2回
2018/02 訪問
【再レビュー】次郎さんは一回り上!・・・西さん、いつまでもお元気で絶品をお願い致します。
2018/02/09 更新
2011/07 訪問
【2011年のレビュー 】手の違い、謙譲の美味しさ・・・・「ぶつぶつ ぶつぶつ いうてますんで、蛸っていわれたんですが、私なんかちっさい飯蛸ですわ」・・・
「一夜かぎりでも・・・・」・・・と、またまた、好きなレビューアーさんのレビュータイトルを頭の中で何度も何度も繰り返し、そして口にし、それ故、行く機会を得、その日が来るのを心待ちにしていた4月のある夜。
遅刻は絶対に許されないとの、厳命を受け、珍しく15分も前には昔田村町と言われた界隈をそぞろ歩いて目立つ京味の看板だけでもこっそり被写体に収めようと店の近くに接近。
すると、目線の先に帰られるお客様を待つ黒塗りのお車と、お客様をお送りしようとされている、ご主人、奥様、お弟子さんたちの出入りが慌しくなる光景が広がり・・・画面の向こうで見知ったような方々のお見送りでした。
それはそうですね、こちらは黒塗りの車を呼ぶようなお店だった、そんなことは日常茶飯事。
店に近づくだけでも緊張するのに、益々背筋が伸びます。
8時半の約束時刻にはまだ早く全員が揃ってなかったけれど、寒いからお店に入ってください、と再び厨房脇からひょこっと現われたご主人に促され、広いとは言えない入り口にてコートを預け、カウンター席に。
広いとは言えないカウンターの中にはお弟子さんが沢山おられて、準備をされています。私はといえば、初めて見る店内の中央奥に今日の主役の筍が真っ黒黒焦げに焼かれているのを見て(アンナニクロコゲニシタラ、食ウベラレルトコロホンノスコシ????)と、心の中のメモ帳に書き込みしつつ、予約をされてご一緒していただいた常連さんと一番 弟子さんらしい方との会話を聞きつつ、戴いたほうじ茶をがぶ飲みしないよう、でも間が持てず、何回も飲んで緊張をほぐすのに精一杯。(ダメデスネ)
でも、案外ご主人は気さくな方のようで、席はもう少し真ん中に移ってみたらどうか、などと言いながら席の後ろからひょいと手を伸ばして、箸やナプキンを移動させてくれようとしたりして・・・一見さんは真ん中に座らせるようにする、と・・このレビューを書くにあたり、先行レビューを読んだら書いてありましたけれど、その心遣いだったのでしょうか。
いずれにしても全員揃ったところで、おそるおそる生ビールを注文して・・同時に先付がきます。
一番のお弟子さんと思われる方に、かるーく試験されてしまいました。一番左端のこれ、季節の何に見える?
先の方がくるりんとしていて、その上に木の芽のソースがかかり、根元のほうは食紅のように赤い色になっていて・・・えっと・・えっと、海老・・じゃないし・・降参。正解は表面に木の芽ソースと黄身を塗って軽くあぶって“蕨“にみたてた烏賊・・・ごめんなさい、わかりませんでした。一番弟子さん、すかさず弟弟子さんの名前を呼んで、「見えないって(お客さんに)言われたよ、精進足りないってな・・」・っておっしゃっていましたが、むしろ、(一見の)こちらの常識と想像力を試されているようで、情けなく申し訳ない気持ちになってしまいました。
先付けはその他、、桜の葉で軽く締めた鯛の一口握りと湯がいた菜の花・・・と春が表現されていましたね。
お次は 豆腐田楽 木の芽味噌を塗ってありますが、ここまでは、緊張の部分を除いてしまうと特段特筆するような味なのか?といわれると、正直そこまでの味には感じる舌ではなかったコトを告白しておきます。でも京料理というものがあるとすれば、私の中での京料理で戴く田楽はこうあるべきだろうな・・・というど真ん中の味ではありました。たぶん木の芽味噌は 木の芽だけでなく、あまり香りのない青物を混ぜて甘くしたててあったからではないかと。田楽豆腐は長方形ではなく台形になっていて、それが美しく見せ、食べやすさにも繋がっている術だということは感じとりました。が・・そんな術はどこの一流店でも行っているのかもしれませんけどね。
そして、更に、あまり得意ではない豆の煮物。紀州のうすい豆をほんのり甘く炊いたものですね
残してはいけないという一心で戴きましたが、得意でないものを克服する程の輝きがあったか・・といわれると、それも、その域に達しているとはいえないと思ったことも告白しておきます。
その間、目の前ではご主人の西さんが、決して流麗とはいえぬ手つきで、先ほど来気になっていた、真っ黒くろこげで、相当熱いと思われるたけのこを、ざくっつ、ざくっと、私だったら、そんなに外側削ったらもったいない!といいたくなるほど、穂の部分や、外側の部分を大胆に切り落としていかれる光景が広がっていました。大胆に切り落としていかれる割には、焦げた破片がまだ少しついたような状態のまま、しかも、乱切りのような感じで「今年の筍(モチロン京都の筍の話をされているわけですが)はデキがよろしくない」等というお話をされながら切り分けられて、かなり無造作な手つきで木の芽のみじん切りを入れた醤油を刷毛でさっと塗られる姿を見て(アリャリャ、案外ザックリ系ドスナ・・トヘンテコ京弁デ)心のノートに加筆しておきました。ところが・・いざ、戴いてみると、これが、あまりにも絶妙なほっくり感とほんのりとした苦味(えぐみではなく本来あるべき舌に痛くない苦味ですね)といった 筍本来の旨みが木の芽出汁醤油の爽やかな香りとともに口の中に広がって・・・・・いやいや、この味を出すために、あのざっくりとした手さばきが必要だったのか・・・とまたまた心のノートに書き留めました。もちろん素材とかいいますけれど、もし 「味を迎えに行く」を信条とされていると言われる西さんという料理人の方の腕とはどういうものなのかについて 私の舌のレベルで解答しようとすれば、きっと、この美味しさを引き出す(ぱっと見ざっくりとしたような)「手」のとり方、なのかもしれない・・と感じた瞬間でした。 何故かといえば、独立したお弟子さんのお店で同じ方法で焼かれた筍を戴いても感じることのできなかった、素材だけではない、引き出した美味しさが舌の上を転がったからです。まっつ、一期一会のことですので、断定はできませんがね。
そして、その幸せな気持ちを更に高めたのが次に出された御椀です。
軽くあぶった湯葉とともに金目鯛を御椀にしたてたものですが、お出汁のおいしさが染みわたる感じです。色々な方から『京味』さんは塩気が強いと伺っていたので、塩気の濃いのが苦手な私は覚悟をしていたのですが、この御椀の出汁では、塩気よりも旨味が勝っていて、心洗われる美味しさでした。
この御椀を戴く前くらいから板場では、金串にさした鰹をあぶる作業が開始されていました。次は鰹が出てくるのね・・と話をしながら、最初はお弟子さんが炙られて、師匠であるご主人が切り分け、酢橘をたっぷりかける動作を見ていたわけですが、そのうちご主人自ら炙り始めました。熱い炎の上での作業への向き合い方の違いが見て取れ、興味深かった(いとおかし・・)ですね。
その鰹、ご主人曰く、最初の一枚は添えた醤油を使わずに召し上がってくださいとのお話でしたが、いやいや、本当に醤油入らずのふわっとした良いお味。鰹のたたきって、専門店ですらなんか、こう赤い身のところが固いというのか、プラスティックのような無機質な味がするものが多くてあまり好きになれなかったのですが、これは本当に「味を迎えに行った」結果なんでしょうかね。素人の私には「美味しい」のコトバしかいえませんが、御造りでなかなか感動したことがなかっただけに、印象的な味でした。鰹以外に下に独活かな?硬くて少々えぐみのある白い拍子木状のものは。浜防風がそえられていましたね。
お次は揚げ物~小柱と空豆の天ぷらです。小柱がほこほこしておいしかったなぁ。
更に、筍 鯛のこ 蕗の炊き合わせが出てくるとテンションあがります。鯛の子も季節ものですからね・そして。小柱だけではなくおこぜの天ぷらも出てきちゃいました。ししとう素あげが添えられていました。
私が至福を感じたのは中に雲丹を忍ばせた蓮根まんじゅう 葛あん仕立てです。チョット前から、蓮根饅頭を手で成形されているのが目の端にはいっていたわけですけれど、なんといっても葛あんのお出汁の美味しいこと。あー、とろけてしまう。
そうして、ごはんになりました。期待に反して、単独ではなくグリーンピースと筍のまぜごはんでした。うすい豆に引き続きの豆攻撃には閉口するところですが、これはそれほど違和感なく食べられてよかった。そして、名物という鮭のはらすごはん。ごはんの量より鮭のはらすが多く、もう詰め込むのが必死。おなかが一杯だったからか、ちょっと、Too Much感は否めません。あー20代だったらなぁ・・でも20代では、こんなところには伺えませんね。
そしてフィナーレは葛切りです。筍を切り分けているときと同様、雑談をされながら、かなり無造作に作られている時には、そんなに違うなんて思いませんでした、正直。
ご主人の手になるものは、薄―くて、お誘い頂いた方に「味が(お弟子さんの店で同じ作りかたで出して)戴くものとは)全然違うでしょ?」と囁かれました、確かに、同じ葛きりだけど、師匠と弟子には、その食感に相当の開きがあるように思えます。・・というか、この葛きり、舌に転がったときの感触が艶っぽく、優しい。これを戴けただけでも、相当の価値があるように思います。まぁ、ご主人そのものが、未だ勉強とおっしゃっているわけですから、(お弟子さんが)どんなに腕がある方だったとしても一朝一夕では追いつけないテクニックというのか、「手」なのでしょう。きっと、この「手」に惹かれて皆さん安くはない金額(この日は35000円)を払ってもおでかけになるのでしょうし、でも、そのお金を超えた価値があるんだなぁと感じることができただけでも素晴らしい夜でした。
今度はいつ もぐりこむことができるかしら??
・・そう思っていたら、願いは通ずる・・・
という訳で、夏の陣に伺うことができました。今度は正面ではなく脇の入り口から入る二階の個室のお席です。脇の入り口といったって、正面より間口や暖簾の幅が広いように思います。左手にカウンター席の前の調理場が見える入り口をはいって、階段を昇ると右側に簡単な調理ブース、こちらで、何かをこしらえているかどうかじゃ残念ながら見ることができません。つまりカウンター席のようにご主人の手元を眺めることは勿論、お弟子さんたちの動きを粒さに観察することはできないのが難点ですが、その代わり、他のお客様に迷惑をかけずにくつろぐことができるという訳です。ま。もともと接待等に使われるような割烹なら他のお客様に話の内容が届かないようにするのは当然でしょうけど。うすうす、そういう事であるのではないか、と思っていましたが、先行レビューで写真がアップされていた謎も解けました。一階はご主人の目が届く範囲でもあり、個室であっても、写真を撮るのもご法度のように伺っていたのですが、二階は写真もメモも自由なようです。(撮らせては戴きましたが、アップするのはやっぱり遠慮しておきます。)
さて、夏の陣は鱧がメインです。大好物ですから、堪能しました。鱧寿司に始まり、骨のから揚げや湯引きの鱧と湯通しだけした半生の鱧、鱧の子のゼリー寄せ、、鱧そうめん、ぼたん鱧の御椀・・・と、鱧づくしの様相を見せながらも、とろろあわびのすり流し、ふきとずいきを炊いたもの、鮎の塩焼き、刺身(鰈と鯛)、鯛の子の炊き合わせ等等、これでもかとやってくる美味しい襲撃にノックアウトされつつも、二階という気軽さもあり、大盛り上がり・・・
途中でちゃんと西さんも上がってらして、でもお座敷のへり、というか部屋の入り口のところでへりくだってご挨拶かたがた、今年の松茸は収穫が大変かもしれない・・との話をされていました。こちらでは京都のものは松茸だけど、その他は「きのこ」なんですね。あっ、筍の時もそうでしたね。
勿論、帰りもお見送り頂いたわけですか、やはり二階となると個室の気楽さも手伝って、また一階のカウンターのように西さんを始めとした料理人の皆さんの緊張感をじかに感じることができないこともあり、写真で味を追ってしまう感じです。確かに、ご法度の方が緊張感あって舌にも心にもぐっと残ります。二階では、必死に出てきたものを頭の中のカメラに収めながら、料理に向き合った一階とはどうしても違ってしまうのはいたし方ないかもしれませんね。どちらが良いかは好き好きだと思いますが、私的には、今年はかなうことのなかったきのこでない松茸をいただける日が来ることをまた念じるしかありません。ごちそうさまでした。
2018/02/09 更新
先日の食べログアワードで、なんと西さんが登場された!という噂は、あっという間にグルメ仲間の中で話題になっていましたねぇ。
失礼な人は、食べログなんか(←これが失礼な物言いと思いますが)に登場されたという事は、もう、最後(の花道)なんじゃないか(↞益々失礼な物言い)と、迄言っているのを耳にして、それはないんじゃないかと思い、久しぶりに重い腰を上げて、再レビューというか、書き込みをさせていただきます。
確かに膝の手術をされたりしてからは、調理場で手を動かしておられる時間は以前より短くなったかもしれないですけど、そもそも、(昔は知りませんが)大将が100%作っておられるわけではないですしね。 むしろ、こちらの凄さって、大将が手を動かしておられなくても、笠井さん(も60歳代後半に入られていると、去年の秋に聞いてびっくり)以下の「チーム」で非常にクオリティの高い、つまり、誰が関わっているかに関わらず「京味」というクオリティの一品一品が出てくる事ではないかと、(他の店のように定期的には通えていない私が言うのもなんですが)思うわけです。
つまり手を動かされていなかったとしても、西さんがいらっしゃるというだけでも(なのか)凄い。勿論、どこがどう違うかはわかりませんが、〆の葛切りは西さんが温めて、こそげないと、あの味にならないのが、不思議なくらい、違うレベルのお味ですから、全ての品をご自身で扱われていたら、満点をだしたくない私でも満点つけちゃうかも・・・
さて、失礼なもの言いをされる方の根拠として、昨今、ご自身がもうお歳であることについて「弱気」と聞こえそうな発言をされるから、という事もあるかもしれません。なので、昨年の秋に松茸を戴きに伺えるという行幸を得た際には。「もう、最後かな・・・」って私も思っちゃったもんです。でもね、今回「最近次郎さんのところに行った、次郎さんは僕の一回り上の93歳」とおっしゃっていた、またまた弱気に聞こえる口ぶりの奥底に秘めた思いがちらと垣間聞こえたと思ったのは私だけではない気がいたします。
帰りに丁寧にご挨拶戴いた際に握った両手の外側は固くでも内側がやらかい感触に、いつまでも、いつまでもお元気でチーム京味のクオリティを誇れる絶品を提供して欲しいものだと感じいったものでございます。
あ、今回は津居山の蟹づくし、お鍋のお風呂に浸かった熱い蟹を瞬く間にほぐしていくお姿は自然体で無駄がありませんでした。蟹がおいしいのは言うまでもなし。野菜だけの粕汁、芽芋の吉野葛でたいたんが広口の器で出てきたのは、それまで汁ものが続いたからかなーー等一品一品の出し方の配慮も、その日の天候や、客の履歴等すべてを考えて出しておられて、満足です。
以下、2011年、渾身のレビュー:すごく一生懸命書いたので、もう次からは書く事がないと思い、更新してなかったんでですね。)
(2011年当時は採点の刻みが0.5単位でした。 満点をつけるのは控えているので 総合4.5(味 4.5.サービス 4.1 雰囲気4.0.CP3.5 酒 3.0と書かせて頂いております。)