『「ミュージカル・ミュージカル」 @シネマヴェーラ渋谷』AI94さんの日記

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AI94 (女性・東京都) 認証済

日記詳細

12月6日(土)から26日(金)まで上記特集上映があり、以下の作品を観てきました。

『コンチネンタル』(1934年)
ロンドンへ行く途中のアメリカ人ダンサーのガイは、税関で出会った女性に一目惚れしてしまう。彼女を忘れることができずロンドン中を捜し回っていると、幸運にも偶然再会を果たすことができた。だがその時も聞き出せたのはミミという名前だけ。
ますます彼女のことを忘れられなくなったガイの様子を、彼の親友の弁護士エグバートは心配するが、実はミミはエグバートの所に離婚相談に来ている客で、そのことにエグバートが気付かないだけなのだった・・・。

アステア&ロジャースコンビ主演による記念すべき第一作。
これより前に『空中レビュー時代』(1933年/RKO)で「キャリオカ」のナンバーにより二人は人気を博していて(主演俳優よりもクローズアップされたほど)、製作主任パンドロ・S・バーマンはこの二人の主演映画を企画し、映画入りする前のアステアが1932年に主演しヒットしたブロードウェイミュージカル『The Gay Divorce(陽気な離婚)』の権利を取得、彼らに出演依頼したという経緯あり。
映画化にあたっては「夜も昼も(”Night and Day”)」以外の舞台版歌曲はすべて削られ、”The Continental”を含む4曲が書きおろされた(”The Continental”は新設されたアカデミー主題歌賞受賞)。

ロジャースに恋焦がれるアステアに、離婚相談中のロジャースが徐々にその気になっていく展開で繰り広げられるダンスナンバーと彼らの踊りがとにかくエレガントで素敵!
コール・ポーターの「夜も昼も」を歌い踊るアステア=ロジャースと、ラスト近くの17分に及ぶエキストラダンサーを含むダンス・シークエンス”The Continental”は圧巻の一言。

エグバート役はエドワード・エヴェレット・ホートン(今年観たルビッチ作品で多数出演していて印象的だった彼をどこかで観たことがあると思ったのは、実はアステア&ロジャース作品だったということを後で調べて知りました)で、彼がビーチ・リゾートで”Let's K-nock K-nees”をコミカルに歌い踊る場面でベティ・グレーブルがメインで歌唱とダンスを披露(“100万ドルの美脚”としてピンナップ・ガールとして人気を博す以前の彼女が見れたのは貴重でした)。


『ロバータ』(1935年)
元スターフットボール選手、ジョン・ケントは、友人のハック・ヘインズと彼のダンスバンドと共にパリへ向かう。
ジョンは流行のドレスショップ「Roberta」のオーナーである叔母のミニーにバンドの職探しの件で助けを求める。そこで彼は、ミニーのチーフアシスタント(実は主任デザイナーでもある)ステファニーに出会い、彼女の美貌に心を奪われる。
一方、ハックは「Roberta」の気難しい顧客シャーウェンカ伯爵夫人に出くわすが、それは誰あろう彼の故郷の恋人リジー・ガッツだった。彼女はハックとそのバンドを自分が勤めているナイトクラブに斡旋してやり、ハックが彼女の正体を秘密にすることを約束する・・・。

アステア=ロジャースコンビによる第3作(振り付けはアステアが担当)。
アイリーン・ダンによるジェローム・カーンの名曲「煙が目にしみる”Smoke Gets in Your Eyes”」の歌唱にのせてアステア=ロジャースが踊るシーンは本作品でのクライマックスで感動的!(真に愛するのはスコットなのに彼女の思いが遂げられず悲しむシーンには涙・・・。『邂逅』で初めて彼女の歌の素晴らしさを知ったのですが、伸びやかなソプラノヴォイスが実に素敵です。)
”I Won’t Dance”、”Lovely to Look At”等のアステア=ロジャースのペアダンスだけでなく、ダンによる歌唱の素晴らしさも楽しめる作品でした。

ダンの相手役ジョンを演じたランドルフ・スコットは、元フットボール選手という役柄にぴったりの長身、体型で若々しくとっても素敵(その後この二人のコンビで2作品作られたとか)。

又、「ロベルタ」で登場する豪華なファッションは見物(後半ファッションショー内でルシル・ボールが豪華な羽飾り付きのマントを身に着けたモデルとして登場)。


『トップハット』(1935年)
アメリカ人ダンサーのジェリー・トラヴァースは、ロンドンの興行師ホレス・ハードウィックがプロデュースするショーに出演するためロンドンにやってくる。ホテルの自室でタップダンスの練習をしていたジェリーは、階下の部屋に宿泊していたモデル、デール・トレモントを起こしてしまう。デールは怒って上の階に文句を言いに来るが、ジェリーは彼女に一目惚れし、ロンドン中を追いかけ回してようやっと親密になる。
ところが、友人マッジから誘われて向かったヴェニスで、デールはジェリーを、マッジの夫であるホレスと勘違いしてしまい・・・。

アステア=ロジャースコンビの最高ヒット作であり、1930年代ミュージカル映画の最高傑作の一つ。
アーヴィング・バーリンのナンバーにのせたダンスシーンを絡めた、極上のすれ違いラブ・コメディ。
二人のダンスシーンは優雅で華麗、洗練されていてただただうっとり、卓越されたステップの技術は本当に凄すぎます!

アステアのタップダンスの音で目覚めてしまったロジャースを眠りにつかせるために床に砂を撒いて優しく踊る”No Strings”、急な雷雨で避難するロジャースを追い、彼女への思いを伝え、最後にロジャースも呼応する“Isn’t This a Lovely Day”、アステアが踊る圧巻のタップソロ“Top Hat, White Tie and Tails”(彼が杖を使った最初のダンスだそう)、ためらいがちなロジャースを引き込み、誘う”Cheek to Cheek”、アステア=ロジャースのラストでのペアダンス“The Piccolino”等。

アステアはこの映画以前にバーリンに会ったことはなかったが、1915年には既に彼の曲で舞台に登場していた。バーリンとは生涯にわたる友情を築き、どの作曲家よりも多くアステアの映画に貢献した(計6本)。『トップ・ハット』でのアステアとの経験について、バーリンは、「彼は作り手にとって真のインスピレーションだ。彼なしでは『トップ・ハット』は書けなかっただろう」と記している。

“Cheek to Cheek”で、スタジオはロジャースのために1,500ドル分のダチョウの羽根が付いたドレス(衣装に関心があったロジャースが自ら創作した)を用意したが、リハーサルで回転するたびに羽根が雲のように散り散りに抜け落ち、アステアはくしゃみが止まらなくなった。衣装係は羽根をすべてドレスに縫い付けると確約し、翌日再度リハーサルが行われるが依然として羽根は抜け続けたので、アステアがロジャースを怒鳴り付け、ロジャースが泣き出し、ステージ・ママとして有名だった彼女の母親が子を守るサイのように彼に襲いかかったという。
最終的に抜け落ちる羽根が無くなるまでテイクが重ねられ、公開分の映像が撮影された(とはいえ、映像を注意深く見ると二人の周囲やフロアーに羽根が散らばっているのがわかる)。
アステアはその後、振付師ハミーズ・パンと共にロジャースにチャームブレスレット用の金の羽を贈り、「羽根・・・私は羽根が嫌いだ。羽が嫌いでほとんど話すこともできない・・・」と”Feathers”という“Cheek to Cheek”の替え唄を歌った。
彼は後に、「コヨーテに襲われたニワトリのようだった。生まれてこのかた、あんなにたくさんの羽を見たことがなかった」と回想、彼女に“フェザーズ”というあだ名をつけ自伝の章のタイトルにし、『イースター・パレード』でこのシーンをパロディーしたほど(英語版Wikipediaより)。

ロンドンの街中でロジャースに再会したアステアが、彼女が乗る馬車の御者に扮する場面で、ロンドン訛りを使っていたところは私的に注目(こういうところ、吹替だとわかりませんよね)。

本作でもエドワード・エヴェレット・ホートンがホレス役で共演。


『気儘時代』(1938年)
弁護士のスティーブン・アーデンは、ラジオ歌手のアマンダ・クーパーと婚約中だったが彼女が何度も破棄するので、親友で精神科医のトニー・フラッグ博士に、彼女の精神分析を依頼する。
トニーは彼女の潜在意識を探り、夢を解釈しようと試みるのだが・・・。

アステア=ロジャースコンビの第8作で、前作『踊らん哉』から16か月の休止期間を経て撮影された。彼らの作品中一番短く、ミュージカル・ナンバーは4曲のみ(すべてアーヴィング・バーリン)。

アステアがハーモニカを吹きタップを踏みながらゴルフ・クラブを握りボールを打つ動作をダンスに取り入れた“Since They Turned 'Loch Lomond' into Swing”は見事過ぎて目が釘付けになりました。(このシーンのリハーサルは2週間かかり、動作の難しさから複数のテイクをつなぎ合わせたもので、通常長回しを好んでいた彼にとっては珍しいなシーンとのこと(英語版Wikipediaより))。
おとぎ話に出てくるような世界観の中二人が踊る“I Used to Be Color Blind”には魅了させられました。

『風と共に去りぬ』の八ティ・マクダニエルが端役で出演。

初見だと思っていたら、結末を知っていたので、かなり以前に録画し再生時にVHSテープ故障で一部観れなかった作品かと思われます。


『カッスル夫妻』(1939年)
1911年、しがない喜劇役者のヴァーノン・カッスルは、海水浴場でアイリーン・フートという娘と知合いになり、彼女の舞踊熱と向上心に刺激され、将来舞踊家として立つ決心をする。2人は数ヵ月に渡って舞踊を研究し練習、それは前人未踏の新領域で、社交ダンスの形式を舞台に生かそうとする試みがあった。
2人は結婚するも、踊りでやっていくための生活は困窮を極める・・・。

海水浴場での犬をきっかけにした出会いから、結婚、ダンサーとしての成功、死別するまでが笑いを交えつつ愛情たっぷりに描かれていました。
有力なエージェント、マギー・サットンの目に留まり、パリの高級レストラン「カフェ・ド・パリ」で新様式の舞踊「カッスル・ウォーク」を発表、一夜にして人気者になり一世を風靡、欧州大戦が勃発すると、イギリス人ヴァーノンは直ちに英国飛行隊に参加し、1917年、米軍飛行家の教官となるも不幸にも墜落惨死を遂げるまでのストーリーがドラマチックで、ラストシーンは思わず涙。。。初見だったことも手伝っていると思いますが、実話を元にしたストーリーだったことが新鮮で、彼らのダンスだけでなく、ストーリーにも胸打たれました。
マギー・サットン役のエドナ・メイ・オリバー、ウォルター役ウォルター・ブレナン等脇役陣の名演技によるところも大きいかと思います。

アステア=ロジャースコンビによる第9作でRKOでの最後の作品。
アイリーン・カッスルが書いた「My Husband and My Memories of Vernon Castle」をベースにした伝記ミュージカル。

一つ前の『気儘時代』とこちらは興行的に振るわなかったそうですが、それは製作費の高騰によるものであり、特に『カッスル夫妻』に関しては時代的背景もあったようです。
アイリーン・キャッスルは本作のアドバイザーを務めたが、衣装の細部、召使ウォルター、ロジャースの髪色等細部に渡って監督と意見が食い違ったそう(とりわけ忠実な召使ウォルターは実は黒人だった)。

この昨品に限らず言えることですが、1930年代初期の女優のメイクは当時の流行もあって細眉、男女共にやや白塗り感強かったのが、本作でのロジャースは自然なメイクアップでとても好感持てただけでなく、彼女の演技力含め今更ながら(失礼!)見直してしまいました。
(アステアの相手役を計10本務めたダンサーとしての技術、悲喜劇までそつなくこなす演技力、そして何よりチャーミングだこと!)


『青春一座』(1939年)
1921年、ヴォードヴィルの演者ジョ・モランは息子の誕生を発表するが、1928年にトーキーが登場するとヴォードヴィルは衰退する。
息子マイケル・“ミッキー”・モランは、父の一座に加わって地方巡業に出たいと申し出たが、まだ若いといって父親から反対される。そこでミッキーは、同年齢の知り合いパッツィ・バートンを主役として子供一座を組織し自分で脚本も書き上げたが、一文無しでは興行も出来ず・・・。

アンディ・ハーディ・シリーズ4作で成功を収めた後のルーニーとガーランドによる主演第2作で、振付師バスビー・バークレーがMGMで全編監督した初作品。
ジュディ・ガーランドの大人びた声質と類まれなる歌唱力はこれ以前の作品で知ってはいましたが(同年の『オズの魔法使い』との対比も必見)、ミッキー・ルーニーが歌って踊り、さらにピアノ、チェロ等弾きながらガーランドにハモらせるシーンではフル回転。
子供一座のリハーサルを指揮するシーンで、クラーク・ゲーブルとライオネル・バリモアを真似て演技指導する場面では笑いこけてしまいました(声色が違うのでその辺は仕方ないものの、セリフ回しや表情はやってくれてます。ここで笑えた方はかなりのクラッシック洋画ファンですね)。
画面狭しと動き回り、何でもやってのける様は正に天才子役の呼び声通りだと、感心しきりでした。
(多才な演技力でキャリアの後半には個性派俳優として名を馳せ、あの名優ローレンス・オリヴィエはかつてルーニーを「史上最高の俳優」と評したそう(英語版Wikipediaより)。)

“Broadway to Hollywood”(1933年)で唄って踊る子供時代の映像(当時12歳)が冒頭で使用されていたのは興味深かったです。

ドン役のダグラス・マクフェイルが子供たちをリードし行進しながら歌う”Babes in Arms”はなかなかの迫力(以前に『ザッツ・エンターテイメント』で音声だけ聞いていて、今回映像を見て自分の記憶と繋がった感じ)。
“Good Morning”、”Singin’ in the Rain(雨に唄えば)”、”The Lady Is a Tramp”等知っている曲も多く楽しめました。


『踊る結婚式』(1941年)
ニューヨークのミュージカル・コメディーの舞台監督マーティン・コートランドは妻にコーラス・ガールのシーラに豪華な腕輪を贈った事を知られ、慌てた彼は振付師ロバートに頼まれたと嘘を付く。嘘を取り繕うためロバートはシーラと仲が良いふりをするが、そのことに気付いたシーラに詰め寄られ窮地に立たされてしまう。運良く徴兵されたロバートは逃れるように軍に入隊するが・・・。

冒頭からアステアとリタ・ヘイワースによるリハーサル場面でのタップダンス(”Rehearsal Duet”)に惹き込まれ、アステアがダンサーに振り付けをしながら踊る“Boogie Barcarolle”、営倉でのアステアの圧倒的なタップ・ソロ“March Milastaire (A-Stairable Rag)”、ルンバのメロディーにのせてアステアが歌いヘイワースと踊る“So Near and Yet So Far”(アステアが初めて披露したラテン・アメリカンダンスと社交ダンスを融合したステップ)、ウェディング・ドレスに身を包んだヘイワースとのダンス”The Wedding Cake Walk”等見どころ満載(音楽担当はコール・ポーター)。

コロンビアでのリタ・ヘイワース初主演作で、これにより彼女は一躍スターダムへ、又アステアもロジャースとのコンビ解消後、本作が自身のキャリアを活性化させたと後に語ったそう(英語版Wikipediaより)。
この後『ギルダ』等のファム・ファタールぶりがぴたりとはまるヘイワースとは全く違い、若々しく、チャーミングなわけですね(当時22歳)。

今特集中一番観たかったのがこの作品で、それはアステアが最も好んだダンス・パートナーとしてヘイワースの名を上げていたからなのですが、今回実際に彼女の踊りを見て、ラテンダンスの基礎があるだけに、体の使い方や動作にしなやかさというか粘りのようなものがあり、間合いの取り方がとても自然でエレガントだと感じました(←あくまでもダンス素人の意見です)。

アステア=ヘイワースのダンスとミュージック・ナンバー、ヘイワースの美貌とスタイル、コメディ要素等見どころあって楽しい作品でした。


『スイング・ホテル』(1942年)
ジム・ハーディ、テッド・ハノーバーとライラ・ディクソンの3人は、マンハッタンのショーに主演していた。
クリスマス・イヴに、ジムはテッドに、ライラと結婚してコネティカットの農場を運営する予定だと打ち明ける。ところがライラはジムに、テッドに恋をしたと告げ、テッドのダンス・パートナーとして残ることになる。傷心のジムは二人に別れを告げ、1人農場へ旅立ち、その場所を祝日のみ営業する「ホリデイ・イン」というホテルに変えることにするが・・・。

堅実な性格のジムをビング・クロスビー、女好きでイカしたテッドをフレッド・アステアが演じていてその対比が面白いです。
年間の祝日をテーマにした楽曲を絡めて二人の恋のさやあてが描かれていますが、クロスビーの歌唱とアステアのダンスが一緒に観られる本作は何とも贅沢過ぎます!

クロスビーが唄うアーヴィング・バーリンの「ホワイト・クリスマス」が大ヒットしたことで有名(アカデミー歌曲賞受賞、最も売れたシングルとしてギネス世界記録として認定)。

「ホワイト・クリスマス」はバーリンが映画『トップ・ハット』(1935年)の撮影中に考案。将来のアステア=ロジャースコンビ作にと、アステアと映画監督のマーク・サンドリッチにメロディーを鼻歌で聞かせた。アステアはその曲が気に入ったがサンドリッチはそうではなかった。
パラマウントでのバーリンの課題は年間の主要な祝日についての曲を書くことだったが、ユダヤ系として育った彼にとって、クリスマスの曲を書くことが最も難しいことだった。1941年、最初のリハーサルでバーリンが「ホワイト・クリスマス」を演奏するのを聞いた時、クロスビーはこの曲の可能性をすぐには感じられず、「この曲なら問題ないと思うよ、アーヴィング」と言っただけだったという。
この映画の製作開始当初、バレンタイン・デーのシーンで流れる”Be Careful, It’s My Heart”の方がより大きなヒットになると予想され、「ホワイト・クリスマス」が象徴的な曲になるとは思われていなかった(英語版Wikipediaより)。

劇中それぞれの祝日を象徴するカレンダーのショットが挿入されるが、11月アニメの七面鳥が第三木曜日と第四木曜日の間を行ったり来たりし、最後に困惑したように肩をすくめるのは、F・ルーズベルト大統領がクリスマス商戦を拡大しようと感謝祭を1週間前倒しすることを宣言し、議会が法律で11月第四木曜日に定めたことで生じた「フランクスギビング論争」への風刺となっている(英語版Wikipediaより)。


『巴里のアメリカ人』(1951年)
一人前の絵描きになることを夢見てジェリーはアメリカからパリへやってきた。アメリカ人富豪ミロに認められるが、それは公私にわたるパトロンとしてのお誘いでもあった。ジェリーはミロと一緒に行ったキャバレーで、偶然見かけた清楚なパリ娘リズに一目惚れしてしまう。
お互いに愛し合う仲になったが、ジェリーはある日、リズに婚約者がいることを告げられる・・・。

ジョージ・ガーシュウィンの名曲に乗せて綴るハリウッド・ミュージカルの傑作(歌詞:弟アイラ・ガーシュイン)。彼が1928年に作曲したジャズの影響を受けた交響詩「An American in Paris」にインスパイアされた作品で、51年度アカデミー賞8部門受賞。

ジーン・ケリー演ずるジェリーが自らを紹介するアパートでの目覚めのシーンから始まりますが、彼の流れるような動き、計算された所作と振り付けに冒頭から惹き込まれてしまいました。
劇中最後の方、ケリーの妄想の中で彼とレスリー・キャロンが踊る17分のバレエ・シークエンスは、ルノワール、ユトリロ、ルソー、ロートレックの作品から構成された舞台美術と衣装も含め圧巻(これ、今だったらCGやAIに頼るところなんでしょうが、全て手作業で製作した映像を観るだけで価値があります。これだけで製作費45万ドルだったとか)!

『ザッツ・エンターテイメント』で断片的に観ていた、ケリーが子供たちと歌う”I Got Rhythm”、セーヌ川のほとりでケリーとキャロンがロマンティックに踊る”Love is Here to Stay”、ジョルジュ・ゲタリーが舞台に作られた階段を上り下りしながらダイナミックに歌う”I’ll Build a Stairway to Paradise”等を今回全編通しで観ることによって繋がり、さらに感動的でした。

ジェリーと同じアパートに住む友人ピアニスト役にオスカー・レヴァント、彼の知り合いの歌手役にジョルジュ・ゲタリーが共演。


一年の最後の月を飾るに相応しいきらびやかなミュージカルの名作の数々を鑑賞出来て本当に良かったです。
アステア=ロジャース作品は『ロバータ』、『カッスル夫妻』以外既に観ていましたが、大好きなので再度劇場で観て、彼らの踊りがどれだけ洗練されていて人の心をとらえたのかを実感した次第です。
1930年代のドル箱コンビ、ルーニー=ガーランドの作品はいくつかある中で最も評価が高かった『青春一座』を選び、ガーランドの歌唱と共にルーニーの凄さに圧倒されました。
ヘイワースと組んだアステアの『踊る結婚式』では彼らの踊りに魅了され、歴史的大ヒットとなる「ホワイト・クリスマス」が唄われた『スイング・ホテル』ではクロスビーとアステア二人の魅力を存分に味わうことができました。
断片的に観ていた『巴里のアメリカ人』を今回全編通して鑑賞し、アステアとは違うケリーの見事さに触れ、名実共に彼の代表作の一つだと確信、とても感動しました(私的には『雨に唄えば』より好きかも)。

他にもアステアの作品がいくつもあり、エスター・ウィリアムズの『世紀の女王』も観てみたかったのですが、スケジュールが折り合わず見送りました(今特集がどれだけ凄かったのかわかりますね!)。


フレッド・アステアが、タップダンス、社交ダンス等を巧みに融合させ、優雅でナチュラルな動きと完璧なリズム、そして日常的な動きと小道具をダンスに革新的に取り入れた点が特徴で、セリフから歌、そしてダンスへとシームレスに繋がる流れを生み出しているのに対し、ジーン・ケリーは、バレエ、タップダンス、アメリカンフォークダンスを融合させた、ダイナミックでアスレチック、力強い全身を使ったエネルギッシュな動きで、ジーンズやスニーカーのような普段着を使って、ダンスをスタジオの外へ持ち込むことに重点を置いていました。
二人がハリウッド黄金期のミュージカル映画とショービジネスの世界にもたらした貢献度は計り知れません。

又このような特集があったら是非ともさらにミュージカルの世界に入り込んでみたいです。
ミュージカル万歳!!
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