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1回
夜の点数:4.0
2013/04 訪問
今の人は「越後屋」は読めても「ゑちごや」の“ゑ”を読めない人の方が多いかもね?
●中山道木曽路11宿のうち、江戸方面から2番目の宿場として栄えた奈良井宿。宿場の規模が木曽路で最も大きかったこと。そのため、モータリゼーションの発達による道路拡幅が難しく、早くから川の対岸にバイパス(国道19号線)が出来たこと。宿場内に大きな火災がすくなかったこと。これ等の要因が重なり、現在でも江戸~昭和初期の木造建築が軒を連ねる現在でも人気の宿場町だ。●その中ほどにあるのが、江戸時代の佇まいを今の残す越後屋旅館である。創業は寛政年間(1789~1801年)というから210年以上の歴史を誇る老舗の旅籠で、中山道で現存する宿としては最古参だとのこと。(話がそれるが、旧東海道の赤坂宿にある慶安2年(1649年)から続く創業約360年の大橋屋旅館で朝食に出される自然薯はとても旨い!)●宿泊は1日二組み限定。というのも、客間として貸せる部屋が2ヶ所しかないからである。<料理・味>●料理はおよそ10品あり、季節によって内容が変わるが、基本的には地元の食材が使われている。この日は、まず「鯉のあらい」「うどのごま味噌和え」「山芋の風味醤油」「きゅうりの酒粕あえ」「こしあぶらのおひたし」「しめじの酢の物」「諏訪湖産ワカサギの佃煮」「筍などの煮物」「茶碗蒸し」「お吸い物」がお膳に乗る。後から「岩魚の山椒味噌焼」「野菜の天麩羅」がアツアツで供される。最後にご飯(確か、コシヒカリだったかと…)と味噌汁、デザートにオレンジで締めくくる。●特に印象深かったのは「鯉のあらい」だ。正直、鯉料理は得意ではないが、ここのあらいはとても美味しく食べられ、お造りとして申し分ない。また、酢の物で食べたシメジは調理するまでは黄色が鮮やかな“きしめじ”で、あまりお目にかからない品だ。岩魚の味噌焼きは、田楽に因んで“魚田(ギョデン)”と呼ばれているらしい。岩魚には、玉ねぎと青トマトのピクルスが付け沿われる。霜が降りる前に摘み取った硬い青トマトでないと作れないらしく、今回食べたものは2年前に漬け込んだものだそうだ。醤油は、いろいろ試した結果、松本で醸造される里山辺醤油を使用しているとのことだ。●料理はどれも美味しく、酒の肴として申し分ないのだが、唯一残念な点は、日本酒の種類が少ないことだろう。<サービス>●旅館として申し分なく、丁寧な対応という印象が心に残る。到着後と朝食後に出されるお茶は玉露であり、宿主が自ら入れてくれる。●客室にはテレビが一切なく、人によって評価が分かれるところ。江戸時代を思い浮かべながら、たまにはテレビなしに男女二人で水入らずの夜を過ごすのも悪くない。(因みに玄関近くの居間にはテレビがあるので、どうしても見たいという現代人は、宿主にことわって宿の子供たちと一緒に見せてもらおう。自分の見たい番組を人に気遣いなく見たいという“超”現代人のキミは、ここに泊まることは避けたほうがいい。)●風呂場は日本固有のコウヤマキ造りの家族風呂が1ヶ所。キャパは二人が限界だから、もうひと組みの客と譲り合いながら入ることになる。(彼女と二人で入ると、ついついキャッキャと風呂を楽しんでしまうのだが、家主のみならず隣家にも声が筒抜けだから気を付けましょう。)●食事は朝晩ともに部屋に運ばれる。<雰囲気>●木曽路最大の宿場であった奈良井だけあって、旅館の周囲には見事な千本格子の街並みが続き、圧倒的な情緒を演出している。これらの古風な建物を利用して、周囲には宿や食事処が点在し、宿場内で最も賑わいを見せている。向かいには民宿の「江島屋(客間は近代風)」や「伊勢屋(客間は文政年間(1818~1830年)当時のまま)」、飲食店の「松波(一昨年までは民宿)」等々。●建物の外観も、街道に面して1階に千本格子が印象的で、二階が出梁となった典型的な町家づくり。●出梁の下には宿の名を記した看板が掲げれられている。京都側(西)から見ると「越後屋」と漢字表記。一方、江戸側(東)から見ると「ゑちごや」とひらがな表記。これは、京に住む旅人は漢字が読めたが、江戸方面から来る旅人はひらがなしか読めなかったからだという。●建物内は、玄関の格子戸をくぐると、土間が広がる。右には旅籠だった頃の古い看板等が掲げられている。高い框のある畳の小上がりの奧には、板の間が広がり、近世に多く用いられた箱階段(階段の下を収納にしたアレです。)と、壁に収納された5本の番傘が印象的だ。●その奧には、かつて囲炉裏があったという勝手間があるが、ここでの見どころは天井にある。天井中心に穴があいていて、二階のこたつ用火鉢が収められているため、天井に突起があるのだ。(この勝手間だけは、何故か妙に生活感に溢れていて、前述のテレビもここにある。)●勝手間の横にも二階への階段があり、一つめの客室がある。ここは、襖で仕切られた三つの和室。もともとは3組が宿泊できたのだが、昨今はプライバシー重視の客が多く、他人と襖で仕切られただけでは予約もとれない。よって、今ではこの三室については、一人で泊まろうが、家族で宿泊しようが自動的一組の客で利用する。●さて、勝手口の先は坪庭のある板の間の外廊下を経由して二つ目の客室にたどり着く。こちらも襖で仕切られた二間の離れ部屋だが、さきほどと同様の理由により一組での利用となる。板の間からはJR中央本線を挟んで奈良井川が眺められる。列車が通過する際の音が室内までも聞こえてくるが、夜の通過列車は多くないから、それほど気にならない。映画『男はつらいよ』の第三作で、この部屋の下に宿泊した主人公の車寅次郎が通過する蒸気機関車の煙によってむせるシーンが有名。)●なお、街道に面した2階の部屋は、現在宿主の生活の場となっていて、残念ながら宿泊することはできない。(前述の東海道赤坂宿の大橋屋旅館は、街道に面した2階部分が客間であり、たいそうおもむきがあったが、天井が低いので座っていないと居心地が悪かった。)●室内の調度品はどれも年季の入った骨董品ばかり。食事用のテーブルは100年前の代物で、堆朱(ついしゅ)と呼ばれる漆を40回以上にわたり塗り重ねてからツヤを出す高級品。堆朱の技法は、こたつの天板や料理用の膳にも使われている。その他、味噌汁椀、吸物椀、茶托、お櫃にも漆が施され、これらの食器も100年以上も使用されているものがあるという。なお、漆塗りは、奈良井宿とそこから3km程にある平沢集落が特に盛ん。能登の輪島塗、会津の会津塗、信濃の木曽漆器が三大漆塗り生産地として有名だ。
2021/12/22 更新
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●中山道木曽路11宿のうち、江戸方面から2番目の宿場として栄えた奈良井宿。
宿場の規模が木曽路で最も大きかったこと。
そのため、モータリゼーションの発達による道路拡幅が難しく、早くから川の対岸にバイパス(国道19号線)が出来たこと。
宿場内に大きな火災がすくなかったこと。
これ等の要因が重なり、現在でも江戸~昭和初期の木造建築が軒を連ねる現在でも人気の宿場町だ。
●その中ほどにあるのが、江戸時代の佇まいを今の残す越後屋旅館である。
創業は寛政年間(1789~1801年)というから210年以上の歴史を誇る老舗の旅籠で、中山道で現存する宿としては最古参だとのこと。
(話がそれるが、旧東海道の赤坂宿にある慶安2年(1649年)から続く創業約360年の大橋屋旅館で朝食に出される自然薯はとても旨い!)
●宿泊は1日二組み限定。
というのも、客間として貸せる部屋が2ヶ所しかないからである。
<料理・味>
●料理はおよそ10品あり、季節によって内容が変わるが、基本的には地元の食材が使われている。
この日は、まず「鯉のあらい」「うどのごま味噌和え」「山芋の風味醤油」「きゅうりの酒粕あえ」「こしあぶらのおひたし」「しめじの酢の物」「諏訪湖産ワカサギの佃煮」「筍などの煮物」「茶碗蒸し」「お吸い物」がお膳に乗る。
後から「岩魚の山椒味噌焼」「野菜の天麩羅」がアツアツで供される。
最後にご飯(確か、コシヒカリだったかと…)と味噌汁、デザートにオレンジで締めくくる。
●特に印象深かったのは「鯉のあらい」だ。
正直、鯉料理は得意ではないが、ここのあらいはとても美味しく食べられ、お造りとして申し分ない。
また、酢の物で食べたシメジは調理するまでは黄色が鮮やかな“きしめじ”で、あまりお目にかからない品だ。
岩魚の味噌焼きは、田楽に因んで“魚田(ギョデン)”と呼ばれているらしい。
岩魚には、玉ねぎと青トマトのピクルスが付け沿われる。
霜が降りる前に摘み取った硬い青トマトでないと作れないらしく、今回食べたものは2年前に漬け込んだものだそうだ。
醤油は、いろいろ試した結果、松本で醸造される里山辺醤油を使用しているとのことだ。
●料理はどれも美味しく、酒の肴として申し分ないのだが、唯一残念な点は、日本酒の種類が少ないことだろう。
<サービス>
●旅館として申し分なく、丁寧な対応という印象が心に残る。
到着後と朝食後に出されるお茶は玉露であり、宿主が自ら入れてくれる。
●客室にはテレビが一切なく、人によって評価が分かれるところ。
江戸時代を思い浮かべながら、たまにはテレビなしに男女二人で水入らずの夜を過ごすのも悪くない。
(因みに玄関近くの居間にはテレビがあるので、どうしても見たいという現代人は、宿主にことわって宿の子供たちと一緒に見せてもらおう。自分の見たい番組を人に気遣いなく見たいという“超”現代人のキミは、ここに泊まることは避けたほうがいい。)
●風呂場は日本固有のコウヤマキ造りの家族風呂が1ヶ所。
キャパは二人が限界だから、もうひと組みの客と譲り合いながら入ることになる。
(彼女と二人で入ると、ついついキャッキャと風呂を楽しんでしまうのだが、家主のみならず隣家にも声が筒抜けだから気を付けましょう。)
●食事は朝晩ともに部屋に運ばれる。
<雰囲気>
●木曽路最大の宿場であった奈良井だけあって、旅館の周囲には見事な千本格子の街並みが続き、圧倒的な情緒を演出している。
これらの古風な建物を利用して、周囲には宿や食事処が点在し、宿場内で最も賑わいを見せている。
向かいには民宿の「江島屋(客間は近代風)」や「伊勢屋(客間は文政年間(1818~1830年)当時のまま)」、飲食店の「松波(一昨年までは民宿)」等々。
●建物の外観も、街道に面して1階に千本格子が印象的で、二階が出梁となった典型的な町家づくり。
●出梁の下には宿の名を記した看板が掲げれられている。
京都側(西)から見ると「越後屋」と漢字表記。
一方、江戸側(東)から見ると「ゑちごや」とひらがな表記。
これは、京に住む旅人は漢字が読めたが、江戸方面から来る旅人はひらがなしか読めなかったからだという。
●建物内は、玄関の格子戸をくぐると、土間が広がる。
右には旅籠だった頃の古い看板等が掲げられている。
高い框のある畳の小上がりの奧には、板の間が広がり、近世に多く用いられた箱階段(階段の下を収納にしたアレです。)と、壁に収納された5本の番傘が印象的だ。
●その奧には、かつて囲炉裏があったという勝手間があるが、ここでの見どころは天井にある。
天井中心に穴があいていて、二階のこたつ用火鉢が収められているため、天井に突起があるのだ。
(この勝手間だけは、何故か妙に生活感に溢れていて、前述のテレビもここにある。)
●勝手間の横にも二階への階段があり、一つめの客室がある。
ここは、襖で仕切られた三つの和室。
もともとは3組が宿泊できたのだが、昨今はプライバシー重視の客が多く、他人と襖で仕切られただけでは予約もとれない。
よって、今ではこの三室については、一人で泊まろうが、家族で宿泊しようが自動的一組の客で利用する。
●さて、勝手口の先は坪庭のある板の間の外廊下を経由して二つ目の客室にたどり着く。
こちらも襖で仕切られた二間の離れ部屋だが、さきほどと同様の理由により一組での利用となる。
板の間からはJR中央本線を挟んで奈良井川が眺められる。
列車が通過する際の音が室内までも聞こえてくるが、夜の通過列車は多くないから、それほど気にならない。
映画『男はつらいよ』の第三作で、この部屋の下に宿泊した主人公の車寅次郎が通過する蒸気機関車の煙によってむせるシーンが有名。)
●なお、街道に面した2階の部屋は、現在宿主の生活の場となっていて、残念ながら宿泊することはできない。(前述の東海道赤坂宿の大橋屋旅館は、街道に面した2階部分が客間であり、たいそうおもむきがあったが、天井が低いので座っていないと居心地が悪かった。)
●室内の調度品はどれも年季の入った骨董品ばかり。
食事用のテーブルは100年前の代物で、堆朱(ついしゅ)と呼ばれる漆を40回以上にわたり塗り重ねてからツヤを出す高級品。
堆朱の技法は、こたつの天板や料理用の膳にも使われている。
その他、味噌汁椀、吸物椀、茶托、お櫃にも漆が施され、これらの食器も100年以上も使用されているものがあるという。
なお、漆塗りは、奈良井宿とそこから3km程にある平沢集落が特に盛ん。
能登の輪島塗、会津の会津塗、信濃の木曽漆器が三大漆塗り生産地として有名だ。