『忘れられない寿司の味』お職の花魁さんの日記

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私がまだ会津で仕事をしていた頃の話。

大学を卒業して就職先の最初の赴任先が会津若松市だった。
半年間の研修期間を終え、新人営業マンの私が最初に担当させられた地域は南会津と西会津エリア。
奥会津金山町にも新規のお客様が一軒あり、もれなく私の担当先となった。
金山町は会津若松から車で約1時間30分程かかる山間の小さな町である。

営業所内では西の金山、南の舘岩と称されるくらいの遠隔地にある難攻不落の得意先。
冬場は大雪で移動も容易ではない。
社会人として駆け出しの頃の私は、まだ営業スキルも乏しく、取り柄は若さと体力だけ。
先輩社員に追い付こうと毎日寝ないで仕事をした。
平日は我武者羅に働いて、土日におもいっきり遊ぶ。
遊びに興じて散財し金欠状態の毎日。

南会津~西会津を車で移動するときは、毎回睡魔との対決。

そんなある日、この金山町の得意先の社長から1本の電話があった。注文があるから来いというのだ。

どういう風の吹き回しだろうか。
新規先という位置付のお客様でもあるし、ついに私の営業成果が認められたのかと鼻唄気分で金山町まで車を走らせた。

冬場の道悪の中、会津若松市から車で2時間程で到着。
急ぎ足で社長のもとに向かうと、これから只見町まで営業に行くので同行してくれと頼まれた。
私はその日、その後の予定もあったので一瞬困惑したが、この千載一遇のチャンスを逃すまいと、社長の申し出を快く承知し同行することに。

冬場の奥会津は大雪で道も悪く、社長と4〜5軒の顧客を訪問しただけであっという間に夜になってしまった。

実はその日は12月24日、クリスマスイブだったのだ。
夜には彼女と会う約束が。
おまけにクリスマスイブは私の誕生日でもあった。

しかし、齢50をすぎた社長にとってクリスマスイブなど重要な日ではないのだろう。覚悟を決め、今日は社長にとことんまで付き合い仕事に徹しよう。同行中の助手席でそんなことを考えていた。

午後8時頃だったろうか、人っこ一人いない夜の只見町をトロトロと走る車の中で、社長は私にこう言った。
「めしでも食っていかないか?」
「何食いたい?好きなものは?」
彼なりの私に対しての慰労の礼だったのだろう。

当時の私は今思えば本当に愚かだった。
食べたいものはと聞かれて、そのとき単純に頭に浮かんだのは「寿司」だった。

「寿司ですかね」
今考えれば、まともではない(笑)
取引先の社長に対して、無理難題をぶつけたのだ。
こんな内陸の山間の町にうまい寿司が食べれる店なんかある筈がないからだ。

社長は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに町内の一軒の寿司屋に私を連れて行ってくれた。
嫌な顔ひとつせずに。

社長は着いたらすぐに私のために特上のにぎりを注文してくれた。
「好きなだけ食えよ!もっと頼め!」
「あとはいらないのか?」
「酒が飲めなくて残念だ」

終始私を気づかってくれたのだ。
彼はその日が若者にとって特別な日であることをちゃんと知っていた。
愚かなことに私は、この時点で社長の心に入り込んでいたことを自分で気づいてなかった。

その後何度となくこちらの社長から小口の注文は頂いたが、結局私は会津在籍中にこのお客様を専売化することはできなかった。

今でも只見町にうまい寿司屋があるとは信じ難い。
ただ、あのとき食べた寿司の味は本当に美味しかった。

たしかに本質的な味の良し悪しも重要かもしれないが、人が感動する味というのは私は別のところにあると信じている。

社長のやさしさ。
彼の最高のもてなしに気づかなかった自分が情けない。
今になってそのときの社長の気持ちが痛いほどよくわかる。

ご馳走様でした!有難うございました。
もし社長に再会したらそう伝えたい。








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