7月5日(土)から8月1日(金)までウィリアム・ワイラーの特集上映があると知ったときから絶対に観に行くと心に決めていました。
ただ、自分のスケジュールと合わせてどの作品を観ようか考えることしきり。。。
以下は厳選した7本です(観た順番ではなくいつものように年代順に並べています)。
『砂漠の生霊』(1929年)
アリゾナ砂漠に近いニュー・エルサレムの町の銀行を襲った強盗は、現金出納係のエドワーヅを射殺して金袋を奪って逃走した。
親分株のボブ、ワイルド・ビル、トムの三人は砂漠中の泉へと急ぐも水は既に枯れていて、近くに残された幌馬車の中には瀕死の女が今にも子供を産み落とそうとしていた。女は間もなく男児を出産し、三人に名付け親になってもらい、子供をニュー・エルサレムにいる父親へ届けてくれと頼んで息絶える。その父親こそ三人が殺したエドワーヅであった・・・。
6回映画化された『三人の名付親』の初トーキー作だそうで、この題材がいかに好まれていたのかがわかって興味深いです。
私はジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン版を観ているのでストーリーは知ってはいましたが、トーキー初期のまだ粗い映像の中から、子供を通して悪党の中にあった良心が芽生えていく様子を感じ取ることができました。
白黒だったことで、荒涼とした砂漠の風景がより殺伐としたものに見えました。
『孔雀夫人』(1936年)
サム・ダヅワースは二十年来自動車製造に従事して巨万の富を得、一人娘エミリイの結婚も済ませたので、妻フランの切なる願いを聞き入れて欧州旅行を思い立った。
フランは単純で正直だが年より若く見えるのが自慢で、伝統のない米国を軽蔑し、古い欧州文化に憧れていた。
クイーン・メリイ号はフランの夢を乗せて出発したが、彼女は船中で出会った青年、自称財政家、貧乏貴族と遊び歩いてはサムを困惑させ・・・。
フランの軽はずみな行動に振り回されたサムが、最終的に真実の伴侶を見つける話(逆を言うと浅はかな女性の因果応報物語)ではあるのですが、それまでに早婚、年の差婚、女性の賞味期限等いろいろな問題を描いています。
セリフに継ぐセリフ・・・でセリフの量が多く皮肉を効かせたプロットでもあるので、字幕で観ておいて良かったです。
サムが船中で出会ったコートライト未亡人と過ごすナポリでのシーンは『旅愁』を思い起こさせました(明るい太陽の下の開放的な場面はやはり同様に映るのでしょうか?)。
主演サム役ウォルター・ヒューストンはブロードウェイでの上演時でも同役を演じていたそう。
貧乏貴族の母親役はマリア・オースペンスカヤが演じていて正にはまり役、本作でアカデミー助演女優賞にノミネートされています(他にも『邂逅』の祖母、『雨ぞ降る』の皇后、『哀愁』のバレエ団長・・・と1930、40年代数々の映画に出演していますが、どれも存在感が凄い)。
『デッド・エンド』(1937年)
ニューヨーク、イーストリバー・サイドは、行き詰まり(デッド・エンド)になっている貧しい借家の建ち並ぶスラムだったが、河の眺めの美しさに趣きを感じた金持ちが越して暮らすようになった。
工場勤めのドリナはいつかこの環境を出ていきたいと願い、幼なじみのデイヴは苦学して建築科を出たがペンキ塗りなどして、前途の光明を求めて苦しんでいた。
豪邸の息子と悪童たちの溝が埋まるような安易な展開もなく、ドリナの弟トミーはアパートに住む子供の父親を誤って傷つけ、警官に追われる。
デイヴの前には旧友“ベビー・フェイス”マーティンがジョンスンと名を変え、顔も整形して現れる。お尋ね者の彼は老いた母と想い出の女に会いに危険を承知で、この古巣に舞い戻ったのだった・・・。
悪ガキたちが遊びたむろするスラム街と金持ちが暮らす高層アパートの対比が冒頭から面白く描かれていました。
スラム街に住むデイヴが幼なじみドリナではなくアパートに住むケイに近づいていく流れがあったり、デイヴの旧友でお尋ね者のマーティンが危険を冒して古巣に戻ってくるという展開。
マーティンの登場あたりから不穏な空気が流れ始め、さらに悪事をはたらこうとする彼を阻止しようとするデイヴとの抗争、そして撃ち合いへと急速に話が進み、狭い通路や階段での追走シーンが圧巻!グレッグ・トーランドのカメラワークが光ります!
キャストの方はジョエル・マクリー演じるデイヴとシルヴィア・シドニー演じるドリナに、ハンフリー・ボガート演じるデイヴの旧友“ベビー・フェイス”マーティンが絡むという豪華な組み合わせ。
正義を貫くジョエル・マクリーはやっぱり素敵で、シルヴィア・シドニーの憂いある瞳が可憐で魅力的。
ボガートの風貌、声共に正に悪役にぴったりだと再認識してしまいました(名作『カサブランカ』より5年前の彼を観れたのは私的に興味深かったです)。
アパートのドアマン役でワード・ボンドが端役出演していたのも映画ファンとしては見逃せないです。
『嵐が丘』(1939年)
吹雪で道に迷ったロックウッドは、「嵐が丘」と呼ばれる館に辿り着き、一夜の宿を乞う。その夜、彼は破れた窓の外からヒースクリフを呼ぶ女の声を聞いた。それを知ったヒースクリフは、吹雪の戸外へ飛び出して行った。取り残されたロックウッドは、館の家政婦エレンから、「嵐が丘」にまつわる過去の悲劇を聞くことになった。
「嵐が丘」の元の持ち主だったアーンショーは慈悲深く、貧しい孤児を保護しヒースクリフと名付けて実子同然に育てた。
アーンショーの跡取り息子であるヒンドリーは彼を憎み、父の死後は館の馬丁として酷使、かたや娘のキャシーはヒースクリフを愛したが、上流階級に憧れ、裕福なエドガー・リントンに求婚される・・・。
言わずと知れたエミリ・ブロンテ原作の数ある映画化中最高傑作とされ、アカデミー作品賞をはじめ監督賞、主演男優賞他にノミネート、グレッグ・トーランドによる撮影賞(白黒部門)を受賞。
映画では原作の前半部を描いており、今作ではラストに原作にはないヒースクリフとキャシーの亡霊が手を繋いで歩いて行くシーンが加えられています。
私自身テレビで2回観ていて、初回時、劇的な展開のストーリー、映像の美しさ、ローレンス・オリビエ演じるヒースクリフの野性味あふれる男らしさと彼の演技力に魅せられそれ以来彼のファンになってしまった思い出深い作品でもあります。
それ故に今回は是非とも映画館で観てみたいと思ったわけですが、2回目観たときから既に数十年経っていることもあって自分自身の中で期待感でハードルを上げてしまったためか?今回実際に観て、過去2回観たときのような感動はなく、やや薄れてしまいました。
自己分析するに、今回がデジタルではなく16mmだったことで画像が古く不鮮明で全体的に暗かったこと、字幕の焼き付けが古く(背景が白いと見えないこと多数)映像に集中できなかったこと、オリビエのメイクが映画館の大画面でやや大げさに見えてしまったこと等が考えられます。
それでも何でもラリー・オリビエの身のこなしや抑揚あるセリフ回しはとても魅力的でした。
今回は相手役マール・オベロンの美しさと陰りある表情、オリビエとの見事な競演ぶりに目が留まりました(撮影中の二人の仲の悪さは有名なところではありますが)。
そしてやっぱりエレン役のフローラ・ロブスンの名脇役ぶり、エドガー役の若きデヴィッド・ニーブンは注視したいところ。
今回持った印象を払拭すべく、時間のあるときにokurで再鑑賞したいと思っています。
『偽りの花園』(1941年)
20世紀初頭、米国南部の小さな町。
富裕な銀行主ホレイス・ギデンスは長く心臓を患いボルティモアで入院療養中だった。
儲かることなら何でもしかねぬレジナの二人の兄ベンとオスカーは南部の安い労働賃金を餌に東部商人と結び、この町に綿工場を建設しようと画策していた。この計画に出資を勧誘されたレジナは、投資負担額7万5千ドルを夫から出させようと、娘アレグザンドラをボルティモアにやって夫を連れ帰らせたが・・・。
冷酷で私欲に走る悪女レジナを演じるベティ・ディヴィス(英語ではBette Davis)のはまりっぷりが凄いです!当時33歳くらいですが、既に貫禄さえ感じる存在感。
病弱な夫役ハーバート・マーシャル、正義感の強い娘役テレサ・ライトと、デイヴィスを含む二人の兄との善・悪キャラクターの対比によってストーリー展開にメリハリがついていました。
発作に苦しみながら階段を上がるマーシャルと手前のデイヴィスをパン・フォーカスで映すシーンは圧巻!ここでもグレッグ・トーランドの撮影技術が光っていました。
受賞こそありませんが、アカデミー賞8部門にノミネートされました。
『我等の生涯の最良の年』(1946年)
第二次世界大戦後、階級も経歴も異なる3人の男たち―元銀行員のアル軍曹、元ドラッグストア店員のフレッド大尉、戦争で両手を失った若い水兵ホーマーは同じ軍用機に乗り合わせてアメリカ中部の町に帰還するが・・・。
同じ故郷へ戻ってきた3人の帰還兵が様々な社会問題に直面しながらも再生していく姿を描いたヒューマンドラマ。
アカデミー賞作品賞、監督賞、主演男優賞(フレデリック・マーチ)、助演男優賞(ハロルド・ラッセル)など9部門に輝いた名作中の名作。
今まで観る機会がなかったこともあり、今特集中最も観たい作品がこちらでした。
エンディングでジーンとくる映画は多々あれど、冒頭から涙にくれ、途中で泣き、エンディングでも涙・・・という映画は久し振りでした(家ならともかく、映画館で泣くことはあまりない私でもこらえられなかったほどです)。
家族に歓迎されるもどこか感じる違和感に不安を抱く父親アル役のフレデリック・マーチが実に良い味を出しています(1930年代から端正なルックスと幅広い芸域を持つ演技派で知られていますが、本作でのオスカー受賞は納得)。恥ずかしながら彼の作品をほとんど観ていないので、今後注目していきたいと思います。
フレッド役のダナ・アンドリュースは1940年代を代表する俳優、ホーマー役のハロルド・ラッセルに至っては本物の復員兵で素人俳優と、皆それぞれが人間味たっぷりなはまり役だったと思います。
アルの妻役マーナ・ロイ、娘役テレサ・ライトも適役で魅力的でした(1930年代に良妻役でならしたマーナ・ロイは本作で人気が再燃したそう)。
俳優陣の演技だけでなく、本作でもグレッグ・トーランドの撮影技術が活きていたのは言うまでもありません。
アルが家族と再会するシーン、ブッチのバーでフレッドがアルの娘に電話をかけ、ホーマーとブッチが『チョップスティックス』を連弾するシーン、フレッドが残骸となった爆撃機に座り、航空機の残骸が画面いっぱいに映し出されるシーン・・・挙げていったら切りがないです。
若き日旧作映画が大好きで観ていた頃、映画評論家が選ぶマイ・ベスト10にこの作品を上げる人が多かったことを記憶していますが、私自身もマイ・ベスト10に是非とも入れたい作品となりました。
『黄昏』(1952年)
田舎娘キャリー・ミーバーは姉夫婦をたよってシカゴにやって来るが、働いていた工場で怪我をしたためにクビになり、シカゴに来る汽車の中で知り合った調子のいいセールスマン、チャーリー・ドルーエを頼るしかなく、結局そのまま同棲することになる。
シカゴ一流の料理店フィッツジェラルドで支配人を勤めるジョージ・ハーストウッドはドルーエのなかだちでキャリーに会い、冷酷強欲な妻では満たされない温かさを素朴なキャリーに感じ、二人は次第に惹かれ合っていく・・・。
資産家の妻から離れキャリーとの真実の愛に生きようとするハーストウッドの転落劇と、彼の幸せを願い身を引いて女優を目指すキャリーの対比がどうしょうもなく切ないです。
一流料理店の支配人として登場し、最後転落して見る影もない中年男役ローレンス・オリヴィエの細やかな演技が光ります。
アカデミー衣装デザイン賞(白黒)をエディス・ヘッド、美術賞(白黒)ノミネート。
母が最初にテレビで観て感動し、私に話して聞かせ、その後テレビで観る機会があって知っていた作品ですが、何十年も前のことなので結構忘れていた場面がありました(ノーカットで観たわけではないのでそのせいもあるかも)。
お気に入りの俳優なので再度劇場で観たかったわけですが、ラストシーンまで(役に入っている彼が)素敵すぎて観終わった後はやや茫然自失。
彼の来歴を再度見直してしまったほどでした。
キャリー役は演技派ジェニファー・ジョーンズですが、この作品での批評はよろしくないようです(ウィリアム・ワイラーの意見に反して、夫である有名プロデューサー、セルズニックがこの役を彼女にやらせたくてキャスティングされたそうなのでその辺もあるのかも)。
チャーリー役は『ローマの休日』のエディ・アルバートで、『ローマの休日』とは全く違う軽薄ぶりで上手かったです。
ウィリアム・ワイラーの作品計7本観て、幸と不幸、富と貧しさ、愛と憎悪、善と悪と対比させ、人間のドラマを鋭く描き、その時代に則した問題作を作り続けてきた監督だったと感じました。
グレッグ・トーランドのカメラ、アルフレッド・ニューマンの音楽等にも触れることができて大満足。
今までウィリアム・ワイラーというと、『ローマの休日』、『友情ある説得』、『大いなる西部』、『ベン・ハー』というイメージを持っていましたが、今回彼の初期作品を含む代表作を観る機会を得ることができて本当に良かったです。
(私が列記した作品を特集に組み入れないところがシネマヴェーラらしくて良いですね!)
ベティ・デイヴィス、グリア・ガースン、オリヴィア・デ・ハヴィランド、オードリー・ヘプバーン等数々の出演者をオスカーに導き、監督作品においてアカデミー男優賞・女優賞の演技部門は14回受賞、ノミネート回数は36回を記録しており、いずれも歴代最多。
自身も3度のアカデミー監督賞受賞、12度ノミネートされている記録は未だに破られていません。
スタジオ関係者からナインティ・テイク・ワイラーとあだ名される程、自分が納得するまで撮り直すほどのこだわりはことに有名。このような演出方針や、彼が完璧な英語を操れないという意思疎通上の問題も一因となって、しばしば俳優やスタッフとの間に軋轢を引き起こしたそうです。
最初観に行ったのが週末の上映初日ということもありましたが、今までよりかなり入っている(6割以上)印象でした。
『嵐が丘』のときは平日初回でしたが、それなりの観客数で、いつもより若干女性が多めだったのは私的に嬉しかったです。