『映画『99分,世界美味めぐり』を見て』kasuganomichiさんの日記

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kasuganomichi 嚐味隨想                           メインテーマは「京都の好きな店を再訪」

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私はこれまで「映画評」をウェブに書いたりすることはありませんでした。これはレビューというより食にまつわる映画を見たあとでの素人の個人的な感想であり、かついわゆる「ネタばれ」を含んでいますのでご注意ください。




『99分,世界美味めぐり』(原題 FOODIES: THE CULINARY JET SET:2014年スウェーデン製作)監督 Thomas Jackson, Charlotte Landelius,Henrik Stockare
配給 KADOKAWA
http://99bimi.jp/

出演者 アンディ・ヘイラー、パーム・パイタヤワット、スティーヴ・プロトニキ、アイステ・ミセヴィチューテ、ケイティ・ケイコ・タム

2016年2月、MOVIX京都にて有料鑑賞。



このドキュメンタリー映画の題材は世界中の高級レストランを回って、食べて、それをブログに載せまくる人たち。そういう連中を「フーディー」というらしいです。私の認識しているFoodieは香港の唯霊(William Mark)さん。彼は香港を拠点にして中華を中心にレストランを専門的に批評するプロで、かなりイメージが違うのですが。

まあそれはさておき、まずはその連中を簡単にご紹介します。

1 Andy Hayler イングランド人。労働者階級からソフトウエア開発へ。自ら設立して成功した会社を売却後は、毎日を美食に捧げる日々。“フーディーズ”界では伝説的な存在。三ツ星レストラン100以上すべてに行った「唯一」の人間らしい。でもどうしてそんなことわかるんだ?こっそり行ってるやつがいるかもしれないだろうに。

2 Steven Plotnicki アメリカ人。音楽業界出身。グルメに関するウェブサイトを運営する超毒舌家。レコードレーベルの元オーナーで、他の「フーディーズ」を、進歩もなければ専門的な知識もないと歯に衣着せず批判することもあり、あちこちから恐れられている。おそらく、一番「プロ意識」のあるフーディー。

3 Aiste Miseviciute リトアニア人。元「スーパーモデル」(恥ずい)。旅とグルメと仕事で1年で50カ国訪れたこともあるとか。子供の頃貧困にあえぎ、大変な苦労をして食べ物を探す日々を送った。18歳でパリに出てモデルとなり世界を舞台に活躍。「鮨まつもと」でたった一人寿司を食っている衝撃的なやらせシーンがあるが、残念ながら寿司の食い方は超下手くそ。

4 Perm Paitayawat タイ人。金鉱会社社長の御曹司で、ロンドンにて英文学専攻留学、つまり何もしていない(跡を継ぐなら継ぐで鉱山学や金属化学でも勉強しろ!)。中国系タイ人のなかでも、一番たちの悪いタイプ。美味のためなら9000キロも空を飛ぶ!んだそうです。 中国の片田舎にあるレストランで、雰囲気にのまれて感動のあまり、禁断の一言を発する。「今までの食事は何だったんだろう」。ああそうでっか、としか言いようがない。

5 Katie Keiko 香港人。見た目や話し方から、おそらく日本人の血は入っていない。本名はケイティ・タムで、格好いいからと日本人女性の名前を使っているだけだろう。5人の中では一番金を持っていない、香港の中の上の家庭、てことは日本の所得水準でいくと中の下。でも果敢にNYでミシュラン☆つきばかりまわる。マカオのシーンであろうことか冬虫夏草を知らないことが露見。でも、まだ不慣れで、ウェイターに対しても緊張するし、ワインのテイスティングを忘れることもあるという彼女はまあ、一番共感を覚える(ちょっとだけですが)


まず、明らかなことは、この連中は、ひたすらステータスを求めているのであって、食に対する情熱、興味、愛などはほとんど見せません。二人の女性には、若干そういう気配を感じますが、基本は注目されたいから。有名になりたいから。一目置かれたいから。ただそれだけ。

こういう連中に対して、レストランのシェフたちは、ときに辛辣な批判をするが、たいがいは寛容、あるいは彼らの影響力を恐れている様子がうかがえます。

あと、当然ながらほとんどの食事シーンで、この連中は一人で食べている。もちろん、まずは写真。そしてナイフやフォークを動かす。この繰り返しは、映像としてかなり退屈です。単身赴任者として、私もお一人様は多いけど、それは「プランB」つまりやむを得ないからであって、本来私にとって楽しい食事とは、誰かと一緒に、会話をしながら、時には食べたり飲んだりしているものを評価しながらいただきます。また、一人の場合は、許される範囲でお店の方たちと会話をします。そういうことはほとんどこの映画では見られません。コミュニケーションは、自分たちが発信するブログがすべて。コミュニケーションではなく一方的に自分が食べたものを垂れ流すのみ。

一番がっかりさせられたのは、最もプロ的であり、自分の意見も持っていてそうなアメリカ人スティーブ。彼が開店1カ月以内に行ったあるレストランを「最悪」と酷評しますが、しかし、料理が変わってうまくなったと聞きつけて再訪。1週間吊るした小鳩のローストを味わい、「味がしまっているし、手を加えすぎていないし、バランスもいい。上出来だ」とシェフと握手する。ここまではいいです。ところが、シェフに脳みそをくちばしから吸ってみてと言われて、「自分の脳だけで十分だ」という意味不明のセリフを吐いて断るのです。中華でもフランス料理でも、ハトは私の大好物で、その脳のうまさは格別ですが、そんなことより、シェフにここを食べてみて、と言われて食べないというのは(アレルギーなどは別として)、あまりにも料理人と素材に対する敬意が欠けているし、何より食は冒険だ!という一番大事な部分が、この食通(たち)にはすっぽりと抜けおちてしまっているのです。

興味深かったのは、参考にするため、いくつかネット上のこの映画についての評を見てみたのですが、映画のレビュアーさんたちはこの「食通」たちの影響力の強さを、真剣にうらやましいと思っているみたいです。映画評のほうが人数も多く、はるかに歴史も古いはずなのに、俺たちに彼らほどの力はない!という嘆きとうらやみ。これを参考にもっと頑張ろう!

しかしね、映画評とレストラン評は根本的に違うのです。映画の場合、普通は「スターウォーズ」最新作を見た!で、こう思った、と書きますが、それを読むほうも、それを参考にしながら、映画を見る(あるいは、見るのをやめる)ことができます。時間がたてばネットで、タダで見られるかも。一方この映画における食評は、読む側は普通、真似することなんか到底できないのでひたすら羨むだけ。その意味で、映画評は平等な民主制、食評はヒエラルキーの下での金権主義なのです。映画評は、その評価の面白さ、視点の新しさなどで純粋に評価されます。言い換えれば、書く側に、やーい、どーだ、うらやましいだろ!という感情が入り込む余地がない(プレミアム試写会に無料で招待された、くらいのものはあるでしょうが)のに対して、食評はどうしても、スノッブさ、傲慢さ、それに伴うどうしようもない浅薄さがつきまといます。まあ、ある日本人のブログでの「『SNSを駆使して情報を発信』することに『情熱をかける』、その捻じ曲がった承認欲求を自制できない精神異常者」とまでは申しませんが。


あと、予想した通りですが、ミシュランの評価そのものに対する懐疑、あるいはミシュランの存在意義に対する疑念などは微塵もありません。フーディーズにもないのは当然として、製作者や監督たちにもない。ま、これはまた別の機会に論じてみたいと思います。

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