平成21年の初場所は、朝青龍の優勝をもって幕をおろしました。
朝青龍については、様々な感想を持つ方がおられるでしょう。
私は、朝青龍の相撲人としての態度は、許せないと思っているひとりです。
そもそも大相撲とは、無理矢理カテゴリーであてはめるならば、格闘技に入れるしかありません。
しかし、大相撲はスポーツではないのです。
競技相撲と大相撲は、絶対に区別しなければならないものだと思っています。
競技としての相撲なら、外国人の参入も、勝った時のガッツポーズも、全く問題ありません。
しかし、大相撲はそれではダメなのです。
朝青龍は、その点が全くわかっていません。 だから、許せないのです。
最も悪いのは、日本相撲協会で、ある意味では、朝青龍も犠牲者と言えるかも知れません。
日本相撲協会は、公益法人であり、利益を追求するべき団体ではありません。
という事は、むやみに利益を追求してはいけない団体なのです。
ところが、興行収入を上げるために、外国人に門戸を開放してしまいました。
これが大変大きな間違いで、今につながる多くの問題を発生させる事になりました。
外国人だからダメという事ではありません。 大相撲の精神を、正確に理解している人であれ
ば、国籍や人種は問ういわれはないと思います。
例えば、第48代横綱の大鵬は、父親がロシア人ですが、連勝記録を45で戸田(最高位小結
の、後の羽黒岩)に敗れた時の言葉は、(この一番は、大鵬の足が残っており、実は差違え
の一番で、ビデオ導入のきっかけになったといわれていますが)「横綱は、物言いのつくような
相撲をとってはいけない」というような内容だったそうです。
さらにさかのぼって、角聖と呼ばれた35代横綱の双葉山は、70連勝を阻止された時、「われ、
いまだ木鶏(もっけい)たりえず」との言葉を残しました。木で出来た鶏のように、微動だにしな
い境地に、まだ達していない、というのです。 あの大横綱がですよ。
この2人の横綱は別格としても、そういう精神を理解出来ない力士は、行司の判定に不服を唱
えて恥じようとしません。
判定に注文をつける役割の人(審判員)は、他にいるのです。力士は取組みに集中すべし!と
いう事ですよね。
つまり、大相撲というのは、勝てば良いという競技とは、全く別物だという事。
それがわかれば、ガッツポーズがダメという理屈もおのずから理解出来るというものです。
いずれにせよ大相撲界は、いろいろな問題が山積みです。
一日も早く、健全な状態に戻る事を、切に祈っております。