バブル時期だけじゃなかったと思うのですが、
雑誌などで「美味しい寿司屋の見分け方」なんて特集記事を見ると、
「ネタに一手間かけた仕事」
「玉子焼きが美味しい」
なんて文字が一杯並んでいました。
そして、寿司の注文の仕方には
「光物から・・・」
「最後に玉子」
なんて通に思われる注文の仕方とか・・・
無骨な寿司職人の叔父(銀座のそこそこ有名な店の支店に居ました)の所へ当時の彼女とか友人・後輩を連れて食べに行っていました。
正月は我が家に来るので美味しい店の見分け方を聞いたら・・・
「店を出るときに旨かったと思えばお前にとって旨い店だ」(▼皿▼ )o
頼む順番は?と聞いたら
「食べたいものを好きに頼めばいいんだ」(▼皿▼ )o
と怒られました。(>_<)
叔父さんのとこしか行けなかったから間違ってないけどさ。
確かに、今自分のお金で銀座とかの(高い)お店にお任せコースを食べに行っても、そんな順番なんかありゃしない。
小鉢料理とのコーディネートで変幻自在に楽しませてくださいます。
銀座の二大巨頭は行った事が無いのでどうだか知りませんけどね。
あの時叔父に叩き込まれた魚の旬や部位・食べ方等は今すごく有り難い経験になっています。
すいません、ここからしばらく叔父との思い出話なので飛ばしてください。
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フロアの人は私の事を知っているから、後ろに並んだお客さんをどんどん先に通して私達を叔父の前のカウンターに座らせるよう調整していってくれます。
で、座って「こんちわ」って言うだけ。
自分の注文はNG。
連れの好き嫌いを話して指でさりげなく予算を伝えるだけ。
その後は黙ってツマミと飲み物が出てきます。
当然、両隣のお客さんは不思議そうに見ていますし、
連れもそう思いますわな。
握って貰うタイミングまで何も言いませんし聞かれません。
旬のネタや一品料理が出てくるわ出てくるわ。
私が食べたいと思って頼んでも、
美味しくないネタは目の前に在るのに
「無い」(▼皿▼ )o
と出してくれないし、どうしても食べたいと言ったら、
一枚ペロッて切って台の上に放り投げてきます。ドテッ!!ヽ(*゚ω。)ノ
出世払いと言う事で安くしてくれたけど、
多分叔父の給料からいっぱい引かれたんじゃないかな?
店長も私の顔見ると苦笑いしてたしな(>_<)
年に1回、職場の皆で自分へのご褒美ということで食べログで評判の良い寿司屋さんに行くことが有るのですが、
叔父が出してくれたり、教えてくれた食べ方の料理が出て大将にお話を伺ったりすると、
「食べ歩いていて美味しい店ご存知なんでしょう?」
と言われる時がたまに有ります。
でも今、私小遣い少ないから自分で寿司屋は行かないんですけど・・・
贅沢だったんだな、と今思うのが子供だった証拠。
甥姪は叔父の店に良く行ったから、
魚屋路ですら「美味しくない」と言うくらいに育ってしまって、
今でもそこらでマグロは食べない(▼皿▼ )oカッテヤラン
そして、当時付き合っていた妻には出したけど、
私には絶対に食べさせてくれなかったのは玉子焼き。
叔父のプライドだったのかも?
月日が流れて息子のお宮参り後の食事まで面倒見てくれた叔父さん。
もうちょっと頑張って息子に美味しいもの教えて欲しかったなぁ。
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で、どうして玉子焼が美味しい店というのが判断基準なのか?
なぜ美味しい店の見分け方の一つと言われた玉子焼なのに、築地に専門店が在るのか?
これはずっと疑問だったし、叔父も教えてくれませんでした。
もう鬼籍に入ってしまった叔父に今更聞くわけにもいかないのですが、
職人(や見習い)に玉子を焼かせる余裕がある店だから、ネタにもお金を掛けられる、
ということだったなんじゃないかな?
叔父も修行時代は焼いた事が有ったそうでしたから・・・
その余裕が無い店は玉子焼きを買ってくる・・・あくまでも推測です。
でも、食べてお金を払って満足して帰れる。
これ、一番大事なんですよね。