ふぇり◎さんが投稿した元祖 驢馬 本店(愛媛/新居浜)の口コミ詳細

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ふぇり◎ (40代後半・男性・大阪府) 認証済

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元祖 驢馬 本店新居浜/からあげ

1

  • 夜の点数:4.0

    • ~¥999 / 1人
      • 料理・味 4.2
      • |サービス 3.0
      • |雰囲気 3.0
      • |CP 3.0
      • |酒・ドリンク -
1回目

2018/12 訪問

  • 夜の点数:4.0

    • [ 料理・味4.2
    • | サービス3.0
    • | 雰囲気3.0
    • | CP3.0
    • | 酒・ドリンク-
    ~¥999
    / 1人

【移転後初来訪】やっぱざんきは驢馬でしょ。

移転前【元祖驢馬 喜光地店】
https://s.tabelog.com/ehime/A3802/A380203/38007407/dtlrvwlst/B238327331/?srt=&rvw_part=all&lid=unpickup_review

見事に復活を遂げた「驢馬」のざんき。
驢馬が移転したっていう情報が大阪まで届いていたのですが、やっと来れました(๑>؂<๑)۶

子供の頃から新居浜に来たらざんきだっただけに、前身の驢馬がなくなってからの間はどこか寂しく、新居浜の楽しみがひとつ減ったし、明らかに落ちていたよねー。
レシピを受け継いだ正統後継者がテイクアウト専門店として復活を遂げたと聞いたのは2010年。

そしてその後に来媛したときに立ち寄った松原店が閉店していて、慌てて向かった喜光地店もあいていなかった日はかなり焦ったが喜光地店はただの定休日だったと判明。良かった(^^;)

そして今年、喜光地店が近くに移転してリニューアルオープンしたとの噂を親戚経由で聞いていたので早速お邪魔してきました♪

とは言っても移転したのは2018年8月27日。
ファミリーマート新居浜宮原店跡地に居抜きでオープン。フレッシュバリュー喜光地店からも車で数分。

駐車場の台数もしっかり確保されていて、決して便利な立地ではないけれど十分なスペース。イートイン用のテーブルも出来ていて、カジュアルに復活していました。

ただ、立地的には車で買いに来る方が大半と思われるので、お酒類のニーズは少し弱いかなぁ。そりゃ揚げたてのざんきをその場でいただきながら一杯いけるのは魅力的やけどね。
大阪の主要駅周辺なら大繁盛間違いなし!

メニュー構成は変わらず「ざんき」「ムネ」「手羽先」「チューリップ」と、それらの盛り合わせバラエティパック。「砂ずり」もありましたね。

メインはもも肉を使った大きくてジューシーなざんきをガツガツといくのが王道。ひとつひとつが大きくて一口では食べられないサイズ。食卓ではそれを山積みして、子供も大人もみんなで争奪戦。

衣に味のある唐揚げとは少し異なり、お肉そのものに味付けをして衣は片栗粉など。それをラードでカリッと揚げてあり、揚げたては手に油が着きにくいのも特徴。

驢馬はこれで安定してくれれば一安心です。
次回は誰かに運転して貰って、揚げ立てざんきとビールかな(´▽`)

私は年に2回ぐらいしか来れないけど、いつまでも変わらず驢馬は驢馬であってほしいと思います!٩(ˊᗜˋ*)و


~おまけ~

《“ざんき”のはじまり》

驢馬の由来とざんきのはじまり

創業者は東京・道玄坂の料亭に修業当時にから揚げを学んだそうです。新居浜に帰ってからは、野菜の行商をしなから、改良を重ね、今の味へたどり着いたのだとか。
そのから揚げを周りの人に振る舞うと「美味しい、美味しい」と喜んでくれたのがキッカケとなり、再び料理の道へ。
「驢馬」という店名は、ロバに荷車を引かせて野菜を売っていた頃の苦労を忘れないようにという思いを込めて名づけました。
当時、鉱山の社宅に北海道から出稼ぎに来た人が、鶏のから揚げのことを「ザンギ」と言っていたことから、「ざんき」として売り出したのが、ざんきの始まりのようです。

(新居浜の地域情報サイトまいぷれより)


やっぱりねー(´▽`)
北海道のせんざんきにルーツがありました。
新居浜のざんきは50年の歴史と言われています。

別子銅山があって、そこに住友があって、そしてざんきが銅産業と共に新居浜に根付いてみんなの胃袋を支えてきたって言う歴史を知ると、ざんきがより感慨深いものになります。


別子銅山(Wikipediaより)
愛媛県新居浜市の山麓部にあった銅山。1690年に発見され、翌年から1973年までの282年間に約70万トンの銅を産出し、日本の貿易や近代化に寄与した。一貫して住友家が経営し、関連事業を興すことで発展を続け、住友が日本を代表する巨大財閥となる礎となった。


2019/01/02 更新

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