琳派の最大のモチーフ
「風神雷神」師匠の抱一が光琳の100年後にそれを描き、
抱一の弟子 其一もまた「風神雷神」を描く。
これまで、風神雷神を見てきた鑑賞記録が「
ここ」なのですが、
襖に描かれた風神雷神。
しかも、
かなり横長の8枚の襖に描くというのは、
どんな構図となっているのか、とても興味を持ちました。
まず最初に何も見ず、自分の感覚で、
次に、
音声ガイドのサポート、そのあと
図録を見る・・・・
そんな感じで鑑賞をしていきました。
■8枚の襖まずは、8枚構成と言われている襖を
どこにどうやって展示するのか・・・
会場のどの位置に? どのケースに?
それは、
《朝顔図屏風》の隣でした。
朝顔を見ながら、その隣の《風神雷神図襖》に移動します。
大きい・・・ 大きすぎます。
しかも《朝顔図屏風》よりも引きがありません。
襖一枚のサイズも通常よりもワイドサイズ。
これを8枚並べる・・・・ こんな構成ってありえる?
襖8枚分・・・・・
このサイズの襖絵を見るには近すぎる・・・・。
襖8枚を底辺とする
二等辺三角形となる距離が必要なはず。
しかし展示された場所と反対のガラスケースの幅は近すぎ。
これでは全体を把握することはできない。
と思いながら、端から徐々に見ていきました。
■私は絹に描いた! 宣言一番、最初に、其一が高らかに宣言しているような声が聞こえた気がしました。
「私は、絹地に描いたんだぞ」とお断りをされた気分・・・・
金でもなく、屏風でもなく、
絹地の襖に描いた。
という強い主張をしていると感じさせられました。
それは、
襖の右端を見ると、
見てすぐわかるように、絹目であることをあらわにして、
意図的にそれを伝えようとしたとしか思えませんでした。
これまで、
この絵は「何に」描いているんだろう・・・・
紙かな? 絹かな?
とじっと目をこらしてやっとわかる感じだったのですが、
この襖は、のっけから
絹に描きました! と主張しているように思いました。
師匠の
抱一も光琳も金箔に風神雷神図屏風を描きました。
それは、それはきらびやかな屏風です。
しかし、其一の襖を見る多くの人は、
地味~、
暗い・・・
抱一、光琳にはかなわない・・・
抱一のおまけ的存在と思ってしまうのではないでしょうか?
それを、しょっぱな、師匠の抱一や光琳のような、
金地に描くようなことを私は選ばなかったんだ・・・・という
其一の
強い主張に感じたのでした。
まずは、多くの人が抱く感覚を最初に払拭するべく、
「私は金に描いたわけではない。絹地に描いたんだ」そこのところ、よろしく・・・・
それを理解した上で、私の作品を見るように・・・・
と言われている気がしたのです(笑)
■雲の墨表現風神、雷神よりなにより、目に留まったのは
雲の表現がすごい・・・・
この
滲みや吹き上げ。
筆づかい・・・・
一発勝負で、どうやってこんな表現ができるのか。
これが、金地に描かなかった意味なのか。
絹だからこそ、こんな雲が描けたのではないか。
風神の雲と、
雷神の雲。
風神は
下から吹き上げるような雲に・・・
雲に乗っているというより、浮力に支えられている感じ。
筆あと、方向性がしっかり確認される。
雷神の雲は、
吸い込まれそうな、宇宙空間を想像させるような
なんとも言えない表現。
左から2枚目、3枚目の襖
雷神の足先のあたりの雲の表現。
この滲みは計算によるものなのか、偶然の産物なのか・・・
吸い込まれるようで、ブラックホールのようにも感じさせられます。
其一の風神雷神は、風神、雷神そのものではなく、
それを取り巻く雲の表現にポイントを置き、
これまでの風神雷神観を変えてしまった
センセーショナルさがあるように思えました。
■ワイド画面の効果右から左へと、風神から、雷神へ向かうと、
突如、
雷神が見得をきったかのような、力強いポーズ。
ドンと、
突き出した足の迫力と、
後足の踏ん張り。
そして、メタボなでっ腹・・・・
この
開いた足の幅が、
ワイドスパンの画面を活かした奥行きを利用し、
より迫力を増しているように感じました。
この8枚の襖は、そんな効果を狙っていたのか・・・・・
■8枚の襖はどんなところに設置?ところで、この会場では引きがなく、
正面から見ることができませんでしたが、
この
襖はどんな部屋に設置されたのでしょうか?
右から左に見ていくことで、雷神に迫力を感じることができましたが、
おそらく、この襖は「8面全てを見る」という設定と思われます。
昔のお屋敷は広かった・・・・とはいえ、
この8枚の襖を一列に並べるほどの広さがあったのでしょうか?
これまで、お寺の襖絵などを見てきましたが、
こんな
ワイドサイズの襖を8枚並べられるような、
間取りを見たことがありません。
4枚か、あるいは、幅の狭い襖なら8枚ということもありますが・・・
⇒
こんな感じ其一のパトロンなら、このワイドサイズの襖を8枚、
飾ることができるようなお屋敷だったりするのか・・・・
あるいは、
8面、一直線ではなく90度のコーナーに
設置されていたのではないか・・・
もし、8面、一直線に設置されていたのだとしたら
やはり、
その状態で引きで見てみたいものです。
■中央の観察もし、この襖が一枚絵で設置されているとしたら、
風神、雷神の
境目の空白部分にきっと何かが描かれているはずです。
菱田春草の《落葉》も中央にぽっかり空間がありますが、
その空間に表現されているものがあります。
そこで、右から
4枚目と5枚目の何も書かれていない部分。
襖の枠周辺を近くでつぶさに観察。
さらに双眼鏡で拡大もして観察しました。
その結果、
完璧につながっていました。
4枚+4枚で90度に設置されていたとしたら、
つながりは、微妙に途切れ、別のものになると思いました。
このつながりの部分を観察すると、何が描かれている
というわけではないようなのですが、
墨で空間が塗らていて、それが完璧につながっていました。
この「間」で何かを表現しているのだろう・・・・
と思うのですが、どう考えても、
サイズ的に間延びしているようにしか思えません。
この襖を見るベストポジションはどこなのか。
いろいろなところから見て見たのですが、
私にはみつけることができませんでした。
■音声ガイドによるとそこで、音声ガイドの解説を聞いてみると、
なんと、この襖
「作成された当初は風神と雷神、襖の表と裏だった」そう。
なんだ・・・・・そういうことだったのか。
最初に見た時からの感じていた違和感。
こんな
ワイドスパンな構図ってあり?
そして、
こんな広さの家があったのだろうか・・・
何で8枚という襖を構図に選んだのだろう・・・
いろいろな疑問が次から次に、押し寄せていたのですが、
その答えが、
もともとは、表と裏だったとは・・・・・
でも、こういう話を最初から知ってしまうと、
そういうものとしてしか見なくなってしまいます。
やはり、まずは自分の目で見て、そこで感じる、あれ? という感覚。
それが、その後の調べで分かるというのは、とても面白いです。
■いつ、どこで分けられたの?表裏、分離されたのはいつ頃なのでしょうか?
なぜ、分離したのでしょう。
「平成5年に現在の状態に改装された」という話を目にしました。
調べてみると、
富士美術館で表と裏に分けたとのこで、
作品の保護上の問題。
両面が作品だと
保管も難しくなるとのこと。
また、
鑑賞も片面でしかできないので、分離したとのことでした。
■なぜ其一は表裏に?では、
なぜ、其一は表と裏で描こうと思ったのでしょうか・・・・
師匠抱一が、光琳の風神雷神の裏に、描くことで、
自身の画業の極みを見たことを受け、
襖の表と裏に描いてみたのでしょうか?
あるいは、上記においては「光琳⇒抱一」という継承が認められますが、
「其一⇒其一」 自分自身の襖の裏に描くということで「唯一無二」を目指したとか?
其一は「他の誰よりも俺は上手く描ける!」というプライドと自意識が
出ている気がすると語る猪子氏。
⇒
意識してかわからないけれど、其一は大きな発明をしていると思うんですよ。琳派の継承、従来の風神雷神を断ち切って、オリジナルなものを目指したとか?
いろいろ想像してみるのも面白いです。
■《朝顔図屏風》は風神雷神を表している見どころトークのレクチャーで、
《朝顔図屏風》は、《風神雷神図屏風》の構図をもとにしているという指摘がありました。
そのように見ようと思えばそのように見えると思いました。
ところが、日曜美術館では、
其一が描いた《風神雷神図屏風》と
重なると限定されていました。
実際に見て比べた時に、
雷神の雲は、
朝顔図屏風と重なる部分があると感じさせられます。
蔓の動きと、雲の動きが同期しています。
ところが、
風神の雲は、吹き上げており、朝顔の蔓の方向とは、全く違うと感じました。
それなのに、
なぜ、其一の《風神雷神図屏風》と限定して紹介されたのか、
ちょっと理解しにくいと感じさせられました。
《朝顔図屏風》が三者、四者の《風神雷神図》を踏襲しているというなら
わかるのですが、
其一の《風神雷神図襖》と指定してしまうのは
どうなんだろう・・・・
と思いながら見ていたら、
右隻の朝顔の空白部分・・・・
ここに風神がぽっかり埋まるように見えました。
「蔓の動き」と「雲の動き」を連動させようとすると一致を見ませんでしたが、
「描かれていない部分」と、「風神」が重なる・・・・という
トリビアだったのかもしれません。
■宗達・光琳・抱一・其一の違い襖の前で見ていても、過去の風神雷神がどうだったかな・・・・と
思い出しても、それぞれの違いをはっきりは記憶していられません。
・
ツノってこんなだったけ? あれ? 二本だっけ?
・
髪の毛、こんなに薄くなかったよね。
・
歯が赤かったのはだれだっけ?
・
風袋の握り方、あってる?
・
足が雲に隠れてしまっているのは誰だったっけ?
・其一の
筋肉表現が、どうも漫画的。
・
筋肉もりすぎ~ 筋肉の陰影が隆起を強調
・
電々太鼓、其一のは
大きいよね・・・
・
お腹も出てる気がするけど、どれくらい出てるのかなぁ・・・
そこで、ダメ元で、
iPadをもちこみ、
比較しながら見ることができないか試してみました。
音声ガイドのところで確認すると、
「光がどの程度漏れるかわからないので、
中にいる者に声をかけて確認して下さい」とのこと。
ガードマンに確認したら
「写真を撮らなければいいですよ」とのことでした。
(おそらくその時の状況や、人によって対応は違いそうです・・・)
とりあえず、許可をいただけたので、大手を振って?
《風神雷神図襖》の前で確認することができました。
(とは言っても、堂々と見ていると光が漏れて迷惑になるので、
胸の前で、のぞき見しながら見ては隠すを繰り返しました)
この時、とても参考になったのがこちらの画像でした。
3者の風神雷神の画質もよく風神だけ、雷神だけ・・・という比較もしやすかったです。
⇒
風神雷神図屏風(出典:
鈴木其一「風神雷神図襖」)
比較して気づいたこと
・
光琳百図の風神の雲は、
其一の襖の雲と同じ
・
風神の吹き上げの雲は、
抱一から踏襲
・
雷神の雲表現も、
抱一から
・其一の雷神の
足の爪は、漫画的・其一の風神雷神の
髪は薄い・過去の
雷神の片乳表現と其一は違う
乳が上にまで伸びてる
其一は、
師匠や先達が描いた「風神雷神」をテーマとして選んでいるけども、
それは単に
題材として選んだということで、
琳派の踏襲というよりは、
其一の「風神雷神」を作り上げてしまった。
金でも屏風でもない「襖」に描く、唯一無二、其一のオリジナルな「風神雷神」
を作り上げたと思っていました。
最初にパッと見た時に、
風神雷神の存在感が薄い・・・って思いました。
一方で、
雲が迫るように目に入りました。
其一は、風神雷神に着目するのではなく、
それによっておこる現象。
「風を起こし」「雷をとどろかせ」「雨を降らす」・・・・
という自然現象そのものを表現するという新たな風神雷神のスタイルを提示した。
そのためには、襖4枚という幅広い表現スペースを必要とし、
風神、雷神そのものではなく、それを取り巻く空気にスペースを割いたのかも・・・
(雪舟の《慧可断臂図》の達磨と慧可も、存在感が薄く描かれています。
それとどこか共通するのかも・・・と思うのでした。)
○
京都国立博物館:禅 ー心をかたちにー 《慧可断臂図》 (2016/05/20)
とは思うものの、ちょっと、ちょっとですが、
やはり
師匠の描き方を取り入れていたりして、
系譜は受けついでいる部分があるようです。
■風神雷神はどこを見ているかこれまでの風神雷神は、どこ見ているのかという議論がされてきましたが
この8枚一組の構図で考える限り、
これだけの幅に描かれた風神、雷神が
どこを見ているかということは、
意味をなさないと感じていました。
そこに、
「表と裏」で描かれていたことを知り、
並べて見る襖ではないことが判明。
■どうやって描いたのかこの風神、雷神はどのように描かれたのでしょうか?
風神、雷神、別々に描いたのでしょうか?
別々に描いていたとしたら、
右の風神、左の雷神のつながり部分の表現は無理です。
両面のつながりの部分を見ると、完全に一致しています。
これは何を意味するのか。
両者を同時につなげて描いていたとしか思えません。
そもそも、絹地に描く場合、
この絹地はどんなサイズなのでしょうか?。
この時代にこの大きなサイズの襖一枚分の絹地を制作することができたのでしょうか?
襖をよく見ると、
横に幅30cmぐらいの筋がみられます。
反物の生地を横にのばし、それを重ねて、8枚続きの構図で
描いたとも考えられます。
そしてあとから一枚、一枚の襖にカットして、両面の襖に仕立てた。
そのあたりのことも確認したかったのですが、謎のままでした。
両面、同時進行で描いたのか。
絹地はどんなサイズのものなのか・・・
ーーーーーーーーーーーーーー
【追記】2016.11.08
調べてみたらわかりました。
絹地は、三六版(900×1800) 四六判(1200×1800)で織ることができたそうです。
この屏風のサイズは、115×168なので、
四六判からカットされたことが考えられるとのこと。
そして絹は透けるので下絵の上にのせ、その上から描いたと考えられ、
下絵では風神雷神、つながっていたと思われるそうです。
ということは、
風神、雷神も構図とし、考えられているということでしょうか?
横線については、表と裏を分ける際に裏打ちをするので、
そのあとではないかとのことでした。
ーーーーーーーーーーーー
巨大横長構図において、風神雷神の目線をどうするか、
そんな視点では描いてはいなかったと判断しましたが、
目の玉は、三者の風神雷神のどれよりも
大きくギョロ目だったというのは、
この構図とのバランスだったのでしょう。
あるいは、表と裏に張り合わせ考えたら、
視線が、表と裏で立体的にクロスしている。
そんな仕掛けがもしかたらあるのかもしれません。
この4者による風神雷神を見たあと、
「日本美術と高島屋」展においても、風神雷神を見ました。
〇
冨田渓仙 風神雷神 風神と雷神の位置を逆にしちゃってるし!
〇
菱田春草 風神雷神 あの春草の風神雷神がこれですか・・・・・
ここにも、何か、深い意味がある????
〇
安田靫彦 もう神じゃないです(笑)
みんな思い思いに描いて、その時代の風神雷神があるということですね。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
【追記】
表と裏の分離を見抜く方法はあるのか・・・
この襖を見て、横幅が広すぎるという疑問を感じる方はいるようです。
では、この襖を見て、
表と裏が一体になっていたことを見抜くことはできるのでしょうか?
音声ガイドや、図録には解説があります。
以前、富士美術館で展示された時もそのような解説をされていたらしいです。
最初からそれを知ってしまうと、あれ? と思いながら、
あれこれ推察する楽しみがなくなってしまいます。
では、あれ? と思った襖が、
一続きの襖ではないと判断できるポイントに友人が気づきました。
それは、一枚の絵なのに、
落款が2か所に、書かれていること。
もしかしたら、別々に飾られていたものを、一緒にしたのではという
推察をしていました。
そして、
落款を書く位置というのが決まっていて、
一双屏風で、
右に飾る屏風は右に、
左に飾る屏風は左に書く
という決まりがあるようです。
風神雷神襖の落款は、両方とも右に書かれているのでした。
私も、落款が
右に書かれているもの、
左に書かれているものが
あることに気づいていて、どうしてなんだろう・・・・と思っていました。
そういうちょっとした知識があると、読み解くヒントになります
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【追記】2016.11.9
東京国立博物館の「禅」の展示で襖絵を鑑賞。
展示された襖絵が
どんな場所のどの位置にあったか、
間取り図が示されていました。
やはり、8枚の襖が一直線に並ぶという間取りはありませんでした。
幅の狭い襖なら8枚並びはありますが、このサイズの襖は4枚が基本。
そして襖と襖の境目というのは、どれもつながりのあるような黒ずみがあります。
これらは墨で描かれたものなのか・・・
襖の境をこうやってぼかすのが決まり事だった?
どうも違うように見えました。
劣化によるもののような気が・・・・
ちょうど館長さんが通りかかられたので伺うと、
開け閉めをする場所なので、手垢などのあとによる劣化と考えられるとのこと。
どの襖の境もそのような黒ずみがあるので、
もしかしたら、《風神雷神図屏風》も描かれたものではなく、
劣化によるものなのでしょうか?
しかし、10㎝ほどの幅で、黒ずんでいるのです。
手垢による劣化には思えませんでした。
もしかしたら、其一は、そういう変色を考慮して、
墨で滲ませたベルト帯を作っていたとか!