『速水御舟の全貌 ―日本画の破壊と創造― ②《翠苔緑芝》…ひび割れの謎』コロコロさんの日記

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■《翠苔緑芝》(すいたいりょくし)
琳派や西洋画の影響が指摘されています。
見るからに琳派っぽいと感じさせれる金屏風・・・
しかし、題材は現代的 アヴァンギャルド。
描かれているものが、黒猫、枇杷、つつじ、紫陽花、ウサギと、
その関連性、意味が全くわかりません。


そして、ここにも其一を発見!
枇杷がもっこり盛り上がった着色がされていました。
これ、其一が最後に作成した屏風、《四季花鳥図屏風》(東京黎明アートルーム)
を思い浮かべました。

この屏風について取り上げる人も少なく、話題にものらず・・・・・
なんだか日陰の存在(笑)
でも、私だけは、あなたの価値をちゃんと見てます。わかってますから・・・
と密かに思いながら、今回見た其一展のべストだと思っている屏風です。

ちょっと、其一の画風の広さのお話で、脱線となりますが、
御舟との比較もかねて・・・・


◆《四季花鳥図屏風》(鈴木其一)(東京黎明アートルーム)
この屏風を見た人が、屏風を見た瞬間に発していた言葉・・・・・

「もっこりしてる・・・・・  盛り上がっているよ」

そうなんです。
ここに来て、またまた、新たな表現テクニックを其一は提示してくれたのです。

鈴木其一展、5回の展示替えで、すべての作品を見てきました。
其一の画業は、ほぼ網羅していたつもりで、これ以上のサプライズはもうないでしょ。
と思っていたところに其一はやってくれました。
あなたって人はどこまで人を驚かせたら気がすむのか。
そして、いつも、いつも、何か新しいことを追いかけていて
アンテナを張っていて、みつけたらすぐに自分のものにして
吸収して、ほれ、どうだ・・・・って見せてくる
亡くなる前に、こんなものを残していたなんて・・・・


それは、幕末、ぺーリーも来航し、諸外国からもいろいろなものが
流入し始め、その勢いは、もう止めることはできない
其一は、感じていたのだと思います。
これまで、其一が描いてきた「水」や「流れ」その「勢い」
濁流となって押し寄せてくる新しい時代の波を、本能的にキャッチしていて、
これからの絵が、どうなっていくのか・・・
それを感じとって示唆した一枚。と思ったのが、この作品でした。


おそらく、西洋の油彩画を目にしていたのだと思います。
その驚きや、可能性
そして、早かれ遅かれ、こうした描き方が日本にも、押し寄せてくる
それを感じた其一は、いち早く、その方法、質感や描き方を、この屏風で表した。

花の花びらがもっこりと厚く重ねられたその技巧は、
これまでの絵でも部分的には使われていました。
しかし、こんなにもべったりといっぱいに、
あちこちに施されているのを見たのはこれが初めてです。

日本の夜明けが間近であること。
それとともに、絵というものも、大きく転換する大波が押し寄せてくること。
そして、これまでの日本画が描いてきたものを総まとめするかのように、
ここに押し込めたうえで、これからの日本画の歩く道を示したのでは?
その熱さにこみあげてくるものがありました。

そして、厚塗りした絵具は、一部、剥離しています。
ああ、ここ、剥離しちゃったのね・・・・・あっちにも、こっちにも・・・
技術的に確立されていたわけではないから・・・・
と思って見ていたら、その中の一部は、剥離ではなく
剥離したように描かれていて剥離あとの下地が透けて見えている
という描き方だったのです。

そんな描き方は、これまで見たことがありませんでした。
これって、ひょっとして、其一は、この盛り上げる描き方は、
時間がたつと、剥離してしまうであろうことを予測していたのではないか。

この新しい描き方を、今ある、日本絵具を使って、
自分が見た油絵のように盛り上げて描く。
それには、限界があるわけです。
長くはもたないことも分かっていて、それが落ちてしまったときに、
これは、落ちてしまったのではなく、わざと、落ちたように見える部分
描いて、剥離かそう描いたのか、わからないようにした?!とか・・・

というのは私のあくまで推測でしかありませんが、
きっとそうだと思っているのでした。
其一なら、そこまで考えて描いてしまうのではないか・・・・・

そんなサプライズが最後の最後にもたらされた其一展だったので、
御舟の画業の変遷が、すごいという触れ込みですが、
其一には、きっとかなわないのではないか・・・・と思うこと半分、
いや、それを超えた驚きを提供してくれるのかも・・・・という期待も半分でした。




■枇杷のもっこり
其一の金使いに共通性を見て、またしても、絵具の塗り方に共通性をみつけることができました。

岩絵の具でもっこり感を出す技術は、
胡粉を混ぜて、岩絵の具を重ねていくのかと思っていました。
従って、これもまた、コストのかかる技術になると・・・・

そこで、御舟の「枇杷」の描き方を確認したところ、
胡粉を絵具に混ぜるのではなく、まず最初に胡粉で盛り上げるのだそうです。
その上に岩絵の具を塗るのだとか・・・・

それを聞いて、「剥離の危険があると其一は予測していたのでは?」
という推察は、確信を得ました。
異質のものを重ねたのだとしたら、それは、落ちる可能性が十分あります。
それは、其一でなくても、私でも予測がつきますから・・・・(笑)



■《翠苔緑芝》(すいたいりょくし)の紫陽花のひび割れ
紫陽花部分に、特殊な彩色がされていて、事前の予習段階で、
制作されてから80年たつのに、剥離がない。という話がありました。
どうやらそれは、重曹を使っているらしいとのこと。

ここでも、其一が浮かびました。
其一は、最後に新たな画風を試みるとき、剥離することを
想定して作成したと推察しました。

その絵を見た御舟は、じゃあ、自分はここで新たな彩色を生みだそう。
そして、自分は剝がれない方法をみつけ、あっと驚かしてやろう。

それが、胡粉に重曹を混ぜて加熱するという方法だったのでは?


重曹を混ぜて加熱すると、なぜひび割れるのでしょうか。

◆重曹(炭酸水素ナトリウム)の性質を調べてみると、
加熱によって、水と二酸化炭素が発生します。
重曹は、ふくらし粉とも言われ、お菓子を膨らます性質が知られています。
それは、二酸化炭素の発生による膨張によるものです。


つまり、御舟は、胡粉の中に重曹を混ぜて
加熱すれば、化学変化によって、水と二酸化炭素が発生し、
二酸化炭素が、固まった胡粉を膨張させて、ひび割れを起こすと
考えたのではないでしょうか。

ちなみに、重曹は65度以上で急速分解するとのこと。
この加熱に炭を使ったのではないでしょうか?
他に薬品も使ったというのは、反応を加速させるための触媒を加えたとか・・・・
御舟は理にかなった方法で、この技法を編み出したのかもしれません。


紫陽花が発泡している拡大写真をみつけました。

  ⇒発泡する紫陽花(出典:いもづる日記より)

  重曹掃除が人気で、温度をあげて発泡させて使いますがそれを彷彿とさせあす。
  クエン酸を加えるとさらに発泡が強くなるので、他の薬品はクエン酸だったり?

   参考⇒クエン酸と重曹(炭酸水素ナトリウム)と水による炭酸水の作り方(究建築研究室)より
      炭酸水の場合は、クエン酸:重曹=1:3 だといいらしい・・・
      というようなことを考えながら調整していたってことかな?


山種美術館 twitter より
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御舟の《翠苔緑芝》(山種美術館)は見れば見るほど面白い作品。特にアジサイの花のひび割れ表現は、本当に不思議です。薬品や重曹を使ったとか、炭で乾燥させたなど諸説あり、今でも謎なんですよ。皆さんはどう思われますか?(山崎)
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そういえば、塗装も、ただ塗るよりも、
加熱して塗装する「焼き付け塗装」の方が、定着がいいはず。
加熱して化学変化を起こさせることで、剥離もしにくくなるので、
80年たっても、剥離せずに保存されていると考えられるかな?

そんなわけで、御舟を見れば見るほど、其一が重なり、
其一でわからなかったことが、次々に解決していきました。


其一が胡粉で盛り上げる手法を試みましたが、それは剥離していました。
それを見た御舟は、剥離しない方法を考えました。
そんな2人のバトルを想定して楽しませてもらいました。


■その他の薬剤は何か?(2016.11.17 追記)

◆ベーキングパウダーについて
パンや焼き菓子に使われる膨張剤の一種で、膨らし粉とも呼ばれる。

基材:炭酸ガスを発生する重曹(ガス発生剤)
助剤酸性剤・・・重曹の分解を助ける
   酒石酸水素カリウムリン酸二水素カルシウム (別名第一リン酸カルシウム)、
   酒石酸焼ミョウバンフマル酸リン酸ナトリウム

遮断剤:両者が保存中に反応しないように隔てておく・・・デンプンが配合

【反応】
・水分を加える → 重曹と酸性剤が反応し重曹の分解が開始
・加熱 → 分解は加速。
      分解によって炭酸ナトリウム、炭酸ガス、水が生成。
      生地を膨らませる元になるのは炭酸ガスである。

炭酸ナトリウムはアルカリ性で刺激ある苦味を示すが、
酸性剤(助剤)等で中和され無味となる。


(上記から、焼きミョウバンあたりは手に入りそうなので、
 可能性があるかもしれませんが、他のものも伝手があって手に入ったのでしょうか?)


多くのベーキングパウダーは、生地を練っている時と焼き上げる時の2回、
膨らます作用を得られる。

1903年 ベーキングパウダーの特許取得
1928年(昭和3年)翠苔緑芝 描く

ベーキングパウダーが特許を所得してから25年後。翠苔緑芝が描かれる。
御舟は重曹の他に薬品を混ぜたと伝えられていますが、
ベーキングパウダーの原理を応用していたと考えられるかも?!

助剤によって酸性環境におくことで、反応を促進させている
ベーキングパウダーの応用と推察されます。
ただ、御舟のプロフィールからは、そのような知識を得る機会はなさそうに感じられ、
ブレインとなる人がいたのではないかと推察されます。
それはパトロンとなった事業家だったのか・・・・

あるいは、師の楓湖は自称“なげやり教育”というユニークな教育方法で
数百人と言われる門人を輩出した卓越した教育者とあり、
この門下生の仲間から、そのような情報を得る機会があったとか・・・・

原三渓とも交流があり、その周辺の経済界からヒントを得ていたり・・・
と想像をめぐらしてみるのも楽しい。



【追記】《翠苔緑芝》感想メモ
〇右隻
屏風は右方向から見るのが基本と言われているようですが、
こちらの右隻は、左から見ると、奥行き遠近感が一気に増大
緑の土坡の広がり。ゴルフ場のグリーンのようでもあり。

ここに描かれた黒猫から思い浮かべるのは春草
御舟が40歳でなくなっているのと同様、春草も36歳という若さで
亡くなっています。

黒猫を描いた時期を並べてみると

           1901年(26)《黒猫》
             ↓ 
菱田春草 1874------------------1911(36)
速水御舟  1894------------------- 1935(40)
               ↑
              1928年(34)《翠苔緑芝》

〇左隻
紫陽花の花の隙間に見える黒い枝。
見え隠れする枝だけに注目すると株の構成が見えてきます。
ここでも、其一の《朝顔図屏風》が想起され、
朝顔の葉や葉の間に見え隠れしていた蔓がイメージされました。
そして紫陽花の葉の葉脈は金で描かれ、朝顔の葉のことが浮かびました。

さらに、葉の色を見ていると新しい新芽に近い部分の葉が、
蛍光色のようなグリーンで描かれ、
ランダムに描かれた葉に見えますが、それぞれのを追っていくと、
新芽構成ががわかり、その先の花はこれから開花に向かう、
新しい状態で描かれているなど、株の様子が見えてきます。

若い芽の色は、若冲にも見られ、これは植物を描くときの
セオリー的なものとなっているのか、それぞれを参考にしているのか・・・

椿の下書きのあとが残っているのが面白い。

また、ウサギの態勢が非常に不自然。
どれだけ体をひねって寝てるの?と笑いを誘います。
前足を地面につけ後ろ足を突き上げて、
そんなにねじったらよじれちゃう・・・

そしてもう一匹のウサギは、草をくわえているのですが、
ここは芝生・・・・
そんな草、ここには生えてませんよ~  
あるいは、耳が体の割にずいぶん、大きいのね・・・・
(そんなウサギもいるのかな?)
突っ込みどころ満載なのは、御舟の遊び心なのか、
これこそが超現実的な部分なのか・・・


また、立った状態で上から見下ろすように緑の土坡の辺縁を見ると
細かな芝生で縁取られています。
これを、視線を下げて見上げるようにすると、
その緑の細かな芝生が描き足されているベースが背景の色とは違う
黄色で縁取られたうえに描かれていることがわかります。

これもまた、《夏秋渓流図屏風》の岩の金色が、
上から見下ろした時と、見上げるときとで色が違って見えることに通じる。
というのは、ちょっとこじつけすぎの感もありますが・・・・

さらに言えば、紫陽花の葉も葉脈は金で描かれ、
これまた、《朝顔図屏風》の葉と同じです。
まあ、これは琳派的表現ということなのだと思いますが。

琳派の影響を受け、装飾的で超現実的表現で描いた御舟。

ところが、重曹を用いた着色をしたりと、
科学的な知識をもとに描いていたのかと思われる部分もあるようです。

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【追記】2016.11.14
「もっと知りたいシリーズ」の「速水御舟」より
吉田晴彦氏談(御舟の孫)
厚めに塗った胡粉を火で急に乾かすと、ヒビが入った。
(ドライヤーがなかった時代は墨を使った)

一方妻弥(いよ)談
冬の寒さで、前日塗った絵具がひび割れたと御舟が妻に語ったという話が
あるそうです。

制作時期との整合性
この作品は院展出品作なので、描かれるのは夏であることが常。
ドライアイスでも使ったのでは? と思うが真偽は不明。
(by 吉田晴彦)
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墨で加熱したり、ドライアイスで冷やしたり・・・・
いろいろな憶測が飛んでいるようです。

情報元は、[b:御舟の家族

御舟が、語ったとされた話の記憶は定かなのか・・・
御舟は本当のことを語ったのか・・・
(情報を秘匿しようと思うなら、身内にも本当のことを
 話さないということもあるかも)
一般的に考えられる出展と作成時期の祖語があるようですが、
必ずしも、その時期に描いていておらず、イレギュラーな可能性もあるし・・・・
ドライアイスで冷やしたと言われているのですが、
その当時、ドライアイスはあったのかという素朴な疑問も・・・・
時代考証はされているのか?
(ドライヤーがないということは考慮され、炭での加熱を推測)

(今、話題のドラマのように、校閲、編集のチェックはなかったのか?
 執筆者の推測だからOK?)

などなど、様々な疑問が・・・・


ちなみにドライアイスはいつ頃できて、
日本で一般化されたのはいつ頃なのか調べてみました。

1924年(大正13年)アメリカ合衆国のトーマス・スレートが販売のために
          特許を申請し、最初の商業生産者となる。
1925年(大正14年)ドライアイス社が「Dry ice」を商標登録した。

  日本では、「ドライアイス・コーポレーション」から製造販売権を得た
  「日本ドライアイス株式会社」(現昭和炭酸株式会社)によって
  工業的に大量にドライアイスが生産されるようになりました。
 (日本製造販売権を得た年は、不明)

  
  日本に入ってきて、生産ラインに乗せて事業化するまでにどれくらいかかるのか。
  そして生産が実現できても、すぐには受け入れられないのが世の常。
  受け入れられたとしても、まずは工業的な利用だと考えられるので、
  一般人がドライアイスを手に入れられるようになるのは、
  まだまだ先と考えるのが妥当ではないかと思われます。
  
  
1928年(昭和3年)翠苔緑芝・・・
   アメリカで商標登録されてから3年後。
   それからどれくらいで日本に入ってきたのか。
   そして一般人が、ドライアイスを手にすることは可能だったのか?


しかし、御舟はパトロンに原三渓がいました。
そのルートを通して、入手することは可能だったかも?


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【関連】■速水御舟:山種美術観
速水御舟の全貌 ―日本画の破壊と創造― ④《炎舞》(2016/11/04)
速水御舟の全貌 ―日本画の破壊と創造― ③《名樹散椿》「撒きつぶし」と其一 (2016/11/03)
速水御舟の全貌 ―日本画の破壊と創造― ②《翠苔緑芝》…ひび割れの謎 (2016/11/03) ←ここ
速水御舟の全貌 ―日本画の破壊と創造― ①画風の変化 御舟vs其一(2016/11/03)
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