2回
2024/04 訪問
福岡の「百式」は、地元の方々や観光客に愛される名店の一つです。こちらの飲食店では、伝統的な福岡の郷土料理を現代風にアレンジしたメニューが楽しめます。特におすすめしたいのは、博多の魚介をふんだんに使った料理です。新鮮な刺身や寿司、唐揚げなど、福岡の海の幸を存分に味わえます。また、鉄板焼きや鍋料理も充実しており、季節ごとの旬の食材を使った料理が楽しめます。店内の雰囲気も落ち着いた雰囲気でありながら、アットホームな雰囲気が漂っており、家族や友人との食事に最適です。スタッフの接客も丁寧で親切なので、初めての方でも安心して訪れることができます。福岡を訪れる際には、ぜひ「百式」を訪れて、福岡の美味しい料理と温かい雰囲気を楽しんでください。
2024/05/02 更新
その夜、僕はファンタオレンジのことを思い出していた。
冷蔵庫を開けても、コンビニの棚を眺めても、あのときと同じ色には出会えなかった。あの微妙に透明で、すこしノスタルジックで、まるで陽だまりの匂いみたいなオレンジ。
その色を、僕は福岡・薬院の「百式」で見た。
正確に言えば、その色はグラスの中にあったわけではない。むしろ、店の空気全体にふわりと漂っていた。シェフが話してくれた、あの一本のファンタオレンジの話。アルコールを飲まない彼が、照れもせずに語ったその一本。そこに、何かとても静かで大事な“好き”が詰まっている気がして、僕は一瞬でこの店を信じることにしたのだ。
──
「百式」は、思ったよりもこぢんまりとした店だった。外観に派手さはない。けれど、扉を開けたときに感じたあの温度──料理が始まる前に、すでに美味しさの予感で満ちていた。まるで夏の夜、湿った草の香りに包まれながらどこか知らない街を歩いているような、そんな不安と期待の混じった心地よさ。
着席して、はじめに運ばれてきた前菜にはキウイが使われていた。甘さと酸味の緩やかな交差点。そのすぐ脇に、野菜のマリネと小さな魚介、そして、信じられないくらい繊細に削られた香味のアクセント。舌に触れた瞬間に広がる味の輪郭は、まるで、誰かの耳元でささやかれた秘密のようだった。静かで、そして、なぜか少し艶かしい。
料理は、そのあとも一皿ずつ、物語を重ねるように続いていった。
海の香りがふわりと鼻をかすめたかと思えば、次の瞬間には山の香りが立ち上がる。
時折、焦げの苦みと脂の甘さが絡まり合い、言葉では表現できない“間”が口の中に残る。
その“間”に、僕は黙り込み、シェフの意図を探す。
何を隠そうとしているのか。何を見せようとしているのか。
でもそれはたぶん、探るものではなく、委ねるものなのだろう。
音楽のように、香水のように、あるいは眠りのように。
──
カウンター越しに見える彼の背中は、筋骨隆々でもなければ、華奢でもない。
ただ、確かな温度がある。大きくはないけれど、火の扱いが異様にうまい。
それは“手慣れた料理人”というより、“火と長く暮らしてきた人間”という印象だった。
言葉数は多くないが、こちらの視線を自然に感じ取って料理のリズムを変えてくれる。
「お客に合わせる」でも「流す」でもない、ただ、場が心地よくあるように、という一種の祈り。
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正直、僕はこの店に通いたいと思った。
遠くからでも、理由がなくても、夜の風に押されるようにふらりと来てしまう、そんな場所に。
なぜなら、この店には「終わってしまうことの切なさ」がある。
料理が、美味しいという言葉で片付けられないほど、“美しい”からだ。
口に運んだ瞬間、舌のうえで静かにほどけていく感覚。
それはまるで、好きな人が自分にだけ見せた笑顔のようで、少しエロティックで、でもどこか切ない。
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最後の皿を下げにきたとき、僕は彼に聞いた。
「ファンタオレンジって、いつから好きなんですか?」
彼は少し笑って、「子どもの頃からずっとですね」と言った。
それは、変わらないものの象徴のようだった。
僕は胸の奥で、小さく拍手を送った。
料理が終わり、空間がまた静けさに戻ったころ、僕は席を立った。
夜の薬院は静かだった。
だけど、口の中にはまだ、香りの余韻がいた。
そのとき、僕はふと思った。
ああ、これはもう“味”ではなく、“記憶”なんだ、と。
百式は、記憶に残る店だ。
それも、心の奥の、しずかな、誰にも触れられない場所にそっと残る。
だからこそ、人はまた行くのだ。食べるためにではなく、思い出すために。