『第2話・・・”かつどん”』黒の旅人さんの日記

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本日は晴天なり・・・by黒の旅人

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日記詳細

僕がまだ小学生4年生の頃、
夏休みの終業式も終わり、
家に帰ったところ母親が、
”傘を学校に忘れているから取りに行って来い!”とご立腹。
”傘が見つからなければ昼飯は出さない”と追加で言われる。
まさかと思うであろうが似たような事が前にあり、
4食分を抜かれた事が有る・・・・
その時の事が鮮明に思い出され、
すぐに学校へと向かう。

誰も居ない校門を通り、用務員室に行き、
事情を話し校舎に入れてもらい自分のクラスの傘立ての前に行く。
「傘が無い。」いつもなら一本ぐらいは残っている傘は
今日に限って無いのである。
もし余っているのであったら、
自分の黒い傘と似ている傘を借りて行こうかとも考えていた。
しかし事実として傘は一本も無いのである。

飯抜きが決定となり、
その場所から家路に付かなければならないが、
帰る足取りは非常に重い・・・・
家に帰れば飯抜きの上に暴行される・・・
今の時代なら”幼児虐待”になるだろうが、
当時そんな物は存在しない・・・
しつけの一環として片付けられる。

余談ではあるが僕の背中には目立たなくなったとはいえ、
竹の柄のホウキで叩かれた痕が残っている・・・・
母はその竹の柄が割れる程の力で当時の僕を叩いた・・・
今も思う・・・わが子にそれが出来るか?
たとえ”しつけ”の一環でも僕には出来ない・・・

家路に付く為に校門まで来た所、
同級生の女の子に合い、
傘を無くし家に帰る事が気が重いと話した。
女の子は、「じゃ~取り合えずウチにおいでよ。」と言い
僕は女の子の後を付いて行く事にした。

女の子は自分の家の玄関を開け、
「今日はお父さんしか居ないから待ってて!」と言った。
暫く玄関で待っていると女の子のお父さんが現れ、
「話は聞いたから、取り合えず飯でも食って行け」と言われた。
座敷に上がり正座をして、
女の子の入れてくれたカルピスを前に、
この先どうすれば良いのか自分でも判らなく、
何も言わずにガラスに付いた水滴を眺めていた・・・
シ-ンとした静けさの中、
女の子のお父さんが「カツ丼で良いだろ」と言って席を立った。
女の子も僕に気を使って色々と話し掛けてくる。

遠くで「カツ丼三つお願いします」と言う声。

お父さんが戻って来て、
「傘ならウチの傘をあげるから似てるのを持って帰れば良い」
と言ってくれた。
心配事が一つ解決したように思え嬉しかった・・・
そんな話をしているうちに出前のカツ丼が座卓の上に置かれる。
「さぁ、飯にしよう!」と言われカツ丼の蓋を開ける。
この当時カツ丼は高価な物である。
蕎麦屋の中では天丼と同じくらい高価なのである。
ふだんウチで出前を取っても盛りそばしか頼んで貰った事がない。
僕にとっては夢のようなカツ丼・・・・
実はカツ丼を食べたのはこの時が最初、
トンカツ自体もウチで食べる事は無かった。

目前の丼の中はトンカツの上に半熟の卵がかかっており、
トンカツの下にタマネギ・・・
割下が程よく白米に混ざっており、とても美味しく頂いた。
その後、女の子のお父さんに傘を頂き
ウチに帰った・・・が、傘が自分の物ではないことがバレて
夕飯から飯抜きになったのは言うまでも無い。

しかし、あの時のカツ丼の味が、
いまだに忘れられない・・・
と言うより、忘れてはならない味なのである。

その後、“かつ丼”は自分の中で封印し、
小学生だった僕はだんだんと成長して行くのだが・・・

高校を出て2部の専門学校に入ったが給食が無い。
家に帰っても夜遅いから飯は外食。
学校が休みでウチに居る時は、
ご飯とお味噌汁と
ロ-スハム3枚が焼くわけでもなく
(稀にコンビ-フが半缶)
そのまま食卓に出される・・・・
百回に一回ぐらいは違う物も出てきたが・・・・
この食事は結婚する直前まで嫌がらせのように続けられた。
(働くようになってから食費はちゃんと入れていたのに~)
その頃、兄はどうだか見ていなかったが、
弟はちゃんとした食事を与えられていた。
家でのお食事ではなく祖食事に耐えられるわけも無く
そこから外食が多くなってしまったのである。

ここで一応、説明しておくがウチは決して
貧乏ではなかった・・・が、僕に対しては
ウチの親は貧乏を装っていた。
気が付いた時はすでに二十歳になったいた・・・

食べ物にこだわるのは、
幼少時代から結婚する頃までの
親からの差別が原因でもある。

だから、いまだにカツ丼を食べると
昔の事を思い出し切なくてやり切れなくなるので、
外でカツ丼を食べる事は滅多に無い。
それと、ロ-スハムとコンビ-フをおかずに
ご飯を食べる事はまず無い・・・・・

そう言えば、
僕がうなぎの味を知ったのは
親父が、うなぎの皮を残すので
ソレを食卓に出されたのがきっかけだった・・・・
ウチの食事で蒲焼をそのまま出された事はなかったな~
いつも皮しか食わせて貰えなかったな~

食い物の恨みって恐ろしいなぁ・・・




本文はフィクションではありません!
すべて事実です!
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