散りかいくもる開花を控え、
いよいよ大地より胎動を感じつつある弥生の留め、
さりとていまだ霜冷の厳しさを肌身におぼえ、
その寒暖の差の激しさに、
四季をいただく我が国の自然の不思議に感応する事しきりの今日この頃、
ひょんな事から調べる次第となった『昔あそび』についての簡単な歴史。
昔遊びといえば、
例えばメンコやベーゴマ、お手玉やオハジキやビー玉、スズメ捕りや竹トンボなどなど、
地域や環境や時代世代によって、
馴染みのある物もあれば、自分の親の世代で絶えてしまった遊びもありますね。
例えば竹トンボなどは、
私は既製品でしか遊んだ事は無かったんですが、
私の親世代には自分で作っていたと言います。
また、それぞれの遊びの名称なども地域や時代によって様々ですね。
そんなわけで、
多くの方にお話をうかがいながら作業は無事終わったんですが、
その際、個人的に気になった事がひとつありました。
昔遊びの中のひとつに、
多くの方から『よく花札で遊んだ』というお話を聞きました。
みなさん、主に親兄弟から教わったとの事。
で、そんな中の御1人から、
「花札の中で唯一出てくる人間は、あれは誰なの?」と質問されたんですが、
花札にそこまで詳しくない私にもサッパリ分かりませんでした。
なるほど、改めて考えてみると人間が描かれている絵柄は1つしかありませんね。
他は「自然」と「動植物」のみ。
12ある月にそれぞれ4枚ずつ、計48枚(白札も入れれば49枚?)の絵柄がある中で、
たった1枚しかない人物画。
そして、その絵柄とは11月の札、
『柳にカエル』のアレです★
「花札遊び」をされた事が無いという人も、
この絵柄を一度は御覧になられた事がおありでしょう。
柳の枝に飛びつこうとしている1匹のカエルと、
番傘をさしながらその様子を眺めている1人の人物。
さてこの人物は一体何者なのか?
私も興味がわきましたので調べてみる事にしました。
すると面白い事に、
この絵柄の人物は実は2人存在する事が判明しました。
明治時代より前は
『斧定九郎(おの さだくろう)』という人物だったのが、
明治以降からは
『小野道風(おの の みちかぜ/とうふう)』という人物に変わったらしいのです。
(※現在、我々がよく見知っているのは小野道風さんです)
どちらもオノさんなので何か繋がりがあるのか?
それとも単なる語呂合わせ?
そして、そもそもなぜ明治時代を境に人物を変えたのか?
めっちゃ知りたくなったので、
まず、この2人がどういう人物なのかを調べる事に☆
◆
『斧定九郎(おの さだくろう)』 この人、架空の人物でした。
歌舞伎の演目の『仮名手本忠臣蔵』の中に出てくる人物で、
赤穂藩の部屋住み武士(養子の口が無い次男以下の男子)の大野群右衛門という人がモデルだそうです。
大野群右衛門(ウィキ)
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%87%8E%E7%BE%A4%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80,
で、定九郎の歌舞伎の中での描かれ方なんですが、
強盗をやった直後に鉄砲で撃ち殺されるというドチンピラでした(笑)
「おかるという娘が、惚れた男・勘平の為に体を売ってまで50両という大金をつくった。
定九郎はその金に目をつけ、おかるの父親をぶっ殺して金を奪い取って逃げた。
しかしその直後、勘平に、猪と間違われて鉄砲で撃ち殺されてしまう。。。」
生き方から死に様までサイッテーのドチンピラですわ(笑)
むぅ、、、なぜこんな男が花札の絵柄になってたんだ???
しかも『柳にカエル』といえば、“光札”といって花札の中で一番いい札のひとつなんです。
・・・ますます分からなくなってきました。
そこで更に調べてみたところ、
歌舞伎の中において、
単なる悪党から悲哀漂うカッコイイ悪漢に人物像や演出が変更され、
そこから一気に人気が出たようなんです。
それを行った人は歌舞伎役者の初代・中村仲蔵さん。
まぁあんまり丁寧には調べていないのであれですが、
そもそも諸説あって何が真実かは掴めていないというのが現状のようです。
なんにせよ、やはり人気がなければ花札の絵柄にはならなかったでしょう。
思うに、確かにとんでもない事をしでかした悪党には違いありません。
だがしかし、計画的で陰湿な悪党はいつの時代でも忌み嫌われるとしても、
カラっとしたケレン味のある破天荒なアウトローは、古今東西、時に大衆の心を掴むものなのではないか。。。
見た目もカッコ良いんですよ↓
※ttps://www.google.co.jp/search?q=%E6%96%A7%E5%AE%9A%E4%B9%9D%E9%83%8E&espv=2&biw=1280&bih=685&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwiwrfrBquXLAhVoJ6YKHe7HDM4Q_AUIBigB
さて次の疑問は、
“人物を変える際、小野道風という人に白羽の矢が立ったのはどうしてか?”
そのポイントは2つ。
1つは、やはり名前の読みがどちらも「おの」だから。
やはり語呂合わせだったみたいです。
そしてもう1つのポイントはズバリ「猪」でした!
猪・鹿・蝶(いのしかちょう)というように、花札には猪が出てきます。
そして、猪の札は『萩と猪』★
そして今度は、その「萩」に注目。
小野道風という人物は平安時代の偉大な書家で、大衆からも尊敬されていた偉人です。
(※私は浅学にして全く知らなかったんですがマジで凄い人でした)
で、この道風さんは、
『秋萩帖(あきはぎじょう)』という、
たいへん貴重で有名な書の伝承筆者(作者とされている)なのです。
(※この秋萩帖は今現在、国宝として東京国立博物館に保管されています。)
つまり、その「萩」と「猪」を駄洒落で関連づけたわけですね。
上の2つの理由から、
斧定九郎から
小野道風さんへと変わったという事だそうです☆
(※諸説あるそうです。また、この札には他にも謎があるんですがここでは割愛します)
☆しかし、まだ疑問は残ります・・・。
それは、
“そもそも絵柄の人物を変える必要があったのか?”
“大人気キャラなら定九郎のままでも良かったのではないか?”という疑問。
適当にではありますが色々と調べた上で私が思ったのは、
「これ!」というハッキリした事由があったわけではなく、
時代が明治へと大きく変わった折に、
誰かが遊び心で思いついてそのまま何となく変わっていったのではないか、と。
どの辺が遊び心なのかというと、
<うっかり猪と間違われて撃たれた定九郎>と、
<名前の読みが同じなのでうっかり定九郎と間違われて絵柄にされた小野道風>が掛かっている所。
つまり、ちゃんとシャレになってるから皆に受け入れられたんだろう、、、と。
色んな人が色んな説を唱えておられますが、
最終的に大衆がNOと言えば成立しなかったと思いますから私はこの見解に落ち着きました。
昔の人ってなかなかシャレオツですね~☆
そして飽きっぽいからコロコロ変えるのかも。カエルだけに(笑)
まぁどうにかこうにかスッキリしました。
さて、ここまで知る事が出来ると、
次に興味をひかれるのが小野道風さんですよ!
PART②へ続きます。