酒食の程度がそれほど外れていたとは実感していなかったながらも、
命にかかわるほどの肝機能低下を告知されて少しながら動揺しました。
とはいえそれほどの逼迫を受け留めようとしなかったのは与るものを常に欲していたからかと思います。近親者の愛を実感する機会に恵まれなかった者としては、料理人自身が対面しない客に対して、どれほどまでに愛を表現できているのだろうか、そのような思念が彼等にあるかどうかを想像しながら日々を費やしていたのだと思います。酒食のほかに喜びの薄い自分は、酒食に人生のほとんどを傾けていったのだと確信できます。肝機能低下の実測値に触れて、人生の終いのシナリオを模索する自分を動かしていく動機を得たのです。
自分には失うものはありません。
家族も財産も地位もありません。
自分にとって命とは、重ねるものではなく費やすものなのだと思い知りました。
自分の肝機能低下は、不可逆的なステージにまで達したと思います。
酒食を止めても改善するものではなく足踏みにさえならないのです。
酒食は我が人生です。改める気はさらさらありません。
命に未練はありませんし、むしろ死にゆくきっかけを得たことを有難いと思うのです。子供の時分から切望した意識を絶つ願望が実現しようとしているのですから。ささやかながら、周囲の手を煩わせないよう少しずつ身辺を整理しようと実行しています。静かな終いを迎えられますように。