3メートルの津波警報が1回だけ。
停電により、なぜか防災無線までも不通になり、その後の警報が届かず。
地震発生から45分後、津波が押し寄せ町は壊滅。
避難場所の一つ、中学校では用務員さんが津波が岬にぶつかった際の
たった一度の水柱を見て避難誘導。
第三防潮堤の水門にぶつかり、はじき返された津波は第三波とぶつかり
大きな渦を巻いて第二防潮堤を襲い、防潮堤を乗り越え町を壊滅。
たろう観光ホテルの社長が、6階から撮影した映像を撮影場所の6階の部屋で
見ることができます。
ホテルと海の間に第二防潮堤がありました。
防潮堤は押し寄せた時の津波ではなく、引き波で破壊されています。
他の被災地でも海側に曲がった鉄柵や柱を多く見ました。
一度避難した人達の中には、ペット、貴重品が気になり家に戻って被災されたり、寒さから服を取りに戻って被災された方も。
地震後、防潮堤への過信から逃げなかった人も多くいました。
その人たちを説得に回っていて、津波に飲まれた方も多くいるそうです。
明治29年 明治三陸地震津波 犠牲者1859人。
昭和8年 三陸地震津波 犠牲者911人。
津波被害に苦しんだ町は昭和33年に第一防潮堤を完成。
昭和41年に第二防潮堤、昭和54年に第三防潮堤を完成。
防潮堤の役割のひとつは「防潮堤が少しでも波を抑えている間に逃げる」ということ。
学ぶ防災ガイドでは
ガイドさんがたろう観光ホテルと防潮堤を案内してくれます。
たろう観光ホテルにて6階から撮影された津波を、撮影場所の6階の部屋から視聴できます。
ガイド料1時間4.000円は全額寄付されます。
平成23年 3月11日 宮古市田老地区
東日本大震災 死者、行方不明者合わせて181人