今年のはじめに、山種美術館で大観の屏風を見た時に、
屏風の数え方や、見方などいろいろ疑問に思うことがあって、
それをリストアップしていました。
その後、調べたり聞いたりしてわかったことを、
ちょっとまとめておくことに。
元記事⇒②
「めでたい大観」が描いた「竹」の屏風・・・・竹林に迷い混む (2016/01/14)
■屏風の数え方参考サイト*************************
ちなみに屏風の数え方についてちょっとお勉強
〇
屏風の数え方って?【京都便利堂】 〇
屏風を鑑賞するための基礎知識(1) 〇
屏風に「六曲一双(そう)」と「六曲一隻(せき)」の表示があるが、どこが違うのか。 〇
屏風の特殊な数え方 (山種美術館)
*************************
わかるような、わからないような・・・・
最後の山種美術館の図解が一番、簡潔でわかりやすいかな?
以下は、自分が理解するための覚書
曲:屏風を折りたたんだ
面の数
隻:
面ががつながったもの
双:面が
連なったもの(隻)が、
2つ一組になったもの
■【屏風に関する疑問】(その後の調べで分かったことは⇒で記載)2016.11.15
〇
二双の屏風というのはあるのか?(4隻でひと組)
・舘山寺浜名湖美術博物館⇒六曲二双という屏風はない
・六曲二双を調べてみると⇒
「或る屏風・六曲二双、障害者の絵、陶芸作品、近隣の花」内に
オーダ―という形で存在することが書かれていました。
・滋賀県立近代美術館⇒六曲二双はまれではあるが、ないわけではない
「春・夏」「秋・冬」で二双というものも・・・
〇屏風の
山折、谷折りは決まっているのか。
↑
こんな呼び方でいいのか?
正式名称は? ⇒ 入りオゼ 出オゼ
■
屏風の各部名称とその説明 ⇒入りオゼ :扇と扇の連結部の
奥まった部分 ⇒出オゼ :扇と扇の連結部が
前にある部分 〇屏風の折り方の勘違い
⇒
③琳派400年 細見美術館:第2章 花咲く琳派 光琳・乾山と上方の絵師 (2015/05/12)
上記の、琳派展で見た「白梅小禽図屏風」
見学後、図録を見てあれこれ考えていたのですが、
屏風の折り方を逆にとらえて解釈をしていました。
あとで大きな勘違いに気づいたのですが、
その後、屏風を見ていると、
屏風は谷折りから始まると、理解しました。
しかし、そのような
決まり事があるのか、
そんなことは屏風を鑑賞する上で常識的な知識なのか・・・
まだ、確認できていない状況。
■サントリー美術館
「はじめてひらく 美のとびら」屏風の巻にて屏風制作
上記へセミナーに参加して、屏風に対する疑問の数々が、かなり解決しました。
⇒屏風づくりを通して、
屏風は両側に折れ曲がることを確認。
これについては下記の図解を見ていたので知ってはいたのですが、
→
和紙の蝶番で連結(滋賀県立近代美術館)
実際に作ってみて、その構造に感心しました。
和紙で連結する際の、
「遊び」はどのように作るのか。
自分で作成方法をイメージしながら作っていましたが、
最後に大どんでん返しが。考えていたような複雑なことせずに、
いとも簡単に作成できることにびっくり。
日本の工芸のすばらしさを感じました。
⇒機能としての屏風はどちらにも折れ曲がる
鑑賞としての屏風は・・・・・
屏風の目的についての解説があり、「機能面」と「装飾」という機能があること。
屏風の機能としては、風よけ、目隠し、間仕切りなど・・・・
装飾的な眺めて楽しむ。客を招く部屋の装飾としての要素を持つ。
ということで、自由自在に動くパーテーションとしての役割と、
鑑賞のための装飾品として役割がある。
→ぐにゃぐにゃと曲がって部屋の中で使われている様子を描いた
絵巻を提示
鑑賞の場合は、決まりというわけではなさそうですが、
谷折り=入りオゼ からはじまるよう。
〇光琳の《風神雷神図屏風》の裏に描かれた
抱一の《夏秋草図屏風》はどのように折るの正解?
抱一が
裏に描いた・・・・ということは、
この
屏風の折り方は、どういう折り方を想定して描いたのか・・・
とずっと思っていました。
剝がされたあとの展示では、二曲一双屏風は、折オゼで展示されますが、
本来は、出オゼで展示するものなのではないか・・・・
琳派400年プロジェクトで
光琳「風神雷神図」と抱一「夏秋草図」を、
コロタイプ技法で複製して、一体化したものが展示されたようです。
→
尾形光琳「風神雷神図」、酒井抱一「夏秋草図」両面復元複製屏風を観て 抱一は、裏に描いたのですから、実は上記のように見ることを
想定して描いていたのでは? とずっと思っていました。
しかし、どちらにも折れ曲がるということは、
どう飾ることもできるので、リバーシブル屏風と考えればいいのかなと。
表を光琳、裏が抱一・・・・ この場合は、光琳がメイン
表を抱一、裏が光琳・・・・ この時は、抱一がメイン
設置場所にもよりますが、たいていは、壁を背に置かれると考えられ、
裏側はサブなので、その状態で鑑賞されることは想定されていないはず。
ひっそり裏に回って静かに佇んでいる状態?
ということを考えると、出オゼを想定して描いているわけではなく、
入りオゼと考えてよさそう。
と思っていたのですが・・・・・・
【参考】
裏面の「夏秋草図」はどのようにみえる? 上記にて、光琳の《風神雷神図屏風》の裏にある状態の
構図の比較が提示されています。
これを見ると、左隻、右隻の中央から左右に広がる草が
リズミカルな連続性を持っているように感じられます。
出オゼで飾ることを想定されていたということでしょうか?
〇抱一《夏秋草図屏風》と 光琳《風神雷神図屏風》の表と裏の関係
〇
「夏秋草図屏風」の見どころチェック! 左隻 右隻
「風神雷神図」 「雷神図」 「風神図」
↓ ↓
「夏秋草図」 「夏草図」 「秋草図」
雷神により降らされた 風神によって巻き起こる
雨に打たれる夏草 風になびく秋草
雷の雨や、風の方向が逆かなと思いましたが、
叩きつける雨、吹いた風が屏風を回り込んで
なぎ倒していると考えれば辻褄は合う?
〇抱一は、どうして光琳の《風神雷神図屏風》の裏に描くことができたのか?
いくらリスペクトしていたからと言って、勝手に裏に描くことはできないはず。
描かせて欲しい旨を進言していたのか? しかしそれは恐れ多いことではないのか?
当時は誰の所有物だったのか?
⇒『夏秋草図屏風』は、
尾形光琳の『風神雷神図屏風』の裏面に描いて欲しいと、
第11代将軍徳川家斉の父から頼まれた
⇒所有者は? 描かれた状況は?
江戸時代に「風神雷神図」を所有していたのは一橋家。
裏面へ画を描かせた一橋治済(はるさだ)
11代将軍・徳川家斉の父として当時権勢を誇った。
位は従一位、将軍本人よりも高い位。
姫路藩主酒井家の次男坊・酒井抱一。大変な身分の貴人。
それでも一橋治済との身分の差は大きい。
光琳筆は宗達筆のオリジナルとほぼ輪郭を同じにする。
抱一の「風神雷神図」は、臨写するしかなかったのか
随分バランスが異なっているとのこと。
(出典:
完成記念講演会を開催しました)
→光琳と抱一の構図が違うのは、写したくても写せないという状況もあった?
重要文化財『夏秋草図屏風』のトリビア
草稿(下絵)が残っていた →
重要文化財『夏秋草図屏風』の草稿 出典:
酒井抱一展に行ってきました!!【後編】より
〇両面の屏風をなぜはがしてしまったのか? それはいつのこと?
1974年 東物京国立博館 表裏一体の屏風を、保存上の理由で別々に分けられた。
(古い時代に分けられていたのかと思っていました)
【参考】屏風ではありませんが両面に描かれた
鈴木其一の《風神雷神図襖》も、保護上の理由で分離
東京富士美術館にて1993年に改装
〇2006 プライスコレクション 「若冲と江戸絵画」 トーハクにて
⇒出典:
秋風の草葉そよぎて吹くなへに…より
なんと、2006年、プライスコレクションの若冲が注目される中、
トーハクにて、酒井抱一《夏秋草図屏風》が、
出オゼ(山折り)で展示されていたことを発見!
⇒
出オゼ展示写真次のような解説があったようです。
尾形光琳の「風神雷神図屏風」の裏側に描かれていたもの。
・修復の経緯
閉じると外側に露出する屏風の裏面は、
収納や移動の際に傷つきやすい。
昭和49年(1974)の解体修理の際に分離。独立した屏風に改装。
・下絵の発見
10数年前に「夏秋草図屏風」の下絵(東京・出光美術館蔵)が発見。
その袋の一部と思われる紙に書きつけられた抱一の墨書から、
この屏風が
第11代将軍徳川家斉の実父にあたる一橋治済の注文によって
文政4年(1821)頃に完成したこと、
屏風表裏の取り合せが抱一の制作当初からのものであったことが明らかに。
〇両面に描かれた屏風をどうやって剥がすのか・・・・
これには、
屏風の構造を知ることが必要
セミナーでは、屏風の模型が展示されてとてもわかりやすかったです。
裏表に描いたと聞いて、紙と紙を張り合わせていると
思っていないでしょうか?
障子や襖のような構造になっていて、厚みのある枠組みに
表と裏に紙が貼られているようでした。
その絵をそれぞれなんらかの薬剤を用いて、剥がすようです。
【参考】
屏風下張り文書の剥がし作業()
〇絵はどうやって描くのか
屏風に描く場合、屏風の状態に直接、描くと思っている方も多いようですが、
和紙や絹地に描いてから、カットして、屏風に張っています。
〇一双屏風の場合、左右2つ(隻)の屏風を
設置する間隔の決まりはあるのか?
⇒
京都:③「風神雷神屏風図」えっ?これが? 屏風の大きさ・配置の謎 (2015/11/06)
京都国立博物館の3者の「風神雷神図」
宗達の屏風だけが、妙に間隔が離れていた不思議・・・
⇒建仁寺の風神雷神図屏風の間隔は、11㎝
建仁寺では京都国立博物館に預けているわけですが、
美術展の展示には、建仁寺の方も立ち会うようです。
その時、間隔を図っていて、11cmにしているようだと、
お寺の方から教えていただきました。
〇屏風を広げる角度は決まっているのか
そごう美術館 ⇒ 角度を測って一定にしています。
山種美術館 ⇒ 特に決まりはありません
サントリー美術館 ⇒ 学芸員によって違うのでは?
館によって違っており、担当学芸員の考え方にもよるようです。
同じ屏風を違う美術館で見ると、担当者の違いによって、
飾り方も違うという面白さもありそうです。
■屏風の見方や見る方向など、鑑賞法に決まりはあるのか〇絵師は、
見る人がどこから見ることを想定して描いているのか あるいは
屏風の鑑賞法には、お点前のように流儀や、
見るための所作などがあるのか・・・
以前、上梓した人から、本を頂いた時に、
それを見る閲覧のお作法のようなことを解説したサイトを見たことがありました。
きっと屏風にもそういう流儀があるのでは?と思いました。
⇒絵巻ものと同じ考え方で、一般的には左から見ていくのが基本
(サントリ美術館にて)
これまで見てきた屏風の動線は、巡回路の鑑賞動線から察するに、
右からに設定されいたので、右から見るというのは、
なんとなく理解していました。
ちなみに先日行われたサントリーの鈴木其一展の《四季花鳥図屏風》は、
左から見る動線になっていました。
これは、会場の設置の都合上なのか・・・・・
屏風を左右から見ましたが、左から見るように描かれていると感じました。
基本は右からですが、左から見るものもあるのかもしれません。
【考察】《朝顔図屏風》《夏秋渓流図屏風》のまずどこから見たかを
訪れたという人に聞いてみました。
《朝顔図屏風》は、右から・・・
《夏秋渓流図屏風》は、中央から・・・
数人でしたが、皆同じ答えでした。
屏風を見ると、「構図」や「描かれたものの流れ」から、
そこから見るようにと誘導されているように感じました。
〇絵師は
屏風を左右から見られることも意識して描いているのか ⇒優れた絵師は、意識していると思う(照明の尾崎文雄さん)
⇒もちろん意識している (サントリ美術館 学芸部長 石田佳也さん)
〇さらに、美術館でライティングする人は、
どこから見られることを想定してライティングをしているのか。
また、いろいろな角度から、人は見ると思うので、それを考えると
どのように対処しているのか・・・・
そんなことを、追々、理解できたらいいな・・・・と思っていました。
追加の疑問(2016.11.15)
〇六曲二隻 とは言わないのか
6枚連なりの屏風が、2つだと、六曲二隻でもいいと思うのですが、
「六曲二隻」とは言わないのか?
⇒たいてい、2組の屏風のテーマは、対になって描かれることが多い
(「春と夏」「秋と冬」 というように)
そのため、ペアという意味で「双」が使われる
〇三曲(一隻)の屏風はあるのか
三曲の場合は、観音扉のように使われ、えらい人の後ろにおく屏風などがある。
滋賀県立近代美術館に現存しているものは、
額装されて平面になった三曲の屏風がある。(前田青邨)
見た目には、額装されてしまい屏風とはわからないようですが、
縦のラインがあるので、そのあたりから判断ができるとのこと。
■「双と雙」 漢字由来という説も
◆ことばの話2485「屏風の数え方」より
「双」という字の旧字体は「雙」
「隹」が2つ・・・・・・「雙=双」
1つしかないと・・「隻」
「双」の半分が「隻」である理由は、旧字体から理解ができる。
ーーーーーーーーーーーーー
【参考資料】滋賀県立近代美術館公式ブログより
〇
屏風を鑑賞するための基礎知識(1)・・・屏風の数え方
〇
屏風を鑑賞するための基礎知識(2)・・・屏風の「連結法」
〇
屏風を鑑賞するための基礎知識(3)・・・屏風のかたちと、画面に描かれた図像との関係