令和2年6月18日(木)
小さい頃、母から三つ違いの兄貴と比較され常に蔑まれる扱いを受
けてきた私! もちろん自分でも何をしても兄貴より遅い、劣る事
は判っていましたが --- 母の言い草同様に兄貴から侮辱されるのは
例え兄と雖も許せなかったですね。
実は私は戦後数年経過し、日本が国際的に主権を回復した年の4月
6日に生まれました。 本来なら八つ行きでおおらかに小学校生活
も送れたものを! 3月31日生まれと詐称し敢えて七つ行きとされ
ました。 優秀な子ならいざ知れず --- 嫌がる子が母親に叩かれつ
つ、敢えて1年早く小学校に上がるなんて苦痛以外の何物でもなか
ったですね。
もちろん人一倍見栄っ張りでプライドが高い少年でしたので負ける
事が悔しくて悔しくて、最後は卑怯にも無意識に逃げる手段を覚え
るまでになりましたよ。 低学年の頃は運動会になると自然に腹痛
に! 今日は先生から何かの問題で当てられる、発表する日となる
と、高熱が出たりと --- そういう事に何の意識もなく身体が反応す
るようになりました。 これも私が元来持ち合わせた能力と性格と
いうものが主因だったんでしょうね。
当然のことながら優秀な子は普通の七つ行きであろうと全く関係な
く何事でも人一倍上手くできていましたよ。
小学生の頃の通信簿なんて兄はほとんど5なのに私は不思議と3の
大行列! 要するに落ちこぼれだったんですよ。
中学に入ってもまだ本来(?)の自分に戻れなかったですね。 それ
が不思議な事に中学3年生頃からでしょうか? 何か吹っ切れた自
分があって高校生の頃は一度読めば全て頭に残る記憶力があると判
ったんです。 そこから高校2年生までは競走馬のように走りに走
りましたよ! 3年生の1回目の全国模試ではそれなりの成績に!
でもその頃から受験勉強して将来何するの --- なんていう感覚に陥
り始めましたね!
その結果、3年生の2学期からは学校へもほとんど行かず、家で趣
味だった英語の参考書作りに懸命になっていました。 また同時に
ラジオ講座の先生の講義を生で聞いてみたいと思い始め、高校には
行かず関西で名物教授がいると言われている大学を調査し、叔父が
京都の大学に勤めていた関係もあり、いろんな先生の講義を無断聴
講しました。 でも高校の授業内容(教育者の授業)と、大学の授業
内容(研究者の講義?)のギャップを根本的に理解できず --- またも
や勉強嫌いに! 要するに興味は人一倍、その代わり諦めるのも人
一倍早いという感じだったですね。
つまり見栄とプライドから新しい事に他人より早くスタートライン
に立ちたいと思うのですが、とことんまで突き詰めるというか、や
り遂げる度量と能力がなかった? 意志も弱かった?
その結果が今の私で、この終着駅近くで人生を悔やんでいる姿なん
でしょうね!
今となっては --- 子供たちに対してまでも主張、維持しようとする
--- くだらない見栄とプライド、"早くくたばりやがれ!"、そして
一日も早く"素の自分に戻れよ!"っていう感覚ですね!