3回
2018/03 訪問
素晴らしきかな、オーソドキシー。
実に、7年ぶりの訪問になる。
今回、自分なりにイメージのある「京料理のスタンダード」に立ち返ろうと思い、久しぶりに
こちらへの訪問を決めた。ここで言うスタンダードとは、その本来の意味通りに
「基準と成り得る、確固たるレベルのオーソドキシー」と理解して頂きたい。
以下、少々長くなるが、当日の主な献立を中心に幾らか述べさせて頂く。
・子鮑の炊き物、菜の花とあさりの和え物:
鮑は割とはっきりとした味付けの甘目の醤油炊きになっているが、下卑た味付けになって
いないのは流石。あさりと菜の花の和え物のつゆ加減も良い。
・海老真丈と葛仕立ての吸い地の椀物。桜の花びらを散らして。
今回の吸い地は節系がやや前面に出る味だが、やはりこちらの椀物は素晴らしい。
海老真丈も良くあるタネではあるが、コクのあるしっかりとした味付けながら吸い地との
バランスも非常に良い。
・刺身(マグロ・細魚の昆布締め・明石の真鯛 醤油とちり酢で):
ちり酢は大根おろしと九条葱を細かく砕いた物をベースにした旨みのあるポン酢風だが、
鯛の刺身との相性が抜群であった。サヨリの昆布締めもしっかりと味が乗っている。
自分が釣った物以外の鯛の刺身料理を、久しぶりに美味いと感じた。
・木の芽白味噌の豆腐田楽:
木の芽で色と香りをうっすら付けた白味噌の田楽だが、この味噌が又良い。
旨み、甘味、品の良さが絶妙の「料理屋の田楽」であった。(ただ、妻は「豆腐の水気が
もう少しちゃんと切ってあれば文句無しだった」との事。手厳しい。)
・八寸:ホタルイカとトリガイのぬた和え/蒲鉾カステラ/のれそれの酢の物/鯛子炊き/
スモークサーモンと黄身/自家製柚餅子/ホタテのあぶり/鰤の昆布巻き/
子アマゴの南蛮漬け
見た目の彩りも、味の多彩さも素晴らしい。柚餅子まで自家製とは恐れ入った。
独特の香りがするので聞いて見た所、やはり金山寺味噌他数種類使用しているとの事。
個人的に絶品と感じた。全てに言及していてはキリがないが、どれもが秀逸な出来であった。
ここ最近訪れた日本料理屋で、このレベルでまとまった八寸はちょっと思い当たるものが無い。
・鰆の幽庵焼き:
何故か焼き物だけが残念だった。それ程悪くはないのだが、火の通り方もややパサついた感が
あり、味付けも妙に中途半端に感じた。他が良いだけに、余計に浮いて感じてしまう。
・冷製茶碗蒸し:
とろみの付いた菜餡の下に冷たい茶碗蒸しが隠れている。上に乗った土筆のほろ苦さと
切れ味鋭い出汁餡、それに豆花の様に淡い茶碗蒸しがこれ以上ない品の良さを醸し出す逸品。
・真鯛と若布、筍の炊き合わせ:
京料理としてこのラインナップで出す以上、鯛以外の旨み(出汁)も足されてくる訳であるが、
その味の落とし所が又素晴らしい。素材だけに頼る事の無い料理人としての矜持が窺える料理。
地物の筍も良い物。最後の一滴まで吸い地を飲み干した。美味い。
・赤だしと蒸し寿司:
蒸し寿司の具材には非常に細かく刻んだアナゴや蛸、貝など数種類が混ぜ込んである、が、
その味付けは非常にストイックであり、意図的に各具材の主張を抑えている様だ。
これも「京料理屋の蒸し寿司」としての品格に満ちた味だった。
この10年でそれなりに食経験を重ねてきた今、改めてこちらのお店の真価が理解出来た様な
気がする。
所謂ヌーベルキュイジーヌの潮流が日本料理界にも流れこんで久しいが、やはり、
“高レベルのオーソドキシー(直球)には、下手な変化球は勝てない”と実感させられた。
尚、こうした料理に良く見受けられる山椒の葉の付け合せだが、今回かなりの品に散らして
あった。ややもすれば俗っぽくなりがちなのだが、それが気にならない(むしろ、良く合うと
感じられた)のも印象的だった。
口にすれば、淡すぎて掴みどころが無いようにも感じられそうな味付けも多いのだが、どれも
ギリギリの線で素晴らしい塩梅に仕上がっている。
これが京料理の王道、とまでは言わないが「切れ味鋭い品の良さ」という点では筆頭のお店の
一つではなかろうか。
分かり易いインパクトや分かり易いスペシャリテのような物に欠けるせいか、食べログの評価も
レビュー数も自分が感じられる程には上がっていない様だが、完成度だけで言えば、今回食した
物の中だけでもスペシャリテに成り得るレベルの物は幾らでもある、そんなお店だと思う。
御主人はそれなりの御高齢であり、又、一度御体を悪くされた様にも見受けられたが、
まだまだ目が行き届いている様です。味舌らしさは変わっていないです。
ただ、後10年現役でいられるかどうかは微妙な気もするので(失礼!)、老婆心ながら訪れる
なら急がれた方が良い様にも思います。
ともあれ、随分前に他の方のレビューで「初心者というより、京都の和食をそれなりに
食べ歩いている方には、特に安心してお勧め出来る、そんな一軒」という表現があったが、
今回正にそれを実感出来た訪問でした。
2018/03/25 更新
2011/05 訪問
京都の「良い料理屋のスタンダード」と言えるお味
以前から気にはなっていたのですが、本日昼に予約を取る事が出来たので、
ようやく初訪問。
お店の全般的な味付け・出汁のレベルを確認したかったので、6600円の点心
をオーダーしました。
最後のご飯と水菓子を合わせ、全8品位だったかな?
結論から言いますと、やはり他の方も言われている通り、基本の味付け・出汁
ベースの安定感と品の良さが印象的でした。
最初の一品、鱧の南蛮漬けとお野菜の冷製。ここで浸してあるおつゆの、その
ほのかに滋味深くかつ上品な味付けに期待UP。その後の御料理も、概ねその
期待を裏切らないものでした。
確かに、昨今流行の「見た目の華麗さ」「斬新な発想」には欠けるかもしれません。
しかし「これが京料理のスタンダード(の味付け)である!」というお店の矜持が
随所にうかがえる、品と奥深さのある、確かな味付け。
特にあの椀物(今日は自家製卵豆腐と海老真丈のお吸い物)には感動しました。
若干昆布が勝ち気味にしてある感じの「ええお加減」の塩味。
口にした途端、スゥッと消えていく淡白な味わい。
私は、岐阜のたか田八祥の椀物が大好きなのですが、アレともまた種類が違う。
(しかし、美味いお店のお出汁を較べるのって、本当に楽しい♪)
八寸の中にあった、じゃことししとうの和え物も本当に上品。
小鮎の焼き物も、良い焼き加減でした。(私は岐阜の人間なので、鮎にはチョイと
うるさいです)ただ、一緒に添えられた木の芽酢は、個人的には余分かな、とは
思いましたが。
最後の焚き合わせ。揚げ出し豆腐と若布と竹の子です。
このお出汁がまた、本当に繊細でギリギリ。揚げ出し豆腐も、中はプルプルに
柔らかいお豆腐。この油分と若布が合体する事まで計算に入れた上での味付
なんでしょうね。
この味付けをする「勇気」を持つ料理屋は、岐阜では中々無いだろうなぁ、とも
感じてしまいました。
(たか田八祥さんも非常に品の良い味付けですが、どちらかというと美濃料理の
味付けを品良く発展させたもので、又ちょっと違うんですね)
ご飯にかかった自家製ゆかり昆布が又美味くて、おかわり♪
最後の水菓子は、よもぎのクレープで白味噌餡を包んだオリジナル柏餅。
・・・これ、美味い。個人的に大好き。
他の方も書かれていますが、板場に立つ若い板前さんは、まだ客と会話しながら
仕事をする余裕は無さそうです。しかし、ご主人が終わり掛けの頃合にお声を掛けて
くれて「ああ、気さくな方だなぁ」と好感を持ちました。
(聞いたら、この自家製ふりかけ昆布は売ってるとの事で速攻買いましたが)
ともかく、京都でどこかの「それっぽい感じなだけ」の料理屋で5000円前後払って
昼懐石「もどき」を食べる位なら、絶対に「こういうお店」に行くべきですね。
2011/05/05 更新
あの独特の、切れ味鋭くも淡く優しい出汁加減の御料理に又触れたくて、春からそれ程間を
置かず再訪。
幾つかのお料理とポイントだけ。
・椀物:鱧の葛引きと冬瓜
夏の京都定番の椀物。しかし、冬瓜の味と香りが清冽に感じられる逸品。
ありがちな、出汁の味に紛れた柔らかいだけの冬瓜とは全く違う。それと鱧が、はんなりと
まろやかに消えていく絶妙の吸い地に包まれている。
・自家製の笹練り込みの手打ち冷麦
御実家の関係か、こちらのお店はコースの途中で麺類が提供される事も多い様だが、
今回のこの冷麦、香り・コシ・喉越し共に素晴らしい物。写真の絵面だけを見ると、
一見何の変哲もない冷やし系うどん/そば類に見えるし、付け合せのシイタケも
しっかり甘く味付けしてあり、タレも濃いめの味付けである。しかし、飲み干せてしまう
様な味。それでこの笹練りの冷麦を頂く。美味いに決まっている。
・酢の物:明石の蛸ともずく
これもパっと見何の変哲も無い蛸の酢の物に見えなくもない。しかし蛸の美味さ・その処理の
上手さ、もずく酢の酢加減の上品さ、共に見事。あれを味の落とし所とする感性には脱帽する。
・炊き合わせ:賀茂茄子・胡麻生麩・海老真丈
これまたオーソドックスな一品。しかし各具材とつゆの塩梅が絶妙としか言いようがない。
この料理にありがちな油臭さやつゆの甘ったるい重さ等は皆無。つゆを飲み干した後、思わず
「美味い」と唸った。
付き出しは冷製出汁ジュレと各種具材のグラス盛りだったが、これも今時そう珍しくはない物。
しかし、これも各具材とジュレの出汁・味加減のバランスが素晴らしい。
類似の物は今まで何度も食してきたが、こちらで頂いた物に比べると全て野暮ったくさえ思えて
くる。
今回は特に定番系料理が多く見受けられたが、だからこそその質の高さが判る。
究極的には、美味い不味いは個々の主観。単にこちらの味付けが自分の和食における嗜好の
方向性に合うというだけの事なのかも知れない。
「それでも」あの出汁加減・味の落とし所・淡さと旨みのバランスの見事さというのは改めて
特筆しておくべきと思い、書かせて頂いた。
全体を通して見れば気になる所も無いではないが、プラスの印象がそれを超えてしまう。
ヌーベルキュイジーヌ、新進気鋭の新日本料理、アバンギャルド・・・昨今様々なスタイルの
料理があるが、ある程度それらを通過した方にこそご賞味頂きたい。
真っ当な、しかし極めて高レベルに洗練されたオーソドキシーと言える。
御主人にはまだまだ元気で頑張って頂きたいと切に願います。