『直島:地中美術館 ジェームスタレル「オープンスカイ」ナイトプログラム』コロコロさんの日記

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コロコロ

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地中美術館を鑑賞したあとは、ナイトプログラムです。

■限定開催
この作品は、閉館後、夕暮れ、日没の時間に合わせて行われます。
そのため、季節によって開催時間が異なります。
しかも、開催されるのは、金・土曜のみです。
1回の定員が40名ほどで、予約が必要。
その予約も早いうちに埋まってしまうので、
計画的に予定に組み込まないとなかなか参加しにくいハードルの高い催しです。


■帰りの交通手段の確保
しかも終了時間には、巡回バスがありません
ベネッセハウスに宿泊していれば送迎バスでお迎えがありますが、
宿泊していないと、歩いて帰るか、自転車で帰るかです。
自家用車でフェリーで訪れ帰るという方法がありますが、
プログラム終了時には最終フェリーは出たあとです。
島内に宿泊場所を確保しておく必要があります。

あるいは、直島に1台しかないタクシーを予約しておくか・・・
一台しかないタクシーともなれば、早いものがちで、確保はむずかしそうです。
見学の予約をするのも大変なのですが、帰りのことまで考えなければならず、
参加するには、かなり大変なプログラムなのです。

わたしたちは、ダメもとで2週間前ぐらいにタクシーを予約しました。
意外にもすんなり予約ができてびっくり。
島に1台しかないタクシーともなれば、ナイトプログラムの参加者で、
取り合い状態かと思っていたのですが・・・・

みんながみんな、ベネッセハウスに宿泊しているとも考えられません。
他の人たちはどうするんだろう・・・と逆に心配していました。

当日、蓋をあけてみれば、予約を入れたのが私たちが一番最初だったようです。
40人参加した人たちの足は、どうしているのだろうと思っていたら、
自転車で帰る人たちがほとんどでした。
直島に来る人たちは、若い方が多いのです。
そのほとんどが、レンタサイクルを使って、近隣の宿に泊まっているようでした。

プログラムに参加した日は、ベネッセハウスの宿泊ではありませんでした。
しかし、前日に宿泊していたため、荷物をパーク棟に預けたまま
翌日の午前中は、三菱プラント見学へ、そして午後は地中美術館へ、
そして、ナイトプログラムに参加し、送迎バスでパーク棟まで送っていただきました。
朝、預けた荷物をピックアップして、タクシーのお迎えを待ち、
次の予約をしていた民宿へ移動という、願ってもない素晴らしい行程となったのでした。

宿泊者専用のバスの利用を、翌日お願いすることができないか、
また、その日は、荷物を一日、持ち歩いて移動しないといけなく、
宮浦のコインロッカーに預けても、すぐに取り出さねばなりません。
京都などの観光地では、荷物をホテルからホテルへの搬送する
サービスがあるのだけども、そのようなサービスはないか
という相談を事前にしていたところ、
そのまま荷物を預かり、宿泊者専用のバスで帰ってきていただき、
そこからタクシーで移動するという方法をご提案をしていただきました。

こういうかゆいところに手が届くサービスを受けることができるのも、
ベネッセハウスに宿泊するメリットだと思いました。


タクシーの到着が予定より、若干、遅くなったのですが、
宮浦方面に帰る人たちを一度乗せて送ってから戻り、
別の方向に向かう人たちを乗せて、下してから来られたとのこと。

島に一台のタクシーと聞いて、都心のタクシーを思い浮かべていたのですが、
乗り合いができる大型タクシーだったのでした。
帰る場所に応じて、ピストン輸送で乗車できるので、
なんとか、なるものです。



このプログラムは、wiki pedhiaによれば
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室内の天井全体が取り払われ、
空の色の補色が白いはずの壁一面を覆うように感じる。
日没時に開催されるツアー(オープン・スカイ・ナイト・プログラム。)では、
壁の影に埋め込まれたLEDが様々な色に変化することで、
空と壁が様々な色に変わるような感覚を起こされる。
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こればかりは、体験しないとわかりません。
すでに2か月もたっており、また、途中、眠くなってうとうとしてしまって、
記憶が断片的というか、ほとんど失っています。
残っているのは印象だけ。

そして、鑑賞する椅子が固く、その角度がどう考えても、
楽な鑑賞ができる角度にはなっておらず、とても首が疲れたこと。
腰がいたい・・・・  首が痛い・・・・・
なんで、もう少し鑑賞に適した椅子の角度にしなかったんだろう・・・・
せめて角度ぐらいは、考えてもいいのに・・・・
そんなことばかり考えていたことが、強く印象に残っています。
この椅子の設計は、安藤忠雄の意向なのか、タレルの意向なのか・・・・

美術関係者(学生)らしきグループの人たちも同様のことを話していました。
その中の一人が、「椅子の角度を変えて、負担がないように角度をつけると、
きっと、見えてはいけないものが、みえちゃうんだよ・・・」と言っていて、
なるほど・・・・ と妙に納得してしまいました。


■不思議な映像体験のトリック
ぽっかりと空いた四角い空間に、いろいろな映像が映し出されました。
どうしてそんなことができるのか・・・・・
ずっとそのことばかり考えていました。
光を空中に向けて放射した場合、それは通り抜けてしまい映像にはなりません。
しかし、四角い枠の中で動画のように映像が映し出されていました。

ずっと目をこらしていて、やっとそのトリック、私はわかった! 
と思って終わってから意気揚々と主人に話していました。

「あの映像のしかけわかった?  なんであんな風に見えるのか・・・・
 あのぽっかり空いた空間に、実は目には見えないスクリーンが張られていたのよ。
 そのスクリーンに向けて、投影しているから、光が通り抜けずに
 ああいいう映像が移せるってことなのよ・・・・」

「そうかぁ・・・・  そんなものなかったと思うけど・・・・」

「やだ~、気づかなかったの?  甘い、甘い・・・
 それを見えないように作るのが、技術だし仕掛けってことなのよ・・・・」


おそらくここにいる人たちも、だれも気付けてないはず。
自分だけがみつけたトリック・・・・と思ってちょっと悦に入っていました。

ところが・・・・


■トリック解明ならず
家プロジェクトツアーで、案内の方と
タレルの作品のことについて話していました。

「ナイトプログラムの映像は、あのぽっかり空いた空間に、
 見えない繊維のようなもので作った、スクリーン張ってません?」

と私、気づいちゃったんですよ・・・・と言わんばかりに
ちょっと得意げに聞いてみました。

すると・・・・・

「スクリーンは張ってないですよ・・・・・」

え~、そうなんですか? がっかり・・・・
私だけが仕組みを、解明したぞと思っていたのに・・・・(笑)

それにしても、スクリーンを張ってあるかのように見せたタレルに、
まんまとひっかかってしまいました。


ジェームスタレルは、知覚心理学の学士号を取得し、
数学、地質学、天文学を学んでいたそうです。

エッシャーを見たあとに、タレルとエッシャーに何か共通点
ベースのようなものを感じさせられていたのは、
まんざら違ってはいなさそうです。



調べてみると、タレルの作品については、文献のようなものが
あるようなので、それを見ればより詳しいことがわかりそうです。
でもまだ、それは見ずに、想像して楽しもうと思います。
次に訪れるときのお楽しみにとっておこうかと・・・・



■思い出しながら・・・・
「見た」という記憶というものは、いかに曖昧であるか・・・・

それは、10年の年月を経て、感じたことでもあるのですが、
たった2か月という時間の経過ですら、彼方に追いやられていることがあります。

ところが、ナイトプログラムに参加された方の記録から
呼びおこさせれてきます。


■《オープンスカイ》ナイトプログラムについて
ぽっかりと空いた空・・・・・
それは、ベネッセミュージアムの安田侃「天秘」が置かれた空間と
考え方は同じだと思いました。
空を四角いフレームで切り取ることによって
その中に存在する雲や月、星、
そして背景としての空の色の変化
雲の動きによって風を感じ、あらゆる自然の中に存在するものが、
アートとう枠組みの中で凝縮される。

日没の日の陰りは実にゆるやかで緩慢です。
そんな空のバックスクリーンに対して、緩やかな変化を手助けするように、
建物の壁の影に埋め込まれたLEDの光が、微妙に変化して、
気づくか気づかないかの緩やかな変化をもたらします。

これは、色というものが相対的であることを示していることで、
同じ色も回りの色によって、見え方が変わる。
そんなことを表現するためのものだろう・・・と思いながらも、
緩慢な変化は、それを認めるまでには至りません。

緩やかな変化は、眠りを誘います。
ふっと、睡魔に襲われ、はっと気づくと色が変わっています。
変化の瞬間を見逃してしまった・・・・
そんなことを何度となく繰り返していました。
気が付けば、あたりは、暗闇となり星がまたたいています。

軽い睡魔による変化の脱落
これはもしかすると、それによって変化をより一層
明らかにさせられていたのかも・・・・
緩やかなな変化は、気づかぬうちにいつのまにか闇に・・・・
しかし、睡魔によって、その変化をより明確に感じとれていたのかもしれません。


■現実にもどされる
そんなことを考えていたら、すっと、黒い影が横切ました。 

  あっ、鳥だ! 

緩やかな「静」の変化の中で、突如として現れた「動的」な物体。
ちょっとしたインパクトを鑑賞に与えてくれました。
そして、どからともなく聞こえるゴロゴロという音。

みんな同じなんだ・・・・と共感に包まれました(笑)
それは、お腹の虫の音なのです。
昼間、鑑賞して疲れがたまり、夕食をとらずにそのままナイトプログラムへ・・・
あちこちで鳴り響くこの音が、連帯感を生んでいるようです。



■光のショーの始まり
そして空の枠の周りに仕込まれたLEDのライトだけでは、
演出のできない光のショーが繰り広げられます。
なでこんな映像がこの空に投影できるの?
そればかりが気になっていました。

肉眼では認識できないスクリーンがここにあるはず。
あるは、スモークのような粒子を、ここに放出されているとか・・・・
でも、昼間見た時は、空が直接、見えたように感じたけど・・・・
肉眼では見えにくい、スクリーンが張ってあった
光に反射して見えないようにしていた?
そのスクリーンがどういうものなのか、いろいろと想像を巡らせていました。

一連のプログラムが終わり、暗くなりました。
そのスクリーンを確認するべく
しげしげその空間を見て確認しました。
しかし、それらしきものが見えません。
でも暗くなってしまったから見えないのでしょう・・・
よ~く見れば、なにかあるようにも見えてきます。
あるいは、出し入れができる仕組みになっていて、
引っ込めてしまったのか・・・・・

この作品の後半を見て、考えていたのは、そんなことばかり(笑)

みんな何を思いながら見ていたのでしょうか?
スクリーンに映し出されていることに気づいた人、どれくらいいるんだろう・・・
チケットセンターに向かう帰りの道すがら、
スクリーンに気づいて話しているいないかしら?

目の前の美大生らしいグループの人が、

「鳥が飛んだのちょっと感動的だったよね」
「あれ、鳥だったの? コウモリかと思った・・・・」
「コウモリ?! コウモリじゃないでしょ・・・・」

そんな会話をしていたことを思いだして、
鑑賞中に、鳥が横切ったことを思いだしました。


この作品を通してそれぞれに感じること。
というところに意味があって、その違いが面白いんだな・・・・と
思いました。

私は、あの映像をどうやって投影していたのか・・・・
そればかりを考えていました。
その光の映像には、わずかに、スクリーンらしきあとが見えていたのです。
発見! そういうことだったんだ・・・・・
と納得したのですが、あとになって、そういうことではなかったことが判明。


ジェームスタレルにしてやられたり・・・・

私にとってタレルは、アーティストというよりは、技術者。
人の生理機能など、人体の構造なども熟知し、
そこに心理的なものも加味しながら作品にしていくクリーエーター。

彼の創造物は、アート作品というよりも、
テクニカルなものとしてとらえてしまって、
その技術面の謎解きにばかり目が向いてしまっているなぁ・・・と。




■相対性
私が注目したのは、「色」や「光」というのは「相対的」なもの・・・
対比させる色によって、本来の色(何が本来かもわかりませんが)の
見え方が変化する。

そういう視覚が持っている本質(?)的なことを
ジェームズタレルは示そうとしている。


そして画家も、そういうことを意識的か無意識的かはわかりませんが、
表現したい色を選び取り、その周りに配する色によって、
どう見せていくかも調整してしている・・・・

そんなことを、今の科学的な知見や技術的な手法を用いて、
人の視覚、色覚という機能を、生理も含めて
体験として感じさせるインスタレーション。


この作品のキーワードは「相対性」かな?


エッシャーの作品の中にも「相対性」という作品がありました。
「見る」「見える」ということは、「相対的」に成り立っている

目の前にある色や形は、絶対的なものなのではなく
そこに対比される何かによって決まる

ということを、2か月たった今になって、
ジェームスタレルの作品から感じさせられています。



■意味の交換
そういえば・・・・・
直島という場所について、次のようなことが語られていました。

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作品と出会ったその場で感じたことがすべてではない。
記憶に残り、ふとした時に思い出すこと
自分がどのように感じたかという感触を思い出して
それを意味のあることに変えていくこともある。
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「意味の交換」


10年ぶりに経験した地中美術館のジェームスタレル。
その時は、大きな発見はありませんでした。
しかし、その後に見たエッシャーや其一などによって、
「意味の交換」がされていることを実感しています。



そういえば、エッシャーを見た時に教えていただいたサイトがあります。

  ⇒なぜドレスの色の錯覚はおきたか?-色の恒常性-より

>色というのは物理的な色の波長をそのまま受け取っているのではなく
周囲の環境によって大きく影響を受けていることがわかります。


そんな視覚を、体験を通して見せようとしているのが
ジェームスタレルの試み?


猪子さん、エッシャー、ジェームスタレル・・・・
数学とか、科学とか、そういう側面を芸術領域にプラスすると、
また面白い世界観が広がってくるものだなぁ・・・・と思いました。
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