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パワースポット“近所(横浜市鶴見区駒岡)”>
①【
瓢箪山お穴様】
横浜市鶴見区駒岡4丁目12
古墳及び横穴墓群(岩瀬山横穴墓群)である。
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明治の末ごろ、京浜電鉄(現京浜急行)の軌道をつくる土をとるために瓢箪山を切り崩していたところ、
丘の中腹で2m四方の大きな横穴が発見され、
その後「お穴さま」という病気平癒にご利益があるという噂が広まり民衆の信仰となったのち、
昭和40年に発掘調査したことにより古墳であることがわかった。
瓢箪山の名前の由来は、
“山の形が瓢箪に似ているから”という説と、
“頂上に前方後円墳があり、それが瓢箪に似ているから”という説があり、
どちらが正しいのかは決めがたいそうだ。
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『鶴見の歴史』より
https://www.city.yokohama.lg.jp/tsurumi/shokai/gaiyo/sasshi/rekishi.html?msclkid=8c7bc20bc39411ec89c0f870fbac04b8②【
兜塚と兜塚伝説】
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兜塚は、外形が兜の形をした古墳で、高さ5.8メートル、直径30メートルあり、
副葬品などから古墳時代後期(6世紀)頃のものといわれています。
昭和6年(1931)頃、長慶天皇(1368~1383)の陵墓だという説がおこり、
県当局よりの指示で、石野瑛、山田寅元、池谷健治らが、
発掘を試みたところ礫床を発見し、
瑪瑙の勾玉・水晶の切子玉・青銅渡金の金環など数点が発見されました。
その後、昭和26年と40年にも調査をしています。
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兜塚伝説
長禄元年(1457)、太田道灌が江戸城を築き、各地をみて回った時、
加瀬の台(川崎市幸区)にも城を築こうとして一夜を過ごしました。
その夜、夢の中で、どこからともなく飛んできた鷲が、
道灌の兜をさらって飛び去り、この丘の上に落として行きました。
道灌はこれを不吉として加瀬の台に城を築くのをあきらめ、
後にこの地を夢見ヶ崎と名づけました。
鷲が兜を落とした丘に兜を埋めたので、
兜塚と言われるようになったと伝えられています。
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昭和63年3月 鶴見区役所
③【
駒岡浅間社】
兜塚に奉られている御祭神は、木花開耶姫命。
現在は師岡熊野神社の兼務社となっているようです。
最寄駅は、東急東横線「綱島」駅、もしくはJR南武線「矢向」駅。
④【
かぶと塚ふれあい広場】
ココはパワースポットとは言えないが、
兜塚の流れで紹介されている梶山地区の小公園。
この台地上に遺跡があったようですが、定かではないようです。
梶山遺跡では、過去4回の調査で22の住居址が発見され、土器も出土。
下記リンク先のpdfに発掘時に写真が載ってます。
【参考】全国遺跡報告総覧 梶山遺跡(1)
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/22851∞∞∞∞∞∞∞∞
また、この稜線の寺尾方向にある“三ッ池公園”の南側には古墳跡があります。