『☆一瞬の永遠☆ ~京都・下鴨神社にて~』ガスコーニュ青年隊さんの日記

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ガスコーニュ青年隊 (東京都) 認証済

日記詳細

この日記は、このレビューを先にお読みいただきたく存じます。
この日に起こったちょっと不思議な事はこの日記では割愛いたしますのでね。

不思議といえば、その存在自体が不思議極まりない命というもの。
とりわけ人間という存在はどこまでも清く、どこまでも乱暴。
つまり不完全です。

虫や花や獣は、もうその存在が完全だなぁといつも思います。
だから神様なのかも知れません、人間以外の全ての命は。
人間は、本当に不完全。

“きれいはきたない、きたないはきれ”とは、
かのシェイクスピアの戯曲『マクベス』の中の有名な台詞ですが、
これは本当に哲学的というか、
人はその答えを知る術を持たないのではと思います。

私は性善説が正しいのか性悪説が正しいのか解りませんが、
少なくとも性善説であればいいなとは思っています。
それはしかし、
私が幸運に恵まれている人間だからそう思うだけなのかも知れません。

もしも生れ落ちた環境が違えば、
もしも顔かたちが違えば、
もしも性別が違えば、
もしも出会いが違っていたならば、
それは当然、今の私とは全く違った意識を持った人間であったかと思われます。

だからこそ人は過去現在未来においてそれぞれ唯一無二であり、
この辛き人生に一喜一憂し、己の生まれを時に僻み、時に感謝しながら、
いつ終わるのか解らない人生を最期のその時まで歩みます。

考えても仕方が無い・解らない事だからこそ、そこに意味を求めてしまうのも人間で、
生きていく中でどこまで強く居る事が出来るのか、
どこまで正しく・貴くあろうと努力する事が出来るのか、
どんなに努力してもそこに正義や正解があるのかどうかが解らないから、
人は何かに意味付けをし、過ちを犯し、それでも何かを信じて生きていくのではないでしょうか。

私が思うのは、まず自己の生まれを甘受する事。
そして自己の出会いを甘受する事、つまり共感できる仲間を増やし、己を鍛えてくれる敵に感謝する事。
(これは20代の時の私には絶対に無理でしたけどね。)

自分なりの信念を見つけ、でもその信念に縛られない事。

己にも人にも究極を求めないこと。

一寸先の出来事に一喜一憂する事なく、しかし起こる感情を受け入れる事。
(無機質な、人が倒れていても無視する様な人間に、ともすれば私もなる可能性があると思うので、これを心がけています。)

何一つ実践出来ていないくせに言葉の上では色々と書けてしまいます。
もちろんこれらは全て私の主観ですが、
これとて1年後には全く変わっているかも知れませんし、
つらつらとこんな事ばかり考えていると物凄く気が滅入ってしまう事があります。
なぜなら実践が本当に難しいから。
と同時に、それを本当にやってのけていると思う人とも出会ってきてしまったから、
ちっぽけでつまらない己の存在に孤独感を持ってしまうんです。

だから私は神社に行くし、
寺にも墓参りにも他国の宗教施設にも行くんです。
そこには私と同じように苦しみ、そして喜びも感じながら生きていた何百何万何億という先人の息遣いと、
彼らの未来の子孫に対する温かな眼差しが感じられるからです。
つまり私も、温かく思われていた1人なんです。
だから私も、今いる全ての子供達や、はるか未来の人々に思いをはせます。

そして感謝する事で癒される為に、また自己の気持ちを引き締め直すために。

先人が築きあげ、磨き上げてきた祈りを感じ、
“我以外皆我師”という大命題に少しでも近づけますようにと。
全てはつながっているのですから。

そして私は日本で生まれ育ちましたので、
とりわけ日本の寺社仏閣に対しましては、
えもいわれぬ誇りや温かみや感謝を感じます。

とはいえ、
例えば『坊さんはみんな偉い』なんてこれっぽっちも思っていません。
個人で見た時に、
尊敬に値する人物の職業がたまたま坊さんである場合もあるし、
そうで無い人物の場合もあるという事に過ぎないと思うのです。

そんな個人や職業が問題なのではなく、
連綿と引き継がれてきた文化・伝統に触れる時、
自ずと血が騒ぎ、己が浄化されるような気がするんです。
『私もみんなの一員なのだ!』と強い共感に包まれもします。
だから私は行くんです。

親に連れられ、真面目に手を合わせている見知らぬ子供の姿に、
この国の歴史の尊さを見ます。
そこには確かに“一瞬の永遠”が存在します。
その子供を見つめる親御さんの眼差しにも。

ところでこの日は馬が可愛かったなぁ♪
彼らは私の知らない世界を知っている、そう強く感じました。
そして私の感じている事を彼らは全て知っている気がしてならない。。。
動物達は、いや昆虫も植物も、すでに完成されているとしか思えません。


嗚呼、合掌。
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