『信じやすさの話』サルピル・マンダさんの日記

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こんな店に行ってます、はい。

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サルピル・マンダ (男性・千葉県) 認証済

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自分自身の「知る事」が好きなのとそこから他の事象へと勝手に展開していく事が好きな私は、何かでネット検索時に良さそうと思いマークしていた内容を勝手に読み噛み砕いて、展開して見ようと思います。

と言うのも、食べログを良く利用させていただいている身として、どうしても主観的に物事を考えてしまい、投稿する内容が本当に間違っていないか?と考える事が多々ある為、ステップアップではありませんが、少しだけ成長の足しにならないかと勝手にで申し訳ありませんがネットより内容を拝借させていただき食べ物への話に展開をしてみたいと思います。元ネタは明治大学のメタ超心理学研究室「超心理学講座」なるものより流用しています。流用駄目だったらお手数ですが連絡指摘願います。削除します。

その項目の中から「信じやすさの心理学」に惹かれた為、斜め読みと勝手な展開をしてみます。


・信じる物は見える
人間は2次元で情報を入力し、脳内で3次元的に再構成して世界を「見て」いるそうです。その為色々な「思いこみ」をしてしまうそうです。錯視なんかが代表的なものだと思います。絵が動いて見えたり、同じ長さの物が違うように見える。白黒なのに、色が付いている様に見えるなどなど・・・三次元的に見えるよう脳が処理する癖なり法則を利用してそのように見せるテクニックですね。
そこから「幽霊が存在する」と思いこんでいる人がいたとすると、目のように見えたり風などの作用が幽霊のせいにされたりなんかしてしまうようです。
「信念」に従って「見る」傾向があるそうです。

*「信念」に従って「見る」ということから、関西の食に慣れた人間が関東の食べ物をただそれだけで否定するようなことが食の世界では解釈できるでしょうか?ラーメンでもフランス料理でも自分の贔屓のお店に固執し過ぎて、他のお店は全て「良く見えない」・・・そんなおやじにはなりたくないものです。また、そのようなスタンスで書かれている口コミもたまに出会うと思います。


・信じたことは思い出す。
実際に体験した事がない事でも、後から与えられた情報で実際に体験したように記憶が作られるそうです。児童に「昔、迷子になった事を覚えている?」と聞くと、最初は事実ではないので「覚えていない」と言うのですが、繰り返し面談を続けると「思い出す」そうです。「泣いていたら、お巡りさんが来た」とか「思い出す」そうです。
また、事件など混乱したような状況での目撃証言は多数の誤った証言が出てくるそうです。その場で聞こえた名前を耳にしていたら、その人が事件の首謀者のように「何かを隠し持っていた」みたいに誤解をした記憶を構成し思いこんでしまうようです。
パニック状態などでは「幽霊を見た」と無い記憶が構成されるのでは?とまとめてました。

*食に置き換えると、特に私は写真を撮らずに食べてしまう為、他のお店と混同してしまい食べてもないものを「食べさせられた」と思う可能性はあるなと思いました。特に不満足に終わったお店の事を書いている人なんかは、実際にそこまでひどい仕打ちではなかったのに「○○」された・・・などと思いこんではいないでしょうか?


・不合理なものを受け入れる。
色々な例えが書かれていましたが、印象的な内容は高級店をのぞいたら前のお客さんが1000人目で10万円の商品券をもらい1001人目の自分は記念品をもらった・・・何故か悔しくなる・・・というのと、サンタクロースを信じる子供はいても、彼がどのようにして一夜でプレゼントを配るのか不審に思う子供は少数である・・・です。人間は合理的思考ではないですね。不合理なものを受け入れてますね~

*この項目を料理に結びつけるとすると・・・うーむ、悩みますが、例えば同じ内容の料理を提供されるとした場合、お店の雰囲気によってうまくもまずくもなる可能性がある・・・そんな感じでいかがでしょうか?高級そうな内装のお店で「さんま定食」を食べるのと、ガッタガタのお店で全く同じ「さんま定食」が出て来るのを比べてみたら、その時の状況によって様々な意見が出るかと思います。その「さんま定食」の味が「そこそこうまい」か「普通」かによって評価が変わるかな?高級そうなお店で出されると「普通のさんま定食」でもありがたがられ、ガッタガタのお店で出されるとやっぱそんなもんだろ・・・と評価されちゃったりするのではないでしょうか?


・ステレオタイプ効果
ステレオタイプとは、「こういう物や人は普通こうだ!」と典型的な特徴をあてはめる事のようです。お姫様は必ず慈悲深く献身的だ・・・かっこいい男はやさしいに違いない・・・とかでしょうかね?
どうしても、見た目などで判断してしまうのは仕方がないことかもしれませんが、見た目と違う場合には固定観念から来る誤りだと言う事です。

*前の項目と同じになってしまい、私の力ではうまく例えられませんが、やはりお店の印象で期待する料理・サービスが変わるのではないかと思います。また、田舎や都会など立地場所でもステレオタイプな判断をしてしまうと思います。
逆にお店をやっていこうとした場合、働く人自体がその型にはまる事なく「良い意味で裏切る」と俄然高評価になるのではないかと思います。ガッタガタなお店で洗練されたサービスを目指す・・・戦略の一つではないかと思います。


・忘れられた由来
友達から聞いた噂話をあちこちに話しているうちに、噂を聞いた元ネタの友達にもその噂話を話してしまう事だそうで、情報の内容は覚えているが、出所があやふやになってしまうことだそうです。
確かにその話がしっかりした情報ソースからだったか?ゴシップなどの噂話から仕入れた内容かは覚えずに衝撃的であったり印象強く受けた内容の方ばっかり覚えているなと思います。

*飲食の世界で考えると、お店の側の話になりますが、間違った誤解であろうと一度噂が立ってしまうと、取り返すのに相当な苦労が必要と言うことかなと思います。特に新規開店早々で変な噂(それが間違いであっても)が立つと、二の足を踏むお客さんが多くなるのではないかと思います。お客の勘違いで「○○」付かないの?などと要求されても「それはCコースのみです」と言うと、今までの色々な項目の流れで、誤解し・無い記憶を持たれ・あちこちで言いふらされる・・・そんな事になりかねません。丁寧な言葉で、「追加料金を、いただけたらお付けできます」とか「申し訳ありません。○○でしたら、お付けできますが・・・」など、お客の状態を見ながら対応が変えられれば良いのかな?・・・なんかゴネタ者勝ちになるのは嫌なのですが、世の中とはそういうもんなのかもしれません・・・
ツンデレみたいに、きっぱりと断わりを入れて「こちらに書いてある様に、Cコースにしか付かなかったんです。説明不足で申し訳ありません。」とし、意外にさっとその場を離れる・・・その後、簡単な小皿などを持って来ながら「至らず、申し訳ありませんでした」とかで、サプライズを演出してはいかがでしょうか?その人が次から来ないかもしれませんが、言いふらされる恐れは無くなるように工夫しなければならないなと思いました。


・関連性の錯誤
関連性があると主張する為には、関連性の事例を積み上げるだけでは不十分だそうで、「茶髪の若者は非行に走っている」という主張に関連性として「非行に走っている茶髪の若者」の例ばかりを挙げても合理的ではないとしていました。なるほどですね。反例が必要で「茶髪の若者で非行に走っていない者」や「茶髪でない若者が非行に走っている」例が少数であることを調べてから主張する事が重要としていました。
とは言え、人間はたとえ不合理であっても、何とか関連性を見出そうとする傾向があるそうで、「ジンクス」がそれに当たるそうです。

*なるほど納得で、私も「良く調べずに店に行くと、かなりの確率でお店がやっていない」と、関連付けていますね。あと、駅前のお店はあまり良くない(都会での話)とか、ショーケースのある中華は良くないとか、パチンコ屋に隣接するお店も良くないとか・・・結構錯誤しているかもしれません、私。


・ギャンブラーの錯誤
丁半博打などで、「丁」が、5回ほど続くと、次こそは「半」が出ると思いがちになる様に、このような勘違いをギャンブラーの錯誤と呼ぶそうです。出る確率は何度「丁」が続こうが2分の1なのに・・・。人間は確率的思考が苦手だそうです。確かに宝くじなんて確率でいったらものすごい可能性が低いのに「買わねば当らん」と購入しているのは、その例ではないでしょうか?
同様に占いを信じる人も同じだそうで、良い占いは覚えていて悪い占いは忘れることで占いを過大評価してしまうそうです。

*食べ物のことで考えると、たとえが良くないかもしれませんが、一度「あたった」食べ物は二度と口にしない・・・岩ガキや〆サバなどで良くそのように言う人がいますが、確率的にはそんなにないのでは?食べたいんだったら食べりゃいいのに・・・と思う私は、そこまで苦しむ「あたり」を経験していないからでしょうか?
逆に一度あたったからもう大丈夫と食べちゃうと、あたる確率は変わらないから、また・・・


・メタ認知(まとめ)
ではどうやってそのような誤った事に陥らないかと言うのは非常に難しいと思いますが、「人間とはそのように誤った信念を持つ事がある」と認知することで、自身の経験や記憶が絶対ではないと慎重になることが必要で、そう言う信念を疑うことは不安になる事ですが、時には勇気が必要・・・と締めくくっていました。

*結構人間は気分屋で適当なもんだなと思います。書く方もなるべくそのように気を付けて、読むほうも半分程度に受け取る様にして、あくまでも参考と言うことで書き込み・活用していけばいいのではないでしょうか?無難な落とし所ですが、特に嫌な思いをした時に思い出して、深呼吸して冷静になって口コミされればよいなと思います。

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