この夏に二回目の新型コロナウイルスワクチンの接種を済ませ、約1年ぶりに実家方面に帰省。老父母と顔を合わせた。
自分も老いるが父母も当然ながら老いる。当たり前のようなことが少しずつズレていくのが日常というものであるが、今の社会状況のもと1年ぶりのズレというのはあれれれれれ。なんてことが正直気になったりもするものだ。
昭和生まれ、平成の時代に突入するまでの間に所謂青臭い季節を過ごした正真正銘のおっさんである当方、食い意地だけは人一倍。思えば家庭での食事、母親の料理によるものが大であったのだろうと推察される。
当時食卓に上がったもので今考えるとあまり一般的ではなかったであろうことを挙げてみる。食材、料理など。
・グラタン(ベシャメルソース風を作って耐熱皿にマカロニ、鶏肉、牡蠣、ホウレンソウなどを敷き詰め天火で調理していた)
・茶碗蒸し(なぜかソレ用の器があった。仕上げが上手くいかないと「これが”ス”って言うんだ」と教えてもらった)
・カルメ焼き(なんか銅メッキ?の施された専用の調理器でもってザラメ、重曹で作ってた。失敗確率極めて高し)
・ニガウリ(今でいうゴーヤ。沖縄の方で採れる苦い野菜なんだけど、何をどうやっても苦い。これどうやれば美味しく食べられるの?)
・中華おこわ(もち米、鶏肉、たけのこ、シイタケ、銀杏などを入れて濃い目に味付して蒸かす。行楽や運動会の弁当に何度か登場)
・ホウレンソウのチャーハン(これはナゼか朝食に良く見られた。ホウレンソウをチャーハンにするのって当時珍しかった)
・キウイフルーツ(まさに出始め。周囲の緑の部分が酸っぱかったけど真ん中のタネのある部分がとろんと甘かったと記憶)
・スパゲティ(これは明らかに80年代になってからの定番。庭先の大葉をぶち込んだもの、ニンニク風味の浅蜊と合わせたボンゴレなど大皿にてんこ盛りにして家族で取り合った)
・イチゴ、みかんの缶詰の寒天(当時の最上級のオヤツ)
・ドーナツ(当時の最上級のオヤツ、シナモンが振りかけられていた)
これ以外にもあまり他所の家では見かけない料理が並んだ記憶がある。
たまたま母の出身地が漁港近くだったこともあり鰹、鮭、鮟鱇などを一尾まるまる捌いて食べることも多かったり、当時は定期的に自転車で回ってくる鰻売りのおっちゃんがいて鰻が食卓にあがることもあったっけ。
それと鍋。当時は珍しかったと思われる小さなプロパンガスを繋いだコンロがあってそれを使ってすき焼きや各種鍋を突くことも多かった。
一度、驚いたのが近くにあった渓流釣り堀で妹が大きな鯉を釣り上げてしまったことがあった。(本来、手ごろな大きさのニジマスなどを釣らせるのだが、鯉が泳いでいた釣り堀に糸を垂らしてしまったが故の悲喜劇)
そこの釣り堀のルールでは釣り上げた魚は別途料金を支払い持ち帰ることになっており当然その大きな鯉も引き取らざるを得なくなり。
帰宅後「もう、こんな魚釣りあげちゃって…」なんてブツブツ文句を言いながら適宜処理を施した鯉をぶつ切りにして油で揚げて餡掛け風にして食ったことがあったっけ。
今はネットでレシピ、なんなら調理の段取りまで見ようと思えば簡単だと思うけど、当時確か家にあったのは土井勝氏の著作、料理の手ほどき書が数冊、カラー図解入りであったのが思い出される。
食に対する図々しさというか意地汚さはこれらのことから身に付いたんじゃないのかなぁ…なんて。実家に帰ると改めて思い出される。