『「体操の隊形に開け!!」「ヤー!!」~ これは兵庫県(阪神間?)だけか』六甲でんすけさんの日記

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六甲でんすけの「北新地・堂島行ったり来たり 時々は神戸や京都・奈良もウロウロ…」(^ ^)v

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神戸近辺(芦屋、西宮、宝塚、尼崎など)の小学校出身者の共通点があるんです。体育の時間、準備体操のときに先生が「体操の隊形に開け!!」と号令をかけます。すかさず「ヤー!!」と大きな声でこぶしを突き上げて応えます。
これって大阪や京都ではないんですよね。
ひとつ空想、いわゆる「ファンタジー」ですが第一次大戦のドイツ人捕虜に影響された、ってどうですか?
第一次大戦で日本は日英同盟の下、中国山東省青島(チンタオ)を攻撃し約4700名の捕虜を収容しました。このドイツ人捕虜から受けた影響は当時の日本にとって非常に大きなものでした。
よく知られていることにベートーベンの第九は徳島県「坂東俘虜所」で、千葉県「習志野俘虜収容所」ではヨハン・シュトラウスの「美しく青きドナウ」初演されました。そのほかパン(フロインドリーブ)、バゥムクーヘン(カール・ユーハイム)、ソーセージとホットドッグ(ヘルマン・ヴォルシュケ)などの食文化、更にはサッカーもフーゴ・クライバーにより伝えられました。
明治維新から約50年経ったものの、大正初期の日本はまだまだ武士(軍人)に対する畏敬の念が強く、俘虜収容所も国際法を非常に強く意識して運営しており比較的自由な収容所生活であったことが、このような文化的な活動を助けたのだと思います。なにせ収容された俘虜には給与が支払われたようです。
これらドイツ人俘虜の多くは日本を「第二の故郷」として永住し、大きな影響を与えています。
そこでくだんの「ファンタジー」です。
会社でも始業前にラジオ体操をします。俘虜たちも毎朝体操をしたのではないかな…。「体育委員」みたいな役の人が号令をかけると「ヤー!!(Ja!!)」と言っていたのではないかな…。それを見ていた日本の軍人や教育者(師範学校関係者)が取り入れたのではないかな…。
う~ん…「ファンタジー」です。
ただこの「ファンタジー」には致命的な弱みがあります。
ドイツ人俘虜収容所は全国に12か所(最終的には整理統合され6か所)になりましたが、「ヤー!!」と応えているのは主として阪神間の学校だけのようなんです。
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