『「久留米ちゃんぽん」とは!?』ryu5papaさんの日記

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久留米ラーメン伝道師ryu5papa

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「久留米ちゃんぽん」とは!?
いま全国的にブームの兆しをみせる“ちゃんぽん”。この数年は「食堂系」・「ラーメン系」・「屋台系」・「ちゃんぽん専門店」と、久留米でもちゃんぽんは人気急上昇です。その“歴史と真実”を、さっそく紐解いて行くとしましょう。それでは『“久留米ちゃんぽん”とは!?』の始まりです!

【長崎ちゃんぽん】 「ちゃんぽん」は、1899年(明治32年)創業の中華料理店「四海楼」の初代・陳平順(ちんへいじゅん)氏により、福建省料理の「湯肉絲麺(とんにいしいめん)」をもとに考案されました。若い時に苦労し世話好きでもあった平順氏は、長崎に渡航してくる華僑や留学生の粗末な食生活を見かね、安くて栄養のあるものを食べさせたいとの想いから、故郷である福建省の「中華」の知識と、長崎の野菜・肉・魚介類など旬の幸「和」の素材を融合した創作麺料理を完成させました。それが「長崎ちゃんぽん」の始まりです。

【チャンポンって共通語!?】 『ちゃんぽんの語源』については諸説ありますが、ポルトガル語で「チャンポン=混合する」が訛ったもの、韓国語でも「チャンポン=ごちゃ混ぜ」沖縄では「チャンプルー=混ぜこぜにした」などで、なんと!偶然にも、各国とも言葉のニュアンスは酷似しているのです。 同じく長崎ちゃんぽん、「肉」「野菜」「魚介類」「麺」などを一緒に料理する、或いは「日本」と「中国」の“食文化を混合する”ということで、それが「ちゃんぽん」という料理名になったとも云われています。俗に数種類のお酒を一緒に飲むことを“ちゃんぽんにする”とか言いますが、共通するのは“混ぜ合わせる”ということのようです。

【支那うどん=ちゃんぽん?】 ちゃんぽんの語源には、まだまだあります。実は!最初、「ちゃんぽん」は「支那饂飩(しなうどん)」という料理名でした。それがいつしか「ちゃんぽん」と呼ばれるようになったということですが、これにも有力な一説があります。

【チャンポンは“あいさつ”!?】 それは、中国の福建語で、「吃飯(シャポン)」という“ご飯を食べる”という意味の言葉。当時、食うや食わずの貧しかった華僑や留学生にとって、日々を生きていく上で最大の関心事は、まず第一に「食べる事」。 それで、親しい人たちの間では「ご飯は食べましたか?」というのが日常の挨拶だったらしく「食事していない」と答えると「では、うちで食べて行きなさい。」という会話が盛んにあったらしく、挨拶の言葉である「吃飯」(シャポン)が、日本人の耳には「ちゃんぽん」と聞こえたため、本来は“食事をする”という意味の「吃飯(シャポン)」が訛って「チャンポン」になり、「支那うどん」のことが「ちゃんぽん」と呼ばれるようになったそうです。 まさに「語源」から「料理名」まで、全部“ごちゃ混ぜのちゃんぽん”ですね(笑)

【ちゃんぽんはジャパニーズ中華!?】 こういう経緯で誕生したのが「長崎ちゃんぽん」です。だから“ちゃんぽん”は一部に思われているように、本場の中国から直接もたらされた料理ではなく、日本と中華の合作であり“日本生まれの中華料理”なのです。それが大評判になり“長崎の郷土料理”として定着し、その後全国に広がっていったそうです。

【久留米ちゃんぽんのルーツ光華楼】 では、そんな長崎生まれの「ちゃんぽん」は久留米に一体どのようにして伝わったのでしょうか?“久留米ちゃんぽんの発祥”は、筑後地区初の中華料理店で大正6年(1917年)創業の「光華楼」です。光華楼は、長崎の「四海楼」と縁戚関係のため、この直系ルートが光華楼(久留米ちゃんぽん)のルーツと考えられます。また光華楼は、かつて“九州三大ちゃんぽん”「長崎の四海楼」・「福岡の福新楼」・「久留米の光華楼」と評されるほど有名でした。久留米ラーメンの元祖である「南京千両」の宮本夫妻は、開業する祭に光華楼に通って、ラーメンの味の研究をしたそうで、その後の久留米ラーメンにも影響を与えたと云われています。

【中華料理から食堂のメニューへ】 光華楼により伝わった久留米のちゃんぽんですが、当時の中華料理は高級料理であり一般庶民にとっては高根の花。そうそう気軽に行けるところではありませんでした。 しかし、「美味しいちゃんぽんを食べたい!」それならなんとかするのが“久留米商人魂”。光華楼に影響を受けた『食堂』が、高級食材の“海老・イカ”を“かまぼこ・ちくわ”などの具材に代え安価に提供したおかげで、ちゃんぽんは一般にも急激に広がっていきました。

【「ちゃんぽん」と「焼きめし」の共通点】 あれっ!?でもこれってどこかで聞いたような話だと思いませんか!? 久留米を良く知る皆さんなら、もう既にお気付きですよね(笑)。そう!この「久留米ちゃんぽん」は、以前コラムでもご紹介した「久留米焼きめし」と、まったく同じようなルートを辿っているのです!そう考えると、中華の老舗光華楼」と、久留米の「食堂」は密接な関係にあり、どちらも“久留米の食文化”に多大な影響と貢献をもたらしてきたのかが伺えますね。

【ちゃんぽんは、医食同源】 こうして食堂の定番になった「ちゃんぽん」は、昭和初期から戦後を経て高度成長期に至るまで“食堂の花形メニュー”でした。昔の久留米をよく知る方の話によると、生きるために一生懸命だった時代、娯楽も映画くらいしかなかったこの頃、当時の久留米の若者のデートコースといえば「六ッ門で映画を観て→井筒屋デパートで買いもの→帰りに三潴屋でちゃんぽんを食べる」のがステータスだったと聞きます。 戦後の貧困の時代には、栄養価の高い食事というのは、理に適っていますし、正に時代を感じるエピソードですし、これには、長崎ちゃんぽんが華僑の人たちの食事情を解消するために発明された時と同じ空気を感じます。そういう意味においても「ちゃんぽん」は、昭和を代表する名物料理であり、美味しくてバランスのとれた究極の健康メニュー。 まさに『医食同源』ですね。

【食堂に「うどん」があるのは何故か?】 少し本題から逸れますが、昔からの食堂には「ちゃんぽん」に並んで、必ずといって良いほどメニューに「うどん」がありました。前は不思議にも思わなかったのですが、よく考えてみると「うどんは、うどん屋で食べる」場合が多いと思うのです。それなのになぜ食堂のメニューにうどんがあるのか?という疑問。しかし、最近になってその理由が判ってきました。

【食堂のちゃんぽんが旨いわけ】 むかしの久留米の「食堂」は、今と少し店の営業形態が違っていました。 うどんは、食堂メニューの中の一品であり、現在のように「うどん屋さん」という専門店は無く、うどんは「食堂」で食べるものだったのです。つまり、「食堂=うどん屋」という図式が成り立ちます。 だから「食堂系のちゃんぽん」には“和風(うどん)出汁”の店が多いのです。俗にむかしから“蕎麦屋のカツ丼は出汁良いから美味しい”と云われるように、うどん出汁で作るから“食堂系のちゃんぽん”が旨いのは至極当然なのです! 【ラーメン系のちゃんぽん】 ラーメン系のちゃんぽんは、“食堂派生型”“ラーメンは派生型”に分れます。「ラーメン系ちゃんぽん」の特徴は、創業から長年継ぎ足してきた豚骨スープが決め手だといえるでしょう。昔から“久留米のラーメン屋さんは、ちゃんぽんも美味しい”と云われてきましたが、こう考えると当然納得の結果ですね。

【ちゃんぽん暗黒の時代】 そんな一時代を築いた、久留米のちゃんぽんですが、日陰の時代もありました。それは、日本が高度成長期だった、いわゆる大量生産大量消費で使い捨ての時代です。さらに、食の欧米化により、「食堂よりもレストラン」「和食から洋食」で、ハンバーグやステーキなど、ご馳走といえば“肉の時代”。日本人の「食の嗜好」が一気に変わっていきました。 それでも、屋台や専門店で絶大な人気になったラーメンはに対し、食堂や家庭で食べる“健康なイメージ”が強かったちゃんぽんは、徐々に影を潜め地味な存在になっていったのです。

【ちゃんぽんの黒船到来!】 そして高度経済成長期も終わり、日本の「食」が更に多様化してきた頃、久留米にも本場の長崎ちゃんぽんが進出してきました。それが「長崎ちゃんぽんリンガーハット」でした。それは正に、ちゃんぽんの黒船到来!オープンキッチンで中華鍋を振り、大迫力の強火で一気に具材を炒めるその様は圧巻!!久留米でも一躍大人気になりました。思うに、私の年代(四十代後半)以下の方達の「美味しいちゃんぽんの記憶」は、この辺りからなのではないか?と思います。

【屋台系ちゃんぽんで全国区になった武ちゃん】 そして数年後、長崎からの黒船が起こした本格的なちゃんぽんが、久留米の「屋台系ちゃんぽん」に引き継がれていきました。ちゃんぽん専門店と同じく、目の前の至近距離ライブで作るちゃんぽんは、さらに圧巻の大迫力!!感動的でたちまち久留米でも大人気になりました。特に屋台系ちゃんぽんの老舗で大人気店の「屋台 武ちゃん」が、久留米のちゃんぽんに与えた功績は大きく、噂を聞きつけたファンが、ちゃんぽんの本場長崎や全国各地からぞくぞく押掛けたのです。因みに、久留米で屋台系のちゃんぽんには、あさり貝が入っている店が多いのですが、聞くところによると、これは「屋台 武ちゃん」が発祥とのこと。こうして久留米のちゃんぽんは更に進化していったのです。

【全国にちゃんぽんブーム到来!!】 そして近年、「ちゃんぽん」は、B級グルメブームや町おこしで、各地に広がりをみせ、「天草」「佐賀」「戸畑」「水俣」「小浜」など、いろんなご当地ちゃんぽんが花盛りです。知名度こそ遅れを取っていますが、我が久留米のちゃんぽんは元々歴史もあり、他のちゃんぽんと比較しても決して見劣りしない実力店がたくさんあります。 【久留米4代ちゃんぽん】 久留米のちゃんぽんは、元祖の光華楼に始まり、いまでは「食堂系」「ラーメン系」「屋台系」「専門店系」の大きく分けると4つに分類されます。これがB級グルメの聖地久留米のちゃんぽんなのです。

【ちゃんぽん食べ歩き】 さて今回の久留米ちゃんぽんのお話は如何でした?『灯台下暗し』。B級グルメの聖地久留米は「ラーメン」「焼きめし」「焼きとり」のみならず、「久留米ちゃんぽん」も超一級品なのです!久留米の地元のかたも遠方からお越しになるお客さまも、いろんなお店のちゃんぽんを食べ歩きしてみて下さい。
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