関ヶ原古戦場めぐりの後、旧中山道に沿って美濃から近江へ列車で越え。
同じ山間の小さな駅(宿場)であるのに、
美濃・関ヶ原の空の垂れ込めた陰鬱さに比して
近江・醒ヶ井は明るく開けた天地のような印象を受けるのは
今でも「国境」を抜けた気がして、不思議です。
街道の西を山に隔てられた美濃と、西に琵琶湖が開ける近江との
違い、とでも言うのでしょうか。
中山道「醒ヶ井」宿、伊吹山の伏流水が湧く地蔵川では夏、
冷たい清流の中で白い花をひらく「梅花藻」が満開を迎えます。
そして、湧水の梅花藻を隠れ家とし、巣をかける淡水魚「ハリヨ」の姿も。
蝉時雨の中、赤い百日紅の枝が張り出す地蔵川の清流には
いくつもの小橋が架かり、飛び石の間に活けられた季節の花々や
木桶にスイカや飲み物が冷やされて、人々の生活と湧水が
永い間繋がってきたことを窺わせます。
翌日、その地蔵川が流れ込む先である
近つ江(うみ)=琵琶湖の北「海津」へ。
日本海から京の都へ、海産物や物資を運ぶ交通路は
歴史的に長い間、陸路をここ琵琶湖の北まで運ばれ、
「海津」港から「丸子船」と呼ばれる小型の帆船で南の「大津」まで
湖上を運ばれていました。
今は湖面に突き出た桟橋の木杭と湖岸の石積みだけが、
旧い港の賑わいの記憶を僅かにとどめています。
日本海からの雪と重い雲が垂れ込めがちな冬とは違い、
夏の湖面と空はどこまでも澄んで、
静けさの中に波音だけをさざめかせながら、青く晴れ渡っていました。
https://style.nikkei.com/article/DGXNASHC1901K_S2A820C1000000