僕は8月近くになると
精神的に不安定になる。
幼い頃よりそうなのだが、それは、
終戦記念日のせいである。
「太平洋戦争」という歴史が僕にとんでもなく暗い影を投げている。
その理由は分からない。
とにかく他人事ではない気がしてテレビや記事、わざわざ本まで購入する。
僕は特に日本の戦争責任を!という補償狙いの思考回路もないし、
英霊に捧ぐ。。という兵隊のみを特別視することもない。
民間人だって大多数亡くなっているのだから。
誰が皇居に向かって礼なぞするものか!ってんだ(笑)
だが、こういう話は日常ではタブーだ。
特に日本人は、右か左かという思考停止したバツの悪い議論になってしまうし
聞かぬ耳をどう説得しても誰の耳にも聞こえないのである。
ただ、
2年前にアンパンマンのやなせたかしについて書いたレビューがあるのだが、
72年前の日本人は戦争を国を挙げて肯定し、
父や子や兄を戦場へ送ったという史実を認識をしなくてはいけない。
それは日本人が持つ罪悪なのである。
これは軍属として朝鮮からやってきた方々も同様である。
戦争という行為に加担したという事実はきちんと認識すべきだ。
今まで他人のせいにすることでしか議論のテーブルにあげることをしなかった。
それはマスコミも国民も一緒である。
誰のせいでもないが、それは父母や祖父母のの罪であり、
強いてはわれわれの罪でもある。
焼け出されて被害者とは言われることは厭わないが、加害者ではないという。
そんな虫のいい話があってたまるか。
アメリカは太平洋戦争に関して
従来のジョンウェイン的な歴史解釈を否定し始めている。
これまではその「非英雄的な歴史解釈」は
ベトナム戦争については討議されてきたものであるが、
アメリカ人がその帝国主義的な立場を鑑みるとき、
その解釈は太平洋戦争にも及んでいると言っていいだろう。
これまでマシンガンで黄猿をバッタバッタなぎ倒すという
戦争シーンしか描いていなかったがそんなことでは
太平洋戦争を考えたことにはならないのである。
特に、ペリリュー島、硫黄島、沖縄戦に関して
映画「硫黄島からの手紙」「ハクソーリッジ」や
TVシリーズ「パシフィック」などの描写は
アメリカという国が持つ寛容な部分を見るような気がする。
(決してアメリカを讃美するわけではない…笑)
カルチャーを作る国ならではのおおらかな歴史解釈、
という形容詞も必要だとは思うが。
これらの戦争シーンでは、
これまでの太平洋の覇者、勝利者といったような認識はない。
「パシフィック」のプロデューサーでもあるトムハンクスは
「もっとリアルに史実を描きたいと思った」と語っている。
アメリカ兵が日本兵の死体を凌辱したり、
死体にまで紛れて手榴弾で自爆する日本兵がいたり、
勝った・負けたでは到底語りつくせない戦争の実態を再現したのである。
蔑視していたジャップに作戦という意味で翻弄され、
アメリカ人たちが太平洋の島々で屍をさらすことになった様を忠実に描いている。
日本との間にあった幾たびかの島嶼戦で、
アメリカは常に「勝利」に酔いしれるような立場ではなかったのである。
例えば、ペリリューの戦いでは、
アメリカの司令官は3日で落せると豪語していたが、
結局は2か月以上かかってしまった。
1万の日本守備隊の玉砕に対し、
アメリカ戦死者は2300人、戦病者では8500人いたらしいが、
戦病者の半数近くが死者になったというのでアメリカ側だけで6000人は
亡くなっているのである。
こんな戦いはアメリカ海兵隊史上なかったという。
硫黄島やフィリピン諸島、沖縄もこれに近い戦いを強いられていたのだ。
この事実は最近まで知る人の少ない真実だった。
ただ、日本では守備隊が玉砕して日本の防衛圏が狭まって行ったということしか
知らない人がほとんどだったろう。
勝者の出血もかなりのものであったのだ。
米陸軍省戦史局編集の公式報告書「OKINAWA: THE LAST BATTLE」での総括は「沖縄で支払った代償は高価なものであった」と総括している。
日本人が太平洋戦争を描くとき、
どうしても湿っぽい被害者意識の映画が多くなってしまう。
例えば「男たちの大和」なんて観ていられない(笑)
死を讃美し過ぎるきらいがあり、どうしても観ていられないのだ。
「愛する者のために死ににいく」
それは大義としては整って見えるのかもしれないが、
その実、論理性はかけらもない。ただの自己満足でしかない。
僕は戦争のシーンを観ながら、何度も何度も何度もシミュレートする。
自分の息子が、頭を吹っ飛ばされる、ナパームで焼き殺される、
機関銃の弾を浴びて蜂の巣になる、銃剣で突き殺される。
何度も何度もシミュレートする。
その度に鋭い痛みが走る。何度も何度も何度も何度も。
そしてやっぱり思う。僕は息子を戦争には行かせたくないと。
行かせられないと。
戦争に人を送る、ということは戦争に加担することだ。
銃後だから戦争には関係がないなんてことはない。
一人の無関心があらゆる戦争への道を開いてしまうことを知ってもらいたい。
コッキンポンコ。