『⑤ 記念日に巡る、柳川・熊本・長崎の旅。熊本城から海を渡って島原へ編。』no chaserさんの日記

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日記詳細

「御花」を出て次に向かうは熊本城。
40年前もこのルートだった。

ただ、行ったと言う記憶はハッキリと残っているけど、ここもその内容の記憶が残っていない。
はっきりと残っているのは、熊本城の駐車場に向かう手前で地元のタクシーの運転手に怒鳴られた事。(^^;
交差点の手前だったけど、右から来たタクシーが怒鳴って行ってしまった。
当時は何で怒っているのかは解らず、キョトンとしていた記憶がある。(^^;

その後、駐車場を探してうろうろした様な記憶はぼんやりと残っているけど、その後何処をどう巡ったのか、城内に入ったのか、天守に登ったのかなど全く記憶に残っていない。
40年と言う年月はこうまで記憶を薄れさせるものなのか。

まあ、行ったのは間違い無いので、今回もここは外す事はできない。
と言う事で、ナビに案内されて二の丸駐車場に車を駐める。
そこから券売場に向かうと、料金表には大人800円となってた。
まあそんな物かな、と千円札を出していたら係の人から、減免対象とかでは無いですか?と聞かれる。
ん?
あぁ障害者割引とかかな?と思ったら、年齢割引も有るみたいで65歳以上となっていた。
でも、どうせ県内とか市内在住者に限るとかだろうと思ったら・・・ん?
えっ?
そこには、熊本市・福岡市・鹿児島市と対象市が書かれていたけど、なんと北九州市も対象となっていた。

えぇぇぇ‼︎

熊本市は解るとしても、福岡・鹿児島、それに北九州とか・・。
熊本とは全然関係ないだろう、と思うもののこれはラッキー。(^^
なので免許証を提示して確認してもらうと、2割引きぐらいになるのかな?と千円札を差し出したら、あ、結構ですよ、無料になります、と。

は?
無料?

意外な展開に一瞬何が起こったのかとポカンとなるが、にっこりとパンフレットを渡されて、我に戻る。(^^

何はともあれラッキー、とお城へと向かう。(^^


ご存知の通り熊本城は、2016年の熊本地震により大きな被害を受けた。
wikiによると、
「2016年6月10日の熊本市議会で石垣の被害について報告があった。
熊本城の全石垣約7万9000平方メートルのうち、50カ所の約2万3600平方メートル、517面で石垣の崩落、膨らみ、緩みがあった。
そのうち、崩落は50カ所、229面におよんだ。建物は前震のあった4月14日の時点では重要文化財建造物10棟に被害が確認され、その内長塀は80メートルの倒壊、瓦・外壁落下など9棟であったが、本震のあった4月16日の時点で、倒壊2棟、一部倒壊3棟。他は屋根・壁破損など、重要文化財建造物での被害は13棟となった。
そのほかに、復元建造物の被害は20棟におよび、そのうち倒壊は5棟。他は建物下部の石垣崩壊や屋根・壁の破損などの被害が報告された。」
となっている。

熊本城自体は過去3度程訪れているが、地震後は今回が初めて。
復興は少しずつ進んでいて、観光客も受け入れられている。
でも流石にそのまま受け入れるのは危険とされたのか、観光客用の通路が設けられていた。
そこを登っていくと、壊れた石垣や建物が見えて来た。
地震の大きさ、被害の大きさが身に迫ってくるが、これだけの広大な敷地の石垣や建物を建て直すとなると膨大な時間と費用がかかる事も実感として伝わってくる。

天守閣前まで登ってくると・・ん?
ここは?
確かこの前で写真を撮ったはず・・。
ただ、それは40年前の事では無く、子供がまだ小さかった頃母親を連れてやって来た時で、それは2回目に訪れた時の事。
その時の様子は割とはっきりと思い出せる。
でも天守閣が写し易い場所なので、40年前でも写真を撮っていると思うけどなぁ・・・記憶に残っていない。

当時は絶対天守閣にも登っているはずだが、結局今回は天守閣には登らずに戻る事にした。
2度目と3度目に訪れた時は登っているので、おそらくその時の記憶と混同してしまいそうな気がした。
残っていない記憶とは言え、上書きはしたく無かった。

と言う事で駐車場に戻る。
少し後ろ髪を引かれる思いもあるけど、次の目的地へ。

次は、長崎県島原市の島原城。
ここも40年前に行った事は間違いないが、ここも殆ど記憶に残っていない。
残っているのは、町中の水路に鯉が泳いでいる姿を見た記憶のみ。
それさえも、後年訪れた時の記憶と被っているかも、と言うぐらいの物。
でも行ったのであれば行かない訳にはいかない。

熊本市と島原市の間には有明海が在る。
なので行くにはフェリー一択なのだけど、今現在フェリーは長洲町から出ている「有明フェリー」、天草は鬼池から出ている「島鉄フェリー」、熊本新港から出ている「熊本フェリー」の3択。
当時は熊本新港はまだ影も形もなかったので、乗ったとすれば先の2つのどちらかだが・・。
これもまた記憶に残っていない。
何となく「有明フェリー」の様な気もするが、過去に何度も乗っているのでその記憶とダブっている様な気もするし、来た道をまた戻る事になるので考え難いかなぁ。着いてから島原城までは近いのだけど・・。
「島鉄フェリー」だと途中に天草五橋が有るので行った可能性は高いけど、ちょっと距離が有るし、目的の島原城からはかなり離れた所に着く事になる・・。

結局、どちらとも判断が付かないのなら、と一番近い「熊本フェリー」を選択。
(ただ、後々よくよく考えてみると、「島鉄フェリー」の乗った様な気がしてきた)

ただ、熊本城で少し時間を使い過ぎたのでフェリーの乗船時間には微妙な時間になってしまった。
これを逃すと次が2時間近く後になってしまう。
そうなるとその後の予定が微妙にずれてしまうので、この便には是非乗っておきたい。
と言う事で、ナビをセットしてすぐに出発するが、やはり市内を抜けるのに時間が掛かってしまう。
漸く市内を抜けた時は更に微妙な時間になってしまった。
普段はそんなに飛ばす事は無いのだけど、この時ばかりは仕方が無い。
パトカーとネズミ取りに注意を払いつつフェリー乗り場へと急ぐ。
で、何とかギリギリで到着し間に合った。
ふぅ、良かった!

無事乗船。(^^
客室に上がって窓際の席に座ると、船はゆっくりと動き出し有明海を横切っていく。

有明海を岸から初めて見た人は、随分汚い海だなぁ、と思われるかもしれないけど、それは汚いではなく濁っているだけ。
約9万年前の阿蘇山の過去最大の噴火で発生した火砕流が有明海に大量に流れ込んだ事により、沿岸に干潟が形成された。
それが満ち潮で攪拌されて濁るのであって、決して汚れている訳ではない。
その干潟は多くの珍しい生き物を育んでいるし、何と言っても、干潮時の夕陽は絶景。

進行方向を見てみると、普賢岳が見えていた。
約1時間程で島原港に到着。

それから国道251号線を北上し、島原城へ。
駐車場に車を駐め、降りてお城を眺めて見ると・・・う〜ん、やはり、記憶の底に呼応する物がない。
本当に来たんだろうか?と思うものの、来たと言う記憶自体は揺るぎが無いのだが・・。
中に入れば何か思い出す事も有るかな?と思って入場してみるが、内部の展示も天守からの眺めもやはり記憶として蘇らない。
もう何の為に思い出を巡る旅をしているのかと思ってしまう。
現地に来れば多少なりとも思い出す事も有るかと思っていたのに・・。

結局何も思い出す事も無く、島原城を後に。
ただ、今回訪れた事によって、今まで知らなかった島原の歴史に触れる事ができたのは良かった。

40年前の当時は旅館を予約して島原で泊まったのだけど、なぜかその旅館名は今でも覚えていた。
でも場所はさっぱり覚えていなかったのでグーグルマップで検索してみたら・・・え?・・・リニューアルされている・・。
ここも予約した事は覚えていたけど、どんな旅館だったのか殆ど記憶に残っていない。(^^;
ただ、エントランスの様子だけがぼんやりと残っているくらい。
夕方だったかなぁ・・。
リニューアルされた姿を見て見てみると、記憶は無いにしても持っていたイメージとは随分違っていたので、あぁ、こんなに変わってしまったのじゃ泊まる意味がないなぁ、と。
当時の姿のままの旅館に泊まる事に意義が有るのだから・・。

ま、車中泊は何時でもできる様に用意はしているので問題なし。

それなら、と言う事で、あのお店へと向かう。
思い出とは全然関係ないけど、せっかく島原に来たのであれば行っておくべきだろう。(^^


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