ラーメンの日記で書いたが、そんなに裕福ではなかった家庭に育った。
昭和の40~50年代には回転寿司なんて札幌の駅下に一点しかなかった。中華テーブルの丸いのを回すような回転寿司だった。
近所に寿司屋はたくさんあった。お店の入り口はもの凄く立派で屋根なんかお城でも意識しているのか?と思うくらい。店に入ると、握る人は2~4名程度いる店は当たり前で、お手伝いの小僧さんも数名。配膳する人も数名いた。
こんな店に行くのは年に1~2回程度あるかないかだった。
中学生くらいの頃から、父親は、私の成績がよいと寿司を食べさせてくれるようになった。
駅下の回転寿司だ。当時中学校は一クラス45名。学年10クラスだった。総勢450名。
学年10番に入ると、回転寿司で皿の色を気にしないで食べ放題・という凄いことをしてくれていた。白皿100円 赤皿(ピンク皿)200円 青皿(水色皿)300円。普通のお寿司屋さんの中に回転寿司コーナーがあり、回転寿司の寿司は少し小ぶりだったが、私にはもの凄くごちそうだった。
少し遠慮して100円皿が続くと「青いのも食べていいんだぞ」って言ってくれた。
父親も母親も中卒だった。子供に勉強をさせたいと思ったようだが、時々勉強しなさいとはいったがあまりうるさい方ではなかった。むしろ、試験が終わった成績が良かったときに、手放しにほめてくれた。テストが100点だったら、はやくほめてもらおうと、自宅に帰る道も小走りになった。お寿司が食べたいからではなかった。お寿司を食べさせてやろうとしてくれている父親の心がなによりもうれしくその父親の仕草の調味料が降りかかった回転寿司の味が人生で一番美味しいお寿司だった。
だから私も子供には、あまり口うるさく勉強とは言っていない。点数が良かったときにはオーバーくらいのアクションで喜んでいる。まず、100点のテストを壁に貼り、そのテストを見ながら、私はビールを開け、子供のジュースと乾杯する。1000円ちょっとの手巻き寿司のネタを家内はスーパーで買ってきて、私は、お小遣いでウニあたりを一つ追加して、「これがお父さんからのご褒美」といって夕食の間ずーっと勉強を頑張った話で盛り上がるようにしている。
寿司は私にとってかなり特別な存在だ。美味しいのは当たり前だが、思い出の調味料が特に最高だ。
味は舌だけではなくて、心でも感じるんだといつも感じている。
だから、お店の雰囲気、お店の人の接し方ってとっても大事だと思う。