☆流れ星さんが投稿したデリー 札幌店(北海道/豊水すすきの)の口コミ詳細

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流れ星 note 〜北海道版

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デリー 札幌店狸小路、豊水すすきの、すすきの(市営)/インドカレー、スープカレー

2

  • 昼の点数:4.0

    • ~¥999 / 1人
      • 料理・味 4.0
      • |サービス 3.5
      • |雰囲気 3.4
      • |CP 3.5
      • |酒・ドリンク -
2回目

2019/06 訪問

  • 昼の点数:4.0

    • [ 料理・味4.0
    • | サービス3.5
    • | 雰囲気3.4
    • | CP3.5
    • | 酒・ドリンク-
    ~¥999
    / 1人

コルマカレー

TVで林修先生がドはまりしていると言っていたコルマカレーを食べてみたかったのだが、結論から言うとここ札幌デリーのコルマカレーはそれとは異なるようだった。

■コルマカレー ラム肉 ¥800 

北インド・パキスタン地方の家庭の味との事・・・まさにそれ。本場系のダルカレー風。

油とペーストが分離しているのでスプーンでかき混ぜるとトロトロとした滑らか食感に。味わいはややオイリーで玉葱の穏やかなる甘味とまったりとした豆のコクが主張、辛さはほぼ無く、マサラ系のスパイシーさがほんのりと隠れている感じだ。ラム肉は柔らかくキュッとしており旨味も十分。

悪くない味わいだが、また食べたいかと問われれば「NO」。但し「カシミールカレー」の大ファンなので、評価はあまり下げない事にした。


  • コルマカレー

  • コルマカレー

  • ラム肉

2019/06/30 更新

1回目

2018/08 訪問

  • 昼の点数:4.1

    • [ 料理・味4.1
    • | サービス3.5
    • | 雰囲気3.4
    • | CP3.5
    • | 酒・ドリンク-
    ~¥999
    / 1人

インドカレーとしては老舗的存在でしょう。

1982(昭和57)年 北海道札幌市に「デリー」開店との事なので、35年以上の歴史を誇る店。いわゆる団塊の世代の開業ラッシュを経て、その世代の飲食店がポツリポツリと閉店していく現在においても、当時は珍しかったインド系カレーにおいて今尚頑張っているのは尊敬に値するのかも。Google検索すると、ここはいわゆる暖簾分け店。公式HPでの歴史観にも迫力がありますね。(レビュー最後部に転載)

狸小路の店はアットホーム。カウンタ―の無い店なので、混雑時は相席が必須です。メニューもシンプル。4種のカレーとトッピングを選ぶのみ。辛さの指定は出来ませんが、卓上のチリパウダーで調整するのでしょう。

■カシミールカレー(ラム) 800円

ライス大盛りサービスとの事でしたが、今回は普通盛りでお願いしました。カレーのサラサラなスタイルは、今で言うシンプルスープカレー。それでもベースの旨みとスパイス感で、しっかりインド系しています。爽快な辛さ、煮込まれ過ぎない野菜類、適度~じっくり煮込まれたラム。。。キュッとレモンを絞った白飯の爽やかさと炊き上がりの良さ(日本米)、心地の良いシンクロ具合です。

時より脳が舌が、思い出して。。。思わず吸い込まれる魅力を持った老舗的安定店ですね。鉛筆手書きのメニューも昭和感たっぷりです。

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【以下公式HPより転載】

デリーの創業者、田中敏夫は、富山県の味噌・醤油などを扱う食品会社に生まれ、35歳で佃煮の製造販売を行う田中食品工業を設立しました。しかしながら、時代とともに食文化が変わり佃煮の製造が斜陽産業になったため廃業、7年後に閉鎖することになります。

戦前、創業者は商社マンとしてインド、パキスタン、スリランカに長年駐在し、油や石鹸の原料となるコプラ(椰子の固形油脂分)の国内輸入を行っていました。閉鎖の失意の中、インド駐在時にメイドさんや友人宅で食べていたおいしいカレーを思い出し、「あのインドカレーを日本に紹介しよう」と一念発起した創業者は、佃煮を作っていた料理人と共に、インドから取り寄せたスパイスを使い、当時食べていたカレーを再現するために試作を重ねました。

そして、昭和31年、デリーを創業することになります。デリー開店後も、生来の研究熱心さで、インドの料理学校やレストランで、調理を学び続けています。デリーのカレーは、インドの味だけではなく、創業者が和の食品作りに携わっていたことによる技術やアイディアが取り込まれた、唯一無二のオリジナルカレーとして誇れるものとなったのです。


STORY 02
内助の功
しかし、上野店がオープンする1年前の昭和30年、創業者・田中敏夫は結核のため入院し、3年間の療養生活を余儀なくされます。
その間、経営全般については妻・やす代が全てを引き受けました。

療養後、敏夫はさらなるインド・パキスタン料理研究のためインド国立料理学校に入学し、その間すべてを任されたのもやす代でした。店舗の切り盛りとサービス、経営の陣頭指揮まで、この「内助の功」なくして、現在のデリーの存在はありません。


STORY 03
デリーの創業
昭和31年2月28日現上野店所在地において個人営業を開始しました。
当時カレーハウス・デリーと称しカレー粉をまったく使用しないインド現地の民族食、カレー料理を提供する唯一の店として発足しました。
デリーという社名は歴史上、様々な王朝が立ち、イギリスの植民地の中心でもあり、独立後も首都である、デリーという首都名から取りました。

当時の日本人はインドと言っても、デリーという名称くらいしかなじみがなかったので、デリーという名前にすれば、インドのカレー屋だとすぐわかるだろうと考えたからです。社名と同様に、インドの地名から名づけたカレーが多いのもデリーの特徴です。
開店2~3年後からデリーの店の前には、大手商社や銀行からの黒塗りの車が多く止まっていて注目されたり、近くの東大の教授の方々、はたまた落語家さんからも支持されていました。上野店は、今でもデリーファンの聖地として、創業当時そのままの趣で、お客様に愛されています。


STORY 04
デリーの拡大
その後、カレーのみならず、インド・パキスタン料理を提供するレストランとして、六本木、軽井沢、新宿、銀座、船橋とレストランを展開していきました。
また、創業者の強い希望で、デリーのカレーを家庭に運びたいということから、埼玉にてカレーの製造を中心とする工場を設立しました。展開した店舗も製造卸売業拡大により、直営レストランを銀座店と上野店の2店舗に集約しました。
平成19年3月に六本木ミッドタウン店をオープンし、現在はこの3店舗がデリーのレストランです。
ただ、デリー直営のレストランは3店舗ですが、実際には暖簾分けしたレストランが多数あります。
これは、創業者が、デリーで修行したコックが地元で開店すれば、デリーの味が広まると考え、独立開業を支援してきたからです。
デリーと同じメニューを掲げる者はデリーと名乗り、自分の個性をプラスした者はそれ以外の店名で頑張っています。


STORY 05
デリーの今後
創立当初から、インドの味を損なわず、日本の風土、日本人の味覚に合ったカレー、毎日食べても飽きないカレーを提供してきました。
流通技術の発達により、創業当時よりも、より香り高く新鮮で均一感は増していると思います。
今後も、レストランと家庭で召し上がる工場製品を両輪に、創業の精神である「日本とインドの食の架け橋」となるように、より多くの方にデリーの味を知っていただくよう、研鑽していきます。

  • カシミールカレー(ラム)

  • カシミールカレー(ラム)

  • カシミールカレー(ラム)

2018/09/26 更新

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