『広島旅行記 ~広島市内~』AI94さんの日記

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日本人として一度は行ってみるべき場所として広島には以前から興味があり、又平清盛が社殿を立てたという厳島神社を是非自分の目で観てみたいと旅行を思い立ちました。

5月下旬のとある日、9時発の新幹線のぞみに乗車。
今回は富士山がもし見えたら・・・と窓際の席を予約したのですが、生憎の曇り空で今回も拝めず残念!(こだまではないので新富士駅、三島駅共に通過していくので、もし見えたとしてもうまく撮影できたか謎ではありますが 苦笑)

13時前に広島駅に到着。
現在駅周辺が工事中になっていましたが、Google Mapを頼りにホテルに無事到着。
荷物を預け、平和記念公園に行きたいことをフロントのスタッフに告げると、平和記念資料館に行くなら広電1番線の袋町からの方が近いので、ここから一番近い稲荷町からの行き方を丁寧に教えてくださいました(原爆ドーム前で下車するものだと思いこんでいましたが、そこからだとかなり距離があったと後で判明、感謝!)。

稲荷町電停は細いホームがあり、そこに路面電車が入ってきたので乗車。
皆乗車時にカードリーダーにかざしていたので同じようにしたらエラーになってしまったようだったので訊くと、MOBIRY DAYSを持っていない場合は下車時に支払いでOKとのこと。
速度はゆっくりめで、バスと電車が一緒になったような交通機関でなかなか良いですね。

袋町から少し歩いていくと平和記念資料館が見えてきました。
駐車場には大型バスが留まり、インバウンドの外国人旅行者も大勢つめかけていて入口付近はかなりの混雑。
切符売り場には係員が居てスムーズに操作でき、館内への入口はわかったのですが、パンフレットも何も置かれておらず(大部分の人はツアーで訪れるためかも)、Informationへ行ってもらいつつおおよそどのくらいかかるのか等訊いてから入場。

入って少ししたところに長い通路があり、止まっては少し進み、止まっては少し進みの大渋滞(かれこれ15分以上かかったような)。
そこを通り抜けたところから写真、被爆者の遺品や残留品等の展示が続き、各々どのように被爆したか、その後どうだったのか等背景を含め物語として綴られていました。

最後の方は原爆がどのように製造され、投下され、その後どうなったか現在に至る歴史が時代順に展示されていました。
特別展示として被爆した広島の各所を撮影した写真展がありました。

かなり見応えある内容でしたが、原爆の惨さ、悲惨さを痛感している外国人(詳しい会話は英語でしか聞き取れませんが)がとても多く、日本人として原爆、戦争には今後断固として反対の声を上げていくべきだと強く感じました。

館内に居たときから雨が降り出したことは気づいていましたが、外に出たときはもうかなりの降りになっていました。

まず原爆死没者慰霊碑に向かった後、平和の灯を右に見ながら原爆の子の像平和の鐘原爆供養塔平和の時計塔のモニュメントを回りました。
平和の鐘のみ唯一屋根があったので中で少し休みましたが、後は広大な公園内に点在しているので、お天気さえもう少し良ければゆっくり見られたのに。。。と思いました。

対岸から右手に原爆ドームが見えてきて、グレーの空にスケルトンになったドームが寂しく映ります。
橋を渡って原爆ドームのすぐ下まで行って見学した頃には夕刻に。
今では世界遺産となった遺構をずっと残し続けてくれた人々の意志の強さを思わざるを得ませんでした。
ずっと土砂降りで、下からも吹き上がってくる雨に履いていたジーパンはもうびしょ濡れになっていました。

爆心地が近くにあると知って歩いて行くと、壁に写真入りのプレートがありました(現在は島外科)。

今では普通に時が流れていますが、この地で被爆された人々がどれだけ多く、そしてその家族が辿ってきた歴史は非常に重く、それを思うと、「きっと涙雨なんだろうな」と感じずにはいられませんでした。
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