『一番短い夏から最長の夏へ…』新潟 ケンシンさんの日記

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日記詳細

2009年8月24日は、甲子園球場で「弟91回全国高校野球選手権大会」の決勝戦が行われ
ました。
その最後の舞台に何と! 野球最弱県の新潟県の代表校の姿があったのです。
決勝戦は、日本文理高校(新潟)対中京大中京高校(愛知)。
誰がこのようなカードを予想したでしょう?

去る8月8日、私はにしのみやらーめんのレビューの中で、1991年夏の大会で、小林幹英
投手を擁する新潟明訓高校が甲子園初出場を果たし、しかし、開幕試合で1対8の大差で
完敗したエピソードをコメントしました。
8月8日の甲子園大会の開幕日にあわせてのコメントでしたが、実は早めにコメントをしたかっ
た理由がもうひとつあったのです。
それは、新潟県の代表校が敗退する前にコメントをしたかった…という事でした。

ともかく、初戦だけは勝ってほしい… 
おそらく、そんな祈るような気持ちで、われわれ新潟県民は甲子園大会を迎えた人が、大多数
だったのではないでしょうか?

そんな県民の気持ちを、良い意味で大きく裏切り、決勝戦に進出!
甲子園大会の決勝戦は、まるで新潟県出身の野球漫画の第一人者・水島新司氏の「ドカベン」
をほうふつとさせるような、素晴らしい試合になりました。

応援、そして健闘むなしく、中京の打線が爆発し、8回終了時で4対10…
そして9回も2アウト… やはり力の差が出てしまったか、万事休す…
相手のピッチャーは、エースで主砲の堂林君… 
有終の美を飾るべく、再登板のマウンドに上がっていました。
ここで終われば、完敗です。 誰もが負けを予想したに違いありません。
しかしここから怒涛の攻撃と粘りを見せるのです。 打者7人連続の出塁で、スコアは9対10!
最後は強烈なサードライナーで試合は終了しました。

ものすごい試合でした。
試合終了後、勝った中京ナインは青ざめ、泣いている選手もいましたが、文理のナインは笑って
いました。 達成感にあふれた最高の笑顔でした。
ひとり、最後のバッターになってしまった若林君だけは涙を見せていましたが…
若林君、君がいなければ、ここまでの快進撃はなかったよ!
胸を張って新潟に帰って来ておくれ! 私は心の中でそうつぶやいていました。
感動というのは、こういう事なのだ…と、心から彼らに感謝の念を抱きました。

優勝旗は新潟に持ち帰れませんでしたが、あれだけの試合を見せられれば、もう勝ち負けは
関係ありません。

野球最弱県の新潟県の夏の通算勝利数は16から20に増え、47位から45位タイに順位を上げ
ました。

私も8月8日の「49校中一番短い夏」のコメントをしたその年に、「最長の夏」を経験する新潟県
代表の事をコメントする事になろうとは…夢にも思いませんでした。
日本文理高校のナイン達、最高の夏をありがとう!
今年の夏の君達の大健闘は、生涯忘れる事はありません。
素晴らしい選手たちに、拍手、拍手です。
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