『死者の悼みかた』コッキンポンコさんの日記

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コッキンポンコ (50代前半・男性・東京都) 認証済

日記詳細

「父の死」 

たったひとつの死にも
多くの時と多くの場所と
さらに多くのものがかかっている
多くのそれらを
一時に石の竈で燃やさなければならない
それらの炎のなかで
どうして人間がすこしも苦しまずに死ねようか?

   その夜――

妹のところへ電話をかけようとして
ぼくは暗い路地を走り出た
どの家も寝しずまっていて
まがりかどにオレンジの外燈がひとつ
近くの闇を照らしていた
こんなふうに父が死ねば
誰だって僕のように淋しい夜道を走るだろう
崖下の道で息がきれた
明るい無人の電車が
ゴーゴーゴーとぼくの頭上を通過していった
   ……苦しみぬいて生きた父よ
死にはデリケートな思いやりがあった
ぼくは少しずつ忘れてゆくだろう
スムースなスムースなあなたの死顔を。



鮎川信夫の詩である。

先日、祖母が亡くなり、僕は徐々にではあるが、
祖母の死を受け入れ始めているのだと認識している。
死を知らされた当初はぼんやりとそういうものか、と思っていたが、
骨を焼き、墓に入れる算段をしていると訊いた昨日から
心がざわついて仕方ないのである。

どうやったって、不安定になりようがない話なのだ。

他者の死は自らが受け入れない限り、やってこない。
受け入れられて漸く、悲しみがやってくるのだろう。

鮎川は、父の死を訊いて、寂しい夜道をひた走ることで
その死を受け入れようとしているのだ。

僕はどうだろう?

食べログに日記を載せることで
祖母の死を受け入れようとしているのだろうか?

祖母よ、教えてはくれまいか?
あなたの死を僕はどうやって受けれたらよいのだろうか?
この悲しみをどうやって受け入れたらよいのだろうか?

僕は、いつまで経っても人の死というものに慣れることができないのだ。

コッキンポンコ。
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