12年前に衝撃を受けた、蜷川幸雄演出『ハムレット』。
四方を客席に囲まれた真っ黒い舞台を、佇立するフェンスが取り囲む。
若干22歳の藤原竜也が演じるハムレットは、
その中を疾走し、叫び、嗚咽し、苦悩し、躍動していた。
悲劇的に高潔で聡明な、美貌の貴公子。
ハムレットと言えば想起される印象に、
型破りでありながら、藤原ハムレットは実は忠実だった、
といえるかもしれない。
他のキャストも、まるで青春群像といった
鮮烈さと若々しさ、スピード、
そして高貴な美しさが一貫していた。
あれから12年を経た藤原竜也。
同じく黒衣に身を包んだハムレットは、同じ台詞を語りながら、
「帰って来た」のではなく「全くの別人」だった。
近親相姦を思わせる、母ガートルードへの異様な愛憎と執着。
さんざん逡巡しながら、一度何かを自分の身中で切り捨て、
切り捨てて行動した後は一顧だにしない、ドライ過ぎる横顔。
愛するオフィーリアに見せた、執拗で陰湿にさえ見える苛めの言動。
不正や媚びへつらいへの激しい嫌悪感、
力強さや信念に対するコンプレックス、
生と死への率直な疑問と恐怖、
最終的には諦めに似た達観に至り、運命として潔く破滅するまで
ハムレットの持つ歪みや疑念、怖れがレンズを通したかのように拡大され、
揺れ動き、時として彼自身を覆い尽くす様が見えた。
ハムレットは、決して「善」ではない。
そして12年前に西岡徳馬と高橋恵子が演じた
クローディアスとガートルードを、
平幹二郎と鳳蘭が演じる姿にも、このハムレットの主題が透けて見える。
デンマーク王夫妻は、堂々と美しいだけでなく
老い、衰え、復讐に怯え、罪悪感に責め苛まれ、時に愚かで時に醜い。
ハムレットの義父と母もまた、単なる「悪」ではない。
一人一人が、真の人間。
舞台上でしか存在し得ない、絵空事の人間ではない。
ハムレットがホレイショーの腕の中で息を引き取った後、
12年前は、蜷川作品初出演の小栗旬演じるフォーティンブラスが
舞台奥に「颯爽と」登場した。
今回、内田健司演じるフォーティンブラスは
なぜか上半身裸で登場したと思えば、
ボソボソとやや異常さを帯びた独り台詞に
「デンマーク王位を継承することになったフォーティンブラスは、
決して優れた勇者ではない」ことを暗示させる。
ハムレットの死で『ハムレット王子の物語』は終わるが
現実の人間世界では、歴史は終わらない。
悲劇の幕はまだまだ降りていないことを、
受け止めざるを得ない、12年ぶりの新たな衝撃の幕切れだった。
12年前には、高潔なハムレットの死に
場内には密やかなすすり泣きの声があったが
今回、私は
幼い頃の遊び相手だった道化のしゃれこうべを片手に、彼を懐かしみ、
決然と最後の闘いに赴こうとするハムレットと共に、
死の淵を覗き、そこにある「無」に一瞬、心底恐怖した。
あんな『ハムレット』には、もう二度と出逢えない。
鬼才 蜷川幸雄の死を悼んで…