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著名な店で家から割と近いのに敷居が高いと感じて行かなかった店。
錚々たる方々が訪問されると言うことだけが頭に残り、勝手に「敷居」を高くしてしまったのかもしれない。
場所は松濤の住宅街の一画。bunkamuraの地区、松濤美術館の地区からも少し外れている為、全く通った事がない1車線の道を進むと意識していればここだと分かる佇まいのお屋敷が左手に現れる。夕暮れ時で絶妙の時間帯。門に灯りが灯り、洋館へのエントランスロードの両側は木々が生茂り建物のエントランス部分からはオレンジ色に近い電球色の灯りが何とも言えない別世界感を醸し出す。
案内されながらダイニングに進む廊下は幾分天井が高い。2階に上がる使いこなした絨毯をひいた階段、左手のバー、レトロ洋館によくある角落としのガラス窓から木々に囲まれた庭が見える。私達のテーブルは一番奥から一つ手前の部屋。3つのテーブルが配置されているが、最後まで我々だけで、個室状態だった事はラッキー。
建物は大正時代のものらしいが、調度品はアールデコで統一しようとしている様に感じる。食事後色々説明を受けたのだが、シャンデリア、ランプはルネ・ラリック、エミール・ガレ、ガレの弟子であったミューラー兄弟のもので店のオーナーのコレクションとの事。部屋の油絵も名前は失念したが日本人画家の独特のタッチのタワーの4枚の作品絵(エッフェル塔2枚、東京タワー2枚)。正に落ち着いた、センスの良いダイニングルーム。
和を連想する牡丹の絵柄の朱色の花弁と深いブルーの色が印象的なサービスプレート(プレゼンテーションプレート:位置皿)がテーブル上で存在感を放つ。色合いが何ともシックでディナーコースの序章として存在感を示す。
事前に予約の際オーダーしておいたのが15,000円(税込、サービス料別)のコース。内容はテーブルに置かれたメニューカードによると
・鰹のアイオリソース(カタルーニャでよく用いられるマヨネーズやヴィネグレットソース同様の乳化ソース)
・オシュトラキャビア(ベルーガの次ランクで、ロシアンスタージオン単一種の世界的にも評価が高いもの)と雲丹を乗せた賀茂茄子のコンポート
トウモロコシのクリームとコンソメジュレ
・ブルターニュ産オマールエビ(フランスでも希少な「海老の最高峰!!オマールブルー:青い宝石」と言われるで高級食材)のグリエ 赤ワインシベソース オレンジとバジルの香りを閉じ込めて
・長崎産マナガツオ(初夏に漁獲されるスズキの一種)のポワレ アンチョビーバターソース バニラ風味のトマトフォンデュと夏野菜
・口直しの杏シャーベット
・南仏シストロン産仔羊背肉(ラベル・ルージュとIGP に認定されたものだけが羊の名産地“シストロン羊”として出荷)のロティ ラベンダー香るジュのソース
・ココナッツとフルーツ、スパイス風味(ガランマサラ)の肩肉ラグー(煮込み)
・熟成チーズ[ゴルゴンゾーラ、2年熟成 ミモレット(フランドル地方のセミハードから熟成が進むとハードになるオレンジ色のチーズ)、蜂蜜漬けのアーモンド、干し葡萄]
・本日のデザート(桃とジュレ、紫蘇のアイスクリーム)
・珈琲と小菓子(ブリュレと2種類の一口タルト)
となっている。実際食べる過程でギャルソンから受けた説明と頂いた料理の内容を補記してある。
1皿目は日本人である私が一言で表現すると「鰹のたたき」。一本釣りの漁師さんが味変でマヨネーズで刺身を食べると言う話を聞いたことがあるが、アイオリソースはカタルーニャの一種のマヨネーズ。ところが2切れの鰹の切り身にかけられたソースだけで、そしてアイオリソースで食べる味は未知の味。しかし全く違和感のない絶妙の味。「フレンチの部屋に誘われて開けた扉から一歩踏み込ませる」と言うシェフのの意図を勝手に想像してしまう。
2皿目は賀茂茄子と言う和の食材に上質な雲丹、更に高級キャビアを組み合わせた一品、これにトウモロコシのクリームとコンソメのジュレが加わると言う、全く想像できない構成。上の部分からそっと食べ出すと雲丹とキャビアだけの組み合わせになってしまい、これではいけないと思い直して、ナイフを深く差し込んで、全体を組み合わせて味わう様に工夫してみる。歯応えは賀茂茄子が支配するが、組み合わさった味は最初は雲丹とキャビアの香りが支配するうちに、複雑な味に進化していくと言う印象。最初は戸惑うが、3口目位から徐々に「理解」出来てくる。この味を何と表現すれば良いのか?一つ明言できる事は「未知の美味しさ」。
3皿目は青い宝石と言われるオマールエビの料理なのだが玉ねぎと赤ワインによるソースが味の柱となっているのだが、書かれているから分かる訳なのだが、「オレンジとバジルの香り」が味を複雑にする。この料理はオマールエビが完全に前面に出て来る。プリプリの歯応えも含めて最初から最後までオマールエビなのだが、そう簡単には済まされない。見たこともない断面の大きさの黒トリュフが3切れ添えられているのだ。あまりに見事なトリュフなので、そのまま食べてみたい位なのだが、折角なので適度な大きさにカットして、プリプリの為非常にカットし難いオマールエビを組み合わせて口に運ぶ。ありがたいことにソースは自然に絡まって付いてくる。美味い!白トリュフは別として、黒トリュフの独特な香りを「美味しい」と言うより、「ああトリュフなんだ」と受け止めてきたが、ここの黒トリュフは違う。黒トリュフ自体が別物と言う事だと思うが、この料理もまた全体のバランスの中で構成される味が未知の世界、しかし私でも理解出来そうと感じる美味しさとして受け止める事が出来るのだ。
いよいよメインの魚料理。和食でマナガツオと言うとどちらかと言うと和食をイメージしてしまう。おそらくフレンチでマナガツオは初めて。さてこの料理は当然「poeler(ポワレ:香味野菜などと一緒に鍋に入れオーブンで加熱)された魚」では済まされない。アンチョビーのバターソースは当然味の前面に出て来る。マナガツオの身質はどちらかと言えば頼りなく柔らかい。和食で食べるなら煮付けが美味いのではないかと思えるのだが、前面に出て来るバターの香り、そして少し癖のあるアンチョビーとなると魚の味が支配されてしまいそうな気がするのだが、もう一つの白いソースが新しい世界を開く。メニューに『バニラ風味のトマトフォンデュと夏野菜』と書かれているのだが、私にはどこがバニラ風味のトマトフォンデュなのか分からないうちに食べ終えてしまった事が情けない。しかし、「白いソース」がアンチョビーバターソースと真反対の味を引き出すのだ。こちらが又々未知の味。美味いのだ。
杏のシャーベットで口直しの後、肉料理。何と肉料理は仔羊の2種類の部位を使って2種類の料理として構成されると言うギャルソンからの説明。最初の一皿は背肉のロティ(蓋をしない鉄板ヤフライパンで肉をオーブンで焼き上げる)をラベンダー香るジュのソース(褐色のフォン)で頂くもの。素人的に見た目はスペアリブ。更に見た目ソースがかけられているだけの皿なので、本日最もシンプルな料理。絶妙な焼き加減の仔羊肉を味わうのだが、気になる「ラベンダー香るジュ」。十分注意深く味わってみたが「ラベンダー」は発見不能。しかし、この仔羊料理はシンプルで素晴らしい味。
食べ終わった頃を見計らって二皿目のガランマサラの肩肉ラグー(煮込み)。背肉は柔らかいのでロティ、肩肉はロティしてしまうと硬くなるのでラグーとのギャルソンの説明だが、見た目カレー。ところがこの料理、美味いの何の!カレーと言う概念を払拭して味わうと、重曹構造の味が湧き出して来る。仔羊の肩肉の旨さを引き出すことを考えた結果としてココナッツとフルーツとガランマサラが利用されたと言う事なのだろうが、シェフの狙いが仔羊を味わうと言う主題から2種類の部位を使う、それなら2種類の皿に分けて全く異なる調理方法を選択するプロセス。何ともワクワクして来るではないか。このラグーのソースがあまりにも美味しいので、本当に残さず綺麗に頂いてしまった。
ここからデザート。私はアルコールがダメなので、デザートチーズをオーダーする事は無かった。今回はコースに付属している事が分かり、楽しみな一品。チーズ2種に蜂蜜漬けのアーモンド、干し葡萄、セーグル・フリュイ(ドライフルーツ、ナッツ入のライ麦パン)のラインアップ。もう喜び爆発である。そしてチーズはクセのあるゴルゴンゾーラ(青かびのチーズ)とオレンジ色で美しい2年熟成ミモレット(2ヶ月のセミハードから2年熟成のハードが一般的)。このチョイスもチーズ好きには痺れる所なのだろう。ゴルゴンゾーラは想像がつくと思うがミモレットは滅多に口にしないチーズ。香りが良い。「熟成が進むと濃厚になりカラスミのような風味に」と言われているようだが、私には何か爽やかな風が吹き抜ける様な果実とは異なる余韻が継続する味と言う印象。蜂蜜漬けのアーモンド、干し葡萄、セーグル・フリュイと組み合わせて味わっていると、何やら自分が「通」になった様な気がして来る。
桃とジュレ、紫蘇のアイスクリーム。「紫蘇」が心に突き刺さる。和菓子系には紫蘇が使われるイメージが湧いて来るが、フレンチとは結びつかない。増して、デザートとスウィーツと紫蘇。結論として、まったく違和感なく頂く事が出来た。
飲み物はホットコーヒーを選択したが、このコーヒーが深煎りで旨い(私は普段深煎りは飲まない)。ここでお決まりの小菓子(ブリュレと2種類の一口タルト)。ブリュレは想像の範囲内なのだが、小菓子がありがちなクッキーではなく、2種類の一口タルト、ナッツ系ともう一種類の白い方は一体何なのだろう。ドライチェリーは見て分かるのだが、見ても分からず、食べても分からず。もちろん美味しい。
コース全体を通しての印象は、フレンチの素材に「和」を取り込む事の技の凄さ。
一皿のメインの素材として、香り付けとして、隠し味的に構成される。私のレベルでは、ギャルソンの説明だけでは理解しきれない為、メニューカードの補助を借りないと味の迷路に陥ってしまう。「補助」のお陰で、味を楽しむと言うかこの店の世界に浸る事が出来た訳。上質な素材を大胆に組み合わせて、驚く様な未知の美味しさを味合わせて貰えた事も強く印象に残る。
1980年9月オープンと言う事なので約42年。気の遠くなる位の長きにわたり、一流店であり続けた偉大さも思い知った。