『「没後10年・原節子 原節子をめぐる16人の映画監督」 @神保町シアター①』AI94さんの日記

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日記詳細

3月8日(土)~4月4日(金)まで「没後10年・原節子 原節子をめぐる16人の映画監督」と銘打って特集上映があることを知りました。

伝説の女優・原節子の没後10年にあたる今年、小津安二郎監督作品のミューズとして今もなお世界中で愛され続ける不世出の女優が、監督の違う16本の映画で、それぞれどんな貌をみせているのか。
絶世の美女でありながら、文芸ものの難役から洒脱なコメディまで幅広い役に挑んだ女優人生を、新たな趣向で振り返ります。
このシアターでこれまで2度にわたり原節子特集を行ってきたと書いてあったのにもびっくりですが(その間私はその情報を全く知らず観過ごしてしまっていました)、だからこそ今回はできるだけ観たいと思い4週間にわたって以下の作品を観てきました。長くなると思うので2回に分けて書いていこうと思います。
(彼女が亡くなった翌年、池袋 新文芸坐で行われた追悼上映で何本か彼女の作品を観ましたが、それ以来久しぶりの上映の情報に巡り合えたのでワクワクです!)


『巨人傳』(1938年) 監督:伊丹万作
明治初年、北海道のとある村、村は町長大沼の徳を讃え彼の銅像完成除幕式に賑わっていた。
新任の巡査曾我部は偶然出くわした火事で、大沼が太い鉄棒をいとも簡単にねじ曲げ人を救出するのを見て、大沼がかって「万力の三平」と呼ばれた悪人ではないかと睨んだ。その夜、大沼は美しい燭台を前に一人想いにふけるのだった・・・。

時代を幕末から明治維新直後に設定し、前科者で何度も脱獄を試みたものの失敗、19年の刑に処された大沼という男が、ついには役人を殺して脱獄に成功、時代の混乱に乗じて世の中を渡り歩いていく姿を描く。ある時、彼は不幸な少女・千代子を引き取り、育て上げていくのだが・・・。

ヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』を下敷きに西南戦争を背景にした物語を映画化した、伊丹万作最後の監督作品。これまでにもゴルズワジーの『逃走』を翻案した「逃げ行く小平次」、モルナールの『リリオム』の翻案「金的力太郎」で多大な評価を得ていた伊丹が、再び『レ・ミゼラブル』を見事に日本の風土に展開した作品。
この頃から胸を病んで闘病生活に入った彼は、以後、稲垣浩の「無法松の一生」「手をつなぐ子ら」など脚本を担当したのみで、ついに監督に復帰することなく、1946年世を去ったそうです。

この作品を観たいと思った理由の一つは、原節子の比較的初期作品の一つであることと同時に、戦前を代表する時代劇スター大河内傳次郎が出演していたことでした(彼の作品、それも現代劇での彼を目にすることはなかなかないだろうと思ったからです)。
全編通して大河内傳次郎の独壇場でした!
時代劇の大スターらしい風格と独特な台詞回し(時代劇の役者が現代劇をやるときの、というより当時の映画で多く感じるようなと言った方が当たっているかも)があり、殺陣のシーンも見ごたえがありました。

龍馬に恋心を抱いた千代を演じる原節子のはにかむ演技は初々しくとても新鮮で、後年の大女優の片鱗が見え隠れしていて興味深かったです。
龍馬演じる佐山亮はなかなかの美形で、(後で調べてみたら)これがデビュー作だったというから驚きでした(書生塾の英語教師役)。


『安城家の舞踏會』(1947年) 監督:吉村公三郎
第二次世界大戦後、華族制度が廃止され、大名華族の安城伯爵家も没落の憂き目を見る。
財産を手放していき、最後に残った屋敷も借金のかたに成金である新川が手に入れようとしていた。
安城家の次女 敦子は、元運転手から実業家に成りあがった遠山に援助を頼んだが、プライドから当主の忠彦はそれを退ける。未だ華族の生活に未練がある忠彦は最後に屋敷で舞踏会を開くことにし、父の心情を汲んだ敦子もこれに同意する。
舞踏会の夜、安城家には多くの客が集まり、広間で華やかな舞踏会が行われた・・・。

チェーホフの戯曲『桜の園』を下地とした新藤兼人のオリジナル脚本を吉村公三郎が映画化した作品。

今上映中最も観たかった作品がこれ。
以前池袋の新文芸坐で上映されたときスケジュールが合わず観れず仕舞、今作品のスチール写真での原節子の美しさがとても印象的で、是非全編通して観てみたいと思っていました。

導入部で安城伯爵家の人物構成、周囲の人々の背景、舞踏会の場面でいろいろないざこざや人間模様が描かれ、ラストまで引っ張っていく展開が惹きつけられます。

家が没落していく現実を直視し、父を支え気丈に振る舞う敦子を演じた原節子は、苦境に立ちながらも華族としての気品を感じさせる明るい笑顔がとても魅力的。
将来に不安を抱え時折見せる陰りある表情が彼女の美しさをより引き立てているように感じました。
(冒頭の長女 昭子と話すシーンはなぜか既視感あったので、この部分のみどこかで観ていたのかもしれません。)
足が地についていない薄っぺらな長男 正彦を演じている森雅之の放蕩息子っぷりが何とも素晴らしい!
日本映画史上はずせない著名な男優さんですが、じっくり彼の映画を観たのが実は今作が初めてでしたが、今後注視していきたいと思いました。
安城伯爵家当主 忠彦役の滝沢修の渋い演技が良いですね(日本映画を語る上で彼も有名な俳優さんですが、根っからの舞台人だったようなのでキラリと光るわけです)。バート・ランカスターとはタイプが違うけれど、同じくイタリア貴族の没落を描いたヴィスコンティの『山猫』をふと思い出しました。


『お嬢さん乾杯』(1949年) 監督:木下惠介
自動車修理工場を経営する青年・圭三のもとに、没落華族の令嬢・泰子との縁談が持ち込まれた。圭三は初めは乗り気でなかったが、お見合いで泰子と会ってみると彼女を気に入ってしまう。
結婚の承諾を受けた圭三は、ある日池田家を訪問するが、そこで泰子の父が詐欺事件の巻き添えで刑務所に入っていることと、池田家が抵当に入っていることを知り、金目当てだったかと失望する・・・。

実は以前テレビで観ていますが、大好きな俳優さんが出ている作品なので、是非又劇場で観てみたいと思いました。
原が唯一出演した木下惠介監督作品だそうです。

元華族の令嬢という役どころがぴったりはまった原節子と、田舎から出てきて戦後金儲けで成功した青年演じる佐野周二が対比して描かれ、彼の大げさなコミカルぶりがとても楽しいです。
大輪の花が咲きこぼれるような原節子のとびきりの笑顔にはうっとり見とれてしまいます!
佐野周二の弟分役として佐田啓二が共演し、彼、そして佐野周二自ら歌う場面が出てくるところも見逃せないです。
三俳優が共演しているだけでも昔の映画ファンとしては堪らないのですが、木下恵介らしい喜怒哀楽が見え隠れするドラマは笑いに溢れていました(悲喜こもごもな笑いではあるのですが)。

豪華なキャスティングとコメディという明るい内容、週末上映の初回ということもあって場内は6、7割ほど入っていました。
考えさせられる映画も良いですが、こういう屈託なく笑える映画は良いですよね!


『女醫の診察室』(1950年) 監督:吉村廉
国際港Y市にある聖ペテロ施療病院の若く美しい産婦人科部長・田島文子は、毎日の激務の中で以前から心臓病の研究を続けていた。その理由は、彼女自身がその病を患っていたからだった。
ある日、内科部長の野間亀太郎と顧問の川村信吉という二人の医師が赴任して来る。信吉と文子は、かつて愛を誓い合った仲であった・・・。

自身も医師だった常安田鶴子の原作を、名脚本家・小國英雄が脚色して映画化したメロドラマ。
原節子が「自分の希望で実現した唯一の作品」だったそうで、その熱意が作品から伝わってきました。

白衣に身を包み、日々てきぱきと仕事をこなす産婦人科部長 文子を演じる原節子は、信吉(上原謙)の赴任後の心の揺れを繊細な演技で描写。清楚な美しさが画面から滲み出ていました。
文子の真意を解せぬままこちらも心中穏やかならぬ生真面目で勉強熱心な医師 信吉を演ずる上原謙はこれぞ二枚目の真骨頂、戦前の『愛染かつら』より年齢を重ね深みを増して魅力的でした(彼の代表作の一つ『夜の河』より私的にはこちらの役柄の方が好き)。


『白痴』(1951年) 監督:黒澤明
亀田と赤間は北海道へ帰る青函連絡船の中で出会う。亀田は沖縄で戦犯として処刑される直前に人違いと判明して釈放されたが、そのときの後遺症でてんかん性の白痴にかかってしまっていた。
札幌へ帰ってきた亀田は、狸小路の写真館のショーウィンドーに飾られていた那須妙子の写真に心奪われる。しかし、妙子は政治家に愛人として囲われていた。
裕福な大野の娘の綾子と知り合った亀田は、白痴ではあるものの性格の純真さや善人さから綾子と妙子に愛され、彼女たちの間で激しく揺れ動く。
妙子を野獣のように愛する無骨な男赤間を加えた4人の間に燃え上がった神々しいまでの愛と激しい憎悪の結末とは・・・。

ロシアの文豪・ドストエフスキーの『白痴』を札幌に置き換え映画化した文芸巨篇。
原作に忠実であろうとするあまり、当初前後編4時間25分の長編として完成したが、難色を示した松竹側と黒澤監督が対立。切るならフィルムを縦に切ってしまえと、激怒した逸話は有名。結局現在観ることができるのは大幅にカットされた166分バージョンのみとのこと。

白痴であるが純真な亀田を演じる森雅之と粗野で荒々しい赤間を演じる三船敏郎の対比が冒頭の青函連絡船内のシーンから如実に描かれている。
優しく善良で無垢な青年役の森雅之がとにかくうまい!(『安城家の舞踏會』の悪役とはうって変わった役どころで、続けざまに観るとその凄さを実感しました。)
ニヒルで男臭く威圧的な男を演じた三船敏郎は役柄にぴったりはまっていて魅力的でした。
若き日の三船敏郎を実際に観たのは実は初めてでしたが、その存在感には圧倒されました。

黒いマントを身にまとい、甲高い声で笑う妖艶な悪女役の原節子はいつもの彼女が演じる役どころとは全く違っていてとても新鮮でした。
(後年彼女は小津作品で描かれていたような奥ゆかしい女性より自我の強い女性を演じてみたかった(それが彼女の理想像だった)そうだから、今作品は好みだったのかもしれません。)

狂おしいラストシーンを観終わった後すぐはただ首を傾げるのみで理解に苦しんでしまいました。
それもそのはず、下地にしたというドストエフスキーの『白痴』自体のストーリーを知らなかったので、後で読んでやっと腑に落ちました。でもやっぱり黒澤監督が描きたかったものが何だったのかを理解するのはやや難解ではないかと思いました。
公開当時失敗作と言われてしまったのも、当時の時代背景や大幅にカットされていることもあったのではないかと想像します(テレビ放映の時間枠の関係で大幅カットされたとある映画を観たとき、それが何で名作と言われているのか理解できなかったという経験があるので)。

原、森、三船の顔合わせと黒澤が監督と聞いただけで今回観てみたい作品の一つだったのですが、難解ではあったものの鑑賞しがいのある作品でした。
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