま)津居山蟹(つゐやまがに)
津居山蟹(つゐやまがに)蟹蛭(かにびる)
解體(かいたい)の後(のち)
半生(はんなま)の脚肉(あしにく)
爪(つめ)
爪掃愁箒(つめざけ)
掻(か)き揚(あ)げ
蕎麥(そば)
蟹未醤(かにみそ)
蟹鍋(かになべ)
海老芋(えびいも)
香(かう)の物(もの)
未醤汁(みそしる)
蟹飯(かにめし)
林檎(りんご)の氷果(そるべ)
2015/04/26 更新
【2012-07-19追記】:
此度(こだみ)は"鳥貝(とりがひ)盡(づ)くし"の晝飧(ひるげ)。
最初(いやさき)に麥茶(むぎちや)とおぼしき冷たき水にて咽喉(のみど)を潤(うるほ)す。
傍(かたは)らのには"婦人畫報"なる繪草紙(ゑざうし)。
勿驚(おどろくなかれ)、當家(こちら)と夕飧(ゆふげ)の『しのはら』が同じ頁(ぺいじ)に竝ぶ。
先づは玻璃盞(ぐらす)なる"海膽(うに)"、"蕃茄(とまと)"、"西葫蘆(ずッきいに)"。
次いで"汁椀(しるわん)"。
その蓋(ふた)を檢(あらた)むるに、藥玉(くすだま)あしらひたる輪島塗(わじまぬり)。
中(なか)には蒸鮑(むしあはび)、唐墨(からすみ)、銀耳(しろきくらげ)。
扨(さて)、その次に控(ひか)へしは待ちかねたる宮津(みやつ)の"鳥貝(とりがひ)"。
舞鶴(まひづる)の鳥貝(とりがひ)は築地市場(つきぢ)でも夙(つと)に名高(なだか)く、
名(な)のある鮨屋(すしや)にしてこれを扱(あつか)はざるはなし。
あるじに據(よ)らば、宮津(みやつ)の鳥貝(とりがひ)は舞鶴(まひづる)をも凌ぐと、、。
そもそもこの貝を"鳥貝(とりがひ)"と號(よびな)すはその形状(かたち)にあり。
殼(から)より取出(とりいだ)すに、その容(さま)、鳥の横顏(よこがほ)に似(に)る。
憐(あはれ)、貝は已(すで)に剥(む)かれて貝殼(かひがら)の中(なか)に畏(かしこ)まる。
これを堪能(あぢは)ふに、指身(さしみ)と炙物(やきもの)ゝ二種(ふたくさ)。
就中(わきても)珍奇(めづら)しきは鳥貝(とりがひ)の肝(きも)。
豫(かね)てその美味(うまきあぢ)は音(おと)に聞(き)くところなれど、
口(くち)にするのも目(め)にするのもこれが初(はじめて)。
色、鮑(あはび)に似て、味、皮剥(かはゝぎ)に迫り、鮃(ひらめ)を髣髴(おもはす)。
"甘鯛(あまだひ)が指身(さしみ)"は生(なま)に見えて生(なま)にあらず。
その身、元來(もとより)尤(いと)柔(やは)らかく水氣(みづけ)に富むものなれば、
鹽氣(しほけ)を感(かん)じさせぬほどに振鹽(ふりじほ)を施(ほどこ)す。
鹽(しほ)は餘所(よそ)の鮓店(すしや)・割烹(かッぱう)より聊(いさゝ)か淺目。
扨(さて)、「今年(ことし)は炙(や)き倒(たお)して、、」と胸を張る鱸(すゞき)。
皮には細(こま)やかなる庖丁(はうちやう)が施(ほどこ)され、みごとなる炙目(やきめ)。
しかはあれど、鱸(すゞき)は鱸(すゞき)。
如何(いか)なる手煆煉(てだれ)たりとも、雀(すゞめ)は鷹(たか)たり得(え)ず。
蛤(はまぐり)の火入(ひい)れは完璧(かんぺき)。
火が通(とほ)りてなほ、隅々(すみずみ)まで柔(やは)らかさを保つ素晴(すば)らしさ。
その技藝(わざ)、名(な)のある鮨職人(すしゝよくにん)のそれに似(に)るも、
俗(よ)に云ふ"漬込(つけこ)み"とは異(こと)なる。
この界隈(あたり)で"赤水(あかう)"と號(よびな)す"雉子羽太(きじはた)"。
築地(つきぢ)では"小赤豆羽太(あづきはた)"とも云ひ、羽太(はた)の中でも最高價(さいかうか)。
本朝(わがくに)ばかりか、震旦(もろこし)にてもこれを大(おほ)いに珍重(おもん)ず。
その身、色白(いろしろ)く、口味(あぢ)と締(しま)りは鰒(ふく)にも迫(せま)る。
【2012-05-03追記】:
春も酣(たけなは)なれば、それに相應(ふさは)しき海山(うみやま)の幸(さち)盡くし。
主人(あるじ)、裏山(うらやま)に菜を摘み、前濱(まへはま)に魚(うを)を求(もと)む。
最初(いやさき)に掃愁箒(さけ)をもらひ、舌を洗(あら)ひて吭(のみど)を潤(うるほ)す。
おもむきある杯(さかづき)には金繼(きんつ)ぎがほどこされ、あぢはひ一入(ひとしほ)。
赤貝(あかゞひ)と蕨(わらび)の小皿(こざら)に續(つゞ)き汁物椀(しるものわん)。
椀種(わんだね)は鯛白子(たひしらこ)と山獨活(やまうど)に丸餠(まるもち)。
鯛(たひ)は雌(めす)に比(くら)べ雄(をす)が少なく、白子(しらこ)をみるも稀(まれ)。
その溶(と)くるがごとき口味(あぢ)は勿論(いふもさら)なり。
山獨活(やまうど)は土より纔(わづ)かに伸(の)びたところをすかさず摘み採りしもの。
皮(かは)を剥(む)かず、薄(うす)く削(そ)ぎてこれを用(つか)ふ。
椀(わん)の蓋(ふた)を去り、手に拿(も)ち、これを口近(くちゝか)くに寄するや、
頓(にはか)に、馨(かぐは)しき香(かをり)鼻竅(はな)を穿(うが)つ。
吸口(すひくち)に敢(あ)へて時季(じき)の木(き)の芽(め)を用(つか)はざるは、
その力量(うで)慥(たしか)なる證(あかし)。
木の芽の強(つよ)き香(かをり)は獨活(うど)の芳香(かぐはしきかをり)を損(そこ)なふ。
實(げ)に、これほどに魂(たましひ)を搖(ゆ)さぶる獨活(うど)も稀有(まれ)。
とは云へ、何(なに)より素晴(すば)らしきは出汁(だし)。
以爲(おも)ふに、出汁(だし)は椀種(わんだね)を引(ひ)き立(た)つる黒衣(くろご)。
それを辯(わきま)えず妄(みだ)りに強(つよ)き出汁(だし)を引(ひ)くは、
主客(しゆきやく)・天地(あまつち)を逆(さかしま)にするに等(ひと)し。
加旃(しかのみならず)、その庖丁(はうちやう)捌(さば)きは、もはや神業(かみわざ)。
およそ蕎麥切(そばきり)の巧拙(よしあし)は、蕎麥(そば)を口(くち)にするまでもなく、
葱(ねぎ)の小口切(こぐちぎ)りを檢(あらた)むれば自明(おのづとあきらか)。
かゝる鋭き切味(きれあぢ)を誇るも、"本燒(ほんやき)"ならで"霞(かすみ)"とか。
次いで、野山(のやま)に分け入り手づから摘(つ)みたる菜蔬(あをもの)。
皿には"大葉擬寶珠(うるい)"、"甘野老(あまどころ)"、"片栗(かたくり)"の三品(みしな)。
"甘野老(あまどころ)"なる菜は見るも聞くも啖(くら)ふもこれが初(はじめて)。
"片栗(かたくり)"には紫色(むらさきいろ)のやむごとなき花瓣(はなびら)も、、。
菜の色、碧(みどり)をなし、齒應(はごた)へは硬からず柔(やは)らかに過(す)ぎず。
心(こゝろ)野山を驅け、春の息吹(いぶき)を存分(こゝろゆくまで)堪能(あぢは)ふ。
あるじにその旨を傳(つた)ふるや、「たゞ湯掻(ゆが)きたるばかり」と鰾膠(にべ)もなし。
やはり只者(たゞもの)にあらず。
"つくり"、すなはち"刺身(さしみ)"は"甘鯛(ぐじ)"に"鮑(あはび)"。
"鮑(あはび)の口"なるを啖(くら)ふは生(む)まれてよりこれが初(はじめて)。
藥味(やくみ)は伊豆(いづ)の山葵(わさび)。
各々(おのおの)梅割り醤油(じやうゆ)、鮑(あはび)肝醤油(きもじやうゆ)にて味はふ。
この日の白眉(はくび)は"吭黒(のどぐろ)燻製(くんせい)"。
巷(ちまた)に溢(あふ)るゝ所謂(いはゆる)"燻製(くんせい)"とは大いに異(こと)なり、
櫻(さくら)の木屑(きくづ)以(も)て甚(いと)輕(かろ)く燻(いぶ)したるもの。
一噛みするや、脂(あぶら)溢れて馥郁(ふくいく)たる香(かをり)四方(よも)に漂ふ。
生(なま)かと見紛(みまが)ふばかりの火加減(ひかげん)にも脱帽(だつぼう)。
"喉黒(のどぐろ)"、すなはち"赤鯥(あかむつ)"の燒物、干物(ひもの)ゝ類(たぐひ)は、
いくたびと口にせし前例(ためし)こそあれ、これほどの佳味(よきあぢ)は初(はじめて)。
櫻にせよ藁(わら)にせよ、煙(けぶり)で燻すは魂(たましひ)を奪ふ妖刀(えうたう)。
惜(を)しむらくは、その身(み)のみにて首(かうべ)なかりしこと。
東道(あるじ)に據(よ)らば、
「まかなひとなすが常にて、わが娘(むすめ)嗜(この)みて目玉を啖(くら)ふ」と、、。
滿三歳(まんさんさい)にしてその美味(うまきあぢ)を知るとは末恐(すゑおそ)ろしき限り。
"〆鯖(さば)"も驚(おどろ)きの品(しな)。
甚(いと)淺(あさ)き〆と思(おも)ひきや、さにあらず。
輕(かろ)く鹽(しほ)を打ち丸一日(まるいちにち)置き、酢に小半晌(こはんとき)。
修業先(しゆげふさき)とは異(こと)なる獨自(おのが)流儀(やりかた)とか。
そもそも"旬(しゆん)"なるは、必(かなら)ずしも時季(じき)に依(よ)らで、
專(もつぱ)ら己(おの)が眼力(まなこ)に頼(たよ)る。
これ、この時季(じき)敢へて眞鯖(まさば)を用(つか)ふ所以(ゆゑん)なり。
この地に根差し、習得(ならひおぼ)へし技藝(わざ)すら反古(ほご)にするは見上げたもの。
"櫻鱒(さくらます)"と"和蘭芥子(くれそん)"の鍋(なべ)また、
旨味(うまみ)が汁(しる)に逃げ、菜の萎(しを)るゝ前(まへ)に引き揚げ、
これを吾儕(わなみ)が前(まへ)に供(いだ)す。
火を巧妙(たくみ)に操る者(もの)、能(よ)く人心(ひとのこゝろ)を掴(つか)む。
この出汁(だし)に筍(たけのこ)、
それもみづから鍬(くは)を持ち掘出(ほりいだ)せしを滲(ひた)してこれを堪能(あぢは)ふ。
魳(かます)の土鍋飯(どなべめし)には香(かう)の物(もの)。
尤(いと)細(こま)やかなる味はひの"山蕗(やまぶき)"には目(め)から鱗(うろこ)。
最後(いやはて)は"蓬餠(よもぎもち)"を髣髴(おもはす)"氷菓子(そるべ)"にて〆。
話、海鰻(はむ)の骨切(ほねぎ)り、鰹節削(かつをぶしけづ)りの刄(は)から、
銀杏樹(いちやう)の俎(まないた)、煤竹(すゝだけ)の利休箸(りきゆうばし)に及び、
名殘(なごり)を惜(を)しみつゝ辭別(いとまごひ)。
【2011-11-29記】:
ありがたき誘ひありて、紅葉狩(もみぢが)りで賑はふ京師(みやこ)を經て丹後(たんご)に。
此度(こだみ)の狙(ねら)ひは解禁(かいきん)間(ま)もなき"楚蟹(すはえがに)"。
生憎(あやにく)名にし負(お)ふ"間人蟹(たいざがに)"は手に入るゝこと能(あた)はで、
近くの但馬(たじま)津居山(つゐやま)の湊(みなと)に揚がりし楚蟹(すはえがに)"。
店鋪(みせ)は亭主(あるじ)の家(いへ)。
見事なる普請(ふしん)なれど、賈内(なか)想定外(おもひのほか)に近代的(あらたし)。
照明(あかり)、器(うつは)、卓(てえぶる)は勿論(いふにおよばず)、
厠(かはや)の花(はな)一輪(いちりん)に至るまでをさをさ怠慢(おこたり)なし。
櫃臺(かうんた)は欅(けやき)の一枚板(いちまいゝた)。
檜(ひのき)は水に強く、燈火(あかり)を柔(やは)らかに照り返す材木(き)。
とは云へ、今や木曾(きそ)ですら佳(よ)きものは稀(まれ)にて、
厚く長き柾目板(まさめいた)ともなると黄金(こがね)にも等(ひと)しき高價格(たかね)。
古來(いにしへより)欅(けやき)は、
箪笥(たんす)廊下(ほそどの)に用ふが風習(ならひ)なれど、 これもなかなか。
檜(ひのき)に較(くら)べて色淺黒く、鋪内(なか)の暗きが玉(たま)に瑕(きず)。
眼前(めのまへ)には俎(まないた)、右(めて)には紀州備長炭が熾(おこ)る。
主人(あるじ)は鬚面(ひげづら)の四十(よそぢ)前(まへ)。
倩(つらつら)その面(おもて)を眺め、眼精(まなこ)の麗(かゞや)きを窺(うかゞ)ふに、
現今(いま)をときめく伊太利料理人(いたりあれうりにん)のごとき風貌(つらがまへ)。
脇(わき)に控(ひか)へ彼(かれ)を補佐(たす)くるは御内儀(おかみ)に母堂(はゝおや)。
この夜(よ)の蟹(かに)を主(おも)とした獻立(こんだて)は、
"先附(さきづけ)"、"茶碗蒸(ちやわんむ)し"、"造(つく)り"、""、"燒蟹(やきがに)"、
"口直(くちなほ)し"に蕎麥(そば)と揚げ物を挾(はさ)み、"蟹未醤(かにみそ)"、
"蟹鍋(かになべ)"、〆に"水菓(みづぐわし)"、合はせて大約(およそ)二萬圓(にまんゑん)。
"先附(さきづけ)"は"鰤(ぶり)の熟(な)れ鮓(ずし)"。
鰤(ぶり)の姿形(すがたかたち)も見えぬほどに長期(ながら)く漬けられたる貨物(しろもの)。
どれが飯(いひ)やら鰤(ぶり)やら見當(けんたう)も附(つ)かず、
さりとて近江(あふみ)鮒鮓(ふなずし)の飯(いひ)とも異なる風味(あぢかをり)。
"栗(くり)とマッシュルームの茶碗蒸(ちやわんむ)し"にも吃驚(びつくり)。
先(ま)づは器(うつは)。
金繼(きんつ)ぎ施(ほどこ)されたる味はひ深(ぶか)き骨董品(ふるだうぐ)。
茶碗蒸(ちやわんむし)に胡椒(こせう)と云ふ摩訶不思議なる組合はせ。
"造(つく)り"は、平鱸(ひらすゞき)、螺(つぶ)に鰹(かつを)叩(たゝ)き。
土佐醤油(とさじやうゆ)とぽん酢醤油(ずしやうゆ)の二種(ふたくさ)。
戻り鰹(がつを)の脂滲(にじ)みて、驚(おどろ)くほどぽん酢(ず)に馴染(なじ)む。
組(く)み合(あ)はせは思(おも)ふが儘(まゝ)。
"津居山蟹(つゐやまがに)"は數(かず)ある"楚蟹(すはえがに)"の一(ひとつ)。
居多(あまた)蟹蛭(かにびる)が甲羅(かふら)を覆(おほ)ひ、
僕等(やつかれら)をして上質(よ)き蟹(かに)なるを窺(うかゞ)はしむ。
備長炭(びんちやうたん)による炙り方を變(か)へ、次々(つぎつぎ)目の前に、、。
最(もつと)も印象(いんしやう)深(ぶか)きは半生(はんなま)の脚肉(あしにく)。
噛み締め舐(ねぶ)るほどに甘味(あまみ)口中(くちのなか)へと奔(ほとばし)る。
その滑らかにして瑞々(みづみづ)しき味覺(あぢはひ)は言舌(ごんぜつ)に盡くしがたし。
身離れがよく、出汁(だし)の素晴(すば)らしき蟹鍋(かになべ)これに次(つ)ぐ。
蟹未醤(かにみそ)は玉薤(さけ)を加へ、炭火(すみび)にかけてゆるりと炙りたるもの。
すこぶる美味(びみ)なれど、蟹未醤(かにみそ)に限らば大閘蟹(どざは)が雋(すぐ)る。
皿(さら)の酢橘(すだち)は用(つか)ふまでもなし。
面取りを施(ほどこ)さず、眞二(まふた)つに切るは主人(あるじ)の哲學(かんがへ)か。
修業先(しゆげふさき)にて習得(おぼ)えし技藝(わざ)と云ふ"掻揚げ"も驚歎(おどろき)。
鬼蝦(をにえび)、百合根(ゆりね)に香菜(かめむしさう)加へたるもの。
本朝(わがくに)では、三(み)つ葉(ば)、芹(せり)ならいざ知(し)らず、
蕺草(どくだみ)のごとき強き香(かをり)を放つ香菜(かめむしさう)を忌み嫌ふ。
胡椒(こせう)と云ひ、香菜(かめむしさう)と云ひ、奇を衒(てら)ふものかと疑へど、
その慥(たしか)なる出汁(だし)に、竝々ならぬ技量(うで)の冴えを窺(うかゞ)ひ知る。
鍋(なべ)の出汁(だし)は蟹(かに)と利尻昆布(りしりこんぶ)のみとか。
挽きぐるみを延し細(ほそ)く均一(ひとし)く打たれたる蕎麥(そば)もまた然(しか)り。
"海老芋(えびいも)"にかゝる手間隙(てまひま)も月竝(つきなみ)にあらず。
先(ま)づは薄味(うすあぢ)に煮(た)き、これを油(あぶら)で揚(あ)げ、
さらに炭火(すみび)でゆるりとこれを炙(あぶ)る。
紀州備長炭と云へど、火勢(ひのいきほひ)衰へ、ほどよき火加減(ひかげん)に、、。
香の物、赤出汁(だし)の未醤椀(みそわん)も寸毫(つゆ)手拔(てぬ)かりなし。
惜(を)しむらくは米(こめ)の飯(いひ)些(いさゝ)か柔(やは)らかめなること。
洛(みやこ)ではこれが常なるも、僕(やつかれ)嗜(この)むは粒が立つほどの飯(めし)。
さはあれ、芳香(よきかをり)鼻竅(はな)を穿ちて、忽地(たちまち)吭(のみど)を過ぐ。
"水菓(みづぐわし)"は林檎(りんご)の氷菓(そるべ)。
これまた驚歎(おどろき)を禁(きん)じ得(え)ず。
出來合(できあ)ひの氷菓(そるべ)とは異(ことな)り、擂り卸しの林檎(りんご)が、
こちらでは生のごとく、こなたでは氷の粒(つぶ)となりて躍動(はねをど)る。
押(お)し竝(な)めて、鄙(ひな)には稀(まれ)なる料理茶屋(れうりぢャや)。
地(ぢ)の時季(じき)に適(かな)ふ食材(しよくざい)ばかりを択(えら)み、
洛(みやこ)で習得(ならひおぼ)えし技藝(わざ)を惜しげもなく注入(そゝぎこむ)。
これ、かの餘呉湖(よごのうみ)畔なる『徳山鮓』に彷彿(さもにた)り。