『徒然線㉙~僕があえて京都を語る理由とか…。』京夏終空さんの日記

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【京夏終空の脱グルメ考】〜生きるってコトは食べるコトだ!

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ここのところ、京都の店のレビューを続けている。
正直なトコロ、住む場所として京を離れてからはや30年に近くになる。
ちょくちょく帰ってはいるのだが…。

でも、そういう意味では、僕は、もう京都人ではないのかも知れない。
単に昭和時代までの京都にエレジーを追い求めているだけかも知れない。


しかしである。
この食べログに参戦してからも、多くの京都の店のレビューを目にする。
何だか、感覚がズレていると言うというか、極端な偏りを感じざるを得ない。

一時の流行やトレンドのような感じで京の食を語るだけならソレでイイのかも知れない。
でも、そんな紹介文の中に明らかに「事実誤認」に基づくような記載も多く見受けられる。歴史の中で脈々と受け継がれてきた名店の店名の記載自体が間違っている店すら驚くほど多くある。

レビューであるから、その性質上、主観で主義主張を述べるのならイイだろう。しかし、京都本の丸写しやネットの誤報の垂れ流しをコピペするのはどうかと思う。誤字脱字まで同じでは情けない。
昨日今日できた新しい店を卑下する意図は一切ない。しかし、ネットという性質上、歴史ある名店の無様な様が拡散しているコトを黙って見ていられない感情も事実である。

多くのいわゆる「京都本」「京都案内書」がある。その中にも多くの間違いがある。そしてテレビなどのメディアの京都紹介的番組も同様である。
KBS京都という京都のローカル局の放送「極上の京都」などですら明らかな間違いを平気で世間に流す。
僕自身、京が好きが故に、また街やお店に関わる仕事をしている性質上、多くモノに目を通す。すると、誠にもって失礼ながら、一部のレビュアーさんについては、どの方がどの本を手にしているのかさえわかってしまうコトがある。


以前「日記:徒然線⑮」でも似たようなコトを書いたのだが、京都人は京都に憧れを抱いている「よそさん」が京のならいを外れたときに、所詮「よそさん」だと強く認識するコトになる。そしてまた、別の言い方をすれば、京を語りたがる多くの「よそさん」が存在するうえで、かなりの確率で間違った京都を語る人が多いというコトもある。
京都に実際住んでいる「よそさん」も多い。


話は変わるが、もう一つある。
それ以上に気になるのが、いわゆる京都人なら誰しも認める名店で、全くレビューや登録がされていない店が多くあるコトだ。
そういう店は、いわゆる京都本やメディアに出る機会が少ないというだけで抹殺されている感が強い。


僕は、自分で書いているコトが全て正しいとは思わない。
僕なんかが知っている京都などは、ほんのごく一部でもある。
しかし、そういう方向へはズレないだろうという妙なズレ方はしていないつもりだ。また、記憶違いはあったとしても、何とか本やネットやメディアの受け売り的な京都は書かない。
自分の足でまわった、自分の目で見た、自分の舌で自分の肌で感じた京都を書いているつもりだし、これからもそういう京都を書きたい。


フト、思った。
本来の生粋の京都人なら、こういうコトすら書かないような気もする。
僕も、知らぬ間に…、
そして、なるべくして「よそさん」になったのかも知れない。


(文責:京夏終空、2016.11.29)
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