3回
2025/09 訪問
しみぺディア 浅草
浅草の夜、馴染む灯り
街灯が淡く伸びる中、浅草の裏通りに佇む博雅。
扉を開けば、蒸気と炒め音が迎え入れてくれる。
席に着き、まずは安定の 焼売。
蒸籠から湯気とともに鼻をくすぐる肉の甘さ。
皮はしっとり、餡はふわりと、玉ねぎの甘みがじんわり溶け込む。
続いて 皿ワン。
つるりとした皮が舌を滑るたび、
中の餡が甘酢タレと溶け合う。
ビールや酒を傾けながら、つまむ音が夜の壁にこだまする。
鶏バリ
揚げの音と油の香りが混ざって、口に入れた瞬間に”パリッ”と小気味よく壊れる。
中はジューシー。
噛むほどに鶏の淡い旨みが広がる、衣と肉の綱渡り。
餃子もまた。
焦げ面の香ばしさ、肉汁の余韻、野菜のシャキッとした奥行。
濃すぎず、薄すぎず、夜のアンサンブルに自然に溶け込むような一品。
そして 炒飯。
一粒一粒が油と調味料を纏い、ぱらりと口に落ちる。
具の存在感、火加減の妙、チャーシューのゴロを探しながら箸を進める。
皿の中の闇と光、飯の黄と具の彩りが、夜の帳に映える。
店内には常連らしい声、
注文を通す中華鍋の音、
テレビの片隅で笑い声。
町中華とはこういう時間を包むものだ、
という実感が胸を打つ。
しみる田の一言
夜に喰らうは、町の詩と皿の調べ。博雅の夜は、灯りの味がする。
2025/09/27 更新
2025/07 訪問
しみぺディア 浅草・三ノ輪エリア
浅草の路地裏、灯りのにじむ暖簾をくぐると、そこには町中華の真髄がある。
定期的に食べたくなる博雅へ。
この暑さで喉もカラカラ状態。
選んだのは我が相棒「赤星」
泡立ちからすでに美味い。
瓶を持つ手に指が勝手に震える。
餃子
これは…中華捜査史に残る「外パリ中ジュワ」型。
一口でジュワリ、二口で感涙。脳内に“しみセンサー”が反応。
バリチキ
メニュー名だけでノックアウト。
皮目のクリスピーさ、肉のジューシーさ、酒との親和性…まさに三位一体の攻撃型中華。
シュウマイ
優しい甘みが赤星の苦味と完璧に中和。
「焼」だけでなく「蒸」の力も侮れないと痛感。
おそらく、これが鉄板メニューであろう。
皿ワンタン(皿ワン)
これが博雅の裏エース。餡と皮が一体化した旨味の洪水。
見た目は地味、だが味は圧倒的。さすが浅草、侮れない。
しみる田的中華の聖域である。
また来ます。ご馳走様でした。
2025/08/29 更新
金曜の夜、浅草の灯りに吸い寄せられるように、また博雅。
多分、年内最後。そう思うだけで、皿の上の湯気が少し重く見える。
皿ワンは今日も裏切らない。
しゅうまいは、噛めば静かに肉汁が戻ってくる。
この店の“安定”は、手を抜かないという意味だと、毎回思い出させられる。
五目うま煮は、具が仕事をしている。
主張しすぎず、引きすぎず、町中華の理想的な距離感。
そして追加したのは、やきぶただ
箸を入れた瞬間、ぷるりと震え、脂と赤身の境目がほどけていく。
写真に収めたのは、その一瞬の柔らかさだ。
煮豚というより、時間でできた料理。
ただ一つ、とりばりが品切れ。
それがこの夜の小さな悔い。
完璧じゃないから、また来る理由が残る。
年の終わりに、変わらない味があることのありがたさを噛みしめる。
浅草の夜は、こういう余韻が一番似合う。
ぷるぷるのやきふだは、今年の疲れまでほどいてくれた。