フランス料理・・文字通りフランスの料理なのですが
何か特別に語られることが多くて、特に我々の世代の
男性は結構式でフレンチに触れた人が多くて、それら
全部が形式的ではなくて、良い店もありますが大抵は
見劣りするものが多くて「フランス料理」嫌い・・・
と、言う人多くいます。
そこで、フランス料理の普及した流れなどを書いて
みたいと思いました。特に店の思い入れではなくて
歴史的流れで書いてみたいと思います。あまり興味の
無い方は長文なので読み飛ばして下さい。
日本で最初のフランス料理レストランは麻布竜土町
にあって現在は西麻布にある1900年創業の
龍土軒とされています。
龍土軒は一時期はフランス料理ではなくて、どちらかと
言えば出前中心の洋食屋さんみたいになっていたのですが
1980年位から今の代に変って、かつてのフランス料理
のスタイルを踏襲しています。
あんまりマスメディアにも登場せず、日本最古のフレンチ
と売り込むこともなく地道に営業しています。
昭和37年にホテルニューオータニに「レストランバルゴー」
ホテルオークラに「ベル・エポック」が開店しました。
ホテル御三家の帝国ホテルはまだ本来のフランス料理はなくて
肉専門の「グリルルーム」、魚専門の「プルニエ」が盛業中!
ゲリドンを多用して「コミ・ド・ギャルソン」を配置した店の
「フォンテンブロー」が開店するのが今の本館が出来た1970年です。
フォンテンブローはゲリドンサービス(最初から皿に盛付ないで、客前で
切り分けるサービスで、トランシェと言う専門係りがいました)が、
流行らなくなって平成5年頃に鉄板焼きの
嘉門に業態変更
しました。
その前に、1964年にソニービル地下3階に出来た「マキシム・ド・パリ」
ドレスコードが厳しく、バイオリン弾きがテーブルを廻るなどの優雅な空間
でした、今のマキシム・ド・パリは別な意味で繁盛しています。
1973年頃に鎌田昭夫がシェフの六本木「オー・シュバル・ブラン」が
開店して平成の初めまで盛況でしたが、銀座一丁目の「ホテル西洋」の
シェフとなって閉店しました(ホテル西洋も閉館)。現在の鎌田氏は
東京ドームホテルの総料理長です。
井上旭が「ドゥ・ロアンヌ」を開店したのが1977年位だったか・・
その時のスーシェフ(2番手)は北島素幸氏、井上旭氏が
シェ・イノをオープンさせて一時期は北島氏が「ドゥ・ロアンヌ」のシェフを少し
担って、TBS会館の「シド」改め「パンタグリュエル」シェフを経て
1990年に四谷の
北島亭を開店させて現在も盛況中
です。
もう一つ大切なのは六本木にある
オー・シザーブルの存在
でして、ここからは数多のシェフが育ってます。
レストラン アラジンの川崎氏など多数です(オー・シザーブルは閉店しました)。
こちらの系列の
ビストロ ド ラ シテはビストロの走りで
他の店よりは安価な料理を出してました。
今では結構、高額な料理もありますが!
フランス料理の展開期はいつ頃だったのか・・思うに1982年だと思います。
その頃開店したのが
レストランひらまつ 広尾の前身の「ひらまつ亭」
石鍋氏の「クイーンアリス」、が出来て段々と浸透していきます。クイーンアリス
を開店する前の石鍋氏は六本木の「ビストロ・ロチュウス」のシェフをしていて
当時の少量、多皿料理の先駆けとなりました。
1983年帝国ホテル内に
レ セゾン開店、同じ年にフランスから帰国した三國氏が
市ヶ谷の「ビストロ・サカナザ」のシェフに就任、約2年後に四谷若葉に
オテル・ドゥ・ミクニを
開店して今は大人気の店になってます。
1986年仏国「ランブロワジー」のスーシェフをしていた斉須氏が三田の
三田ハウス内に
コート・ドールをオープン、当初はオーナー
シェフではなっかたけれど現在は営業権利を買い取りオーナーシェフとして
盛業中です。
時代は町場の高級フランス料理店がひらまつ亭が西麻布の裏から南麻布は
有栖川公園の前に
レストランひらまつ 広尾として移転して
「オテル・ド・ミクニ」、「コート・ドール」とともに流行はバブル時代に
入ったこともあって高額な店がもてはやされました。
1987年渋谷の青山学院前に
ラ・ブランシュが開店しました。
この店は現在でも(2019年1月)オーナーシェフの田代氏と給仕長の
岡部氏のコンビで32年間、衰えなく盛業中です。サービス人が開店から
変わらないのは珍しいです。
バブルの陰りが見え始めた頃に色々な高級フランス料理からフランス料理を
日常食として食べようと考えて、その旗振り役となったのが現在は新宿区
荒木町・舟町の
パザパのオーナーシェフの伊川順二氏です。
最初は市ヶ谷台町に「オー・ムートン・ブラン」を開店して、そのあとに
高田馬場に「ラ・ディネット」、目白台に「パ・マル・レストラン」、千石
に
プルミエと伊川順二氏に薫陶を受けたシェフが独立して行きます。
ラ・ディネットは「おままごと」の意味、パ・マルは「まあまあ」の意味
プルミエは「2番目」の意味、その通りの店で昼食は前菜→メインディッシュ
の2皿で¥1000、ディナーは同じく2皿にデザートかチーズが付いて
¥2500平均でした・・ただ、どの店もこの値段以上の店だと思います。
素材は落とさずに、物件は居抜きを使ったり、カトラリーは使い廻しで
ナプキンは紙製、オーナー1人で調理からサービスまで熟している店も
ありました。人件費を抑えるためなのは言う事がないです。
現在は前出の「プルミエ」、「パザパ」以外に、高田馬場に
ラミティエ目白台に、
ル・マルカッサン(こちらのオーナーは伊川氏の甥っ子です)。
がそれぞれ頑張ってます。伊川氏の系列以外にも代々木に
キノシタがあり
近い初台には
シラノ・ド・ベルジュラックがありまして、この2店も
リーズナブルな店として頑張ってます。
それでも、この頃のフランス料理の新しい流れに当時の保守的なおじ様達は
本物のフランス料理ではないとか・・色々と言われましたが、現在では何も
言われずに、フランス料理が本来の意味で浸透していったようで、30歳台
を中心に流行ってます。ワインをタップリ飲んで、フランス料理の惣菜を食べて
¥5000前後です、飲まない人はもっと安いですので下手な居酒屋よりも
良い素材を使って頑張っているのでお勧めの店です。
1984年に有楽町の蚕糸会館地下1階に
アピシウスが開店しました。
かなりの攻勢を図っていたのは故・高橋シェフ時代でした、今でも素敵な店
ではありますが「ロジェ」に少し水をあけられた感はあります。
同じ頃に山本益弘、見田盛夫共著の「グルマン」という、写真なしのフランス
料理レストラン本が発行されました。本音(誹謗、中傷ではない)を書くの
意味では現在の「食べログ」に通ずる物がありました・・1983~2002年
まで途中は「エキピュリアン」と名前を変えて、著者も見田盛夫氏1人となって
飲食店情報も書籍から「サイト」になって行き、2002年で廃刊となりました。
ただ、グルマン&エピキュリアンの他のガイド本に与えた影響は大きいと思います。
食べログを始める時に「グルマン」のような書き方をしたいと思ってニックネーム
を「グルマンじゅん」としました、そんな経緯です。
これからのフランス料理店は、どんな道を進んでいくのでしょうか・・・できれば
日常食の店がもう少し増えて欲しい・・そう思ってます。
グルマンじゅん