・・・。
えっと・・・スイマセンです。
下記に書いたのは、本編のレビューとしてあげましたが、ちょっと諸事情で使い道が代わりまして・・・。ははっ~♡ 一旦、取り下げようとしましたら、丁度よく下書きになりました。良かった~♡
しかしながら、ナンカ、「読んでないし、読みたいけど・・・」みたいな感じになりましたので、日記に移動します。
あの、あくまでもフィクションなので、そんな感じでよろしくお願いします♡
・・・つまりは、「人の行いに正解などあるのか?」とか「絶体的な事柄などあるのか?」を未熟者が想像で書いただけなので、本気の意見とかでは無く、「考えるキッカケ」とかになって頂ければ、有難いです♡
ハートフルでは無いですが、根底には、ハートが控えていると思って書きました。また、使い道になった映像になる時は、設定と人物像を変えますので、今回のはこのままで遊ばせて頂ける事となりましたので、また、コチラにアップさせて頂きました~♡ ではでは。
あっ、あと、本編の方に別にレビューを書きました~♡
・・・。・・・。・・・。
人の内面を仕草から読み取るのは、それほど難しいことではない。
それまでの日常をただ素直に話し、吐息の距離が縮まりだし、
さらした肌に触れることも当たり前と感じることが出来きたなら。
それが月に一度や二度の関係性としても、気持ちの距離は離れずに逆に近く感じたりする。
いつでも、あの時の肉体の距離感も自然に思い出せる。
一緒に並んで歩く距離感、歩幅、早さ、視線の合わせるタイミング、会話のアクセント、同調同意の表現の・・・微笑みも。
だから、目で音で読み取るまでもなく、その存在を最後は 好意 として感じとれてしまう。
「さよなら」と一言、言う前に、
「最後は・・・ここにしようか・・・」お店に入った。
誰かに見られては困る関係になってから、よく話していたお店。
もう、誰に見られても困らない関係に戻るために、
このお店に、二人で初めて入った。
昔から近くに来ると普段使いで使っていたこのお店は、粘っこい接客も、不要で紛らわしい笑顔も無く安心する。
心に意味有るわだかまりを持っていると、必要以上の愛想は不信に映る。
何か、知られたくない秘密を必死になって隠してとりつくろっているようで。
ぶっきらぼうで、十分。
常連が言う
「今日は暑かったね」
対応する店員が
「そうね。・・・で、何にする?」
その程度で、十分だったりする。
馴れ合いのような会話が、店や料理の評価につながるなら、
逆に、その部分だけを磨けばお店は繁盛するハズだ・・・。
心が尖っていても・・・お腹は空くモノ。
満たされない気持ちと比例している。
混み合い中、カウンターで二人並んで食べるラーメンは、琥珀で深く沈み込み麺をわずかに覆い隠す色味。
目に驚くほどの濃く深く写ることも無く、鼻に水族館や牧場のような各種織り成す生命の香りが立つことも無い。
醤油の心地よい音に、キラキラと弾ける脂玉が無いのが、逆にストレートな美味しさを感じさせ平穏の安心をくれる。
ここまでの道のりで、溢れかえり乱れまくった心を静めてくれるように、
昔のラーメンと言うべき顔で、丼が微笑みの湯気で包んでくれる。
食事として一杯で完結させるには、出番や配役に戸惑うかもしれない。
腹を底不から喉元まで満たすのだけが、食事では無い。
ましてや、旨い不味いのジャッジをするためだけに取込むのだとしたら、薄ら寂しい考えと思ってしまう。
声に出さない会話の隙間を丁寧に埋めていく食事も、大人にはある。
そんな時は、澱みや癖など突飛な仕掛けも必要ない。
ただ淡々と揺れ進む心情に合わせた淡い味わいが必要なだけである。
人の悲しさに、優しく寄り添う味。
このラーメンは、短くも深く刻み込まれた人との関係性を最後に締めくくるには、
最高の味わいを持っている。
シッカリと幕を閉じてくれる終わりの味がしている。
〆のラーメン・・・の味わいとでも言うものなのか・・・。
視線は丼の端に少し休ませて置いた、右手の箸先を見つめる。
隣に座る彼が、言葉をこちらに発するタイミングに合わせるために。
「・・・頬に・・・口の中に、しみないのか? 痛くは無いのか?」
『・・・大丈夫。一晩過ぎたら腫れだしたけど・・・血とか・・・スグに止まったし・・・口の中の傷だから・・・スグ治るわ』
・・・昨日の晩に、旦那に殴られた頬の腫れを彼が気遣ってくれる。
このお店に入って、最後の食事をしたいとは私から言ったのだから、ラーメンがしみたとしても文句なんか、もともと無い。
話し合いをして、私の意思を直ぐに受け入れた彼に、最後にまた甘えてしまって、最後の食事をしてもらっている。
コレが、二人の関係の 〆のラーメン・・・。
その味わいを身にきざみ込むように、彼が次の言葉を出す前に、今度はタイミグをずらして、啜り込む。
・・・。・・・。・・・。
元々は、旦那が勝手に申し込んだ「会」だった。
少しでも、私の「気持ちが、すり減らないように」と。
私は、最初から気が進まないどころか、私が出かけて旦那と7歳になる息子を二人置いて家を空けるなど、思いもよらなかった。旦那の考えは、ハッキリと分る。優しさからの思いやりとも。
・・・「自閉症と向き合う家族の会」に、
月に一度、2時間参加する時間が出来るとなると、その時間、私は大手を振って外出する時間を得るのは間違いは無かった。
「やっぱり・・・お前は行ってこいよ。・・・少しでも、状況が理解できる人と話をしてこい。その間は、俺が子供を見ておくから・・・」
そんな台詞を言う旦那からは、まぎれもない愛情を感じたし、私は感謝しかなかった。
しかし、それとは別に、子供が生まれ成長と共に あきらかになる 「現実」 が・・・また、二人の距離感を出会った頃よりも遠ざけ、お互いの優しさが、お互いを憐れんでいるようで・・・、言葉には出来ないほどの鬱々としたもどかしさの事実も、ソコにはあった。
子供が自閉症と診断された時に、漠然と旦那との関係は終わりと言うか・・・そうでなくとも、しぼんで行くと私は感じた。
「自分が悪いのか、誰が悪いのか」ぶつけ様もない怒りと悲しみを抱え込むように丸まり、誰にも聞こえないように涙を呼吸になじませ吐き出すしか出来ない自分を・・・惨めだと思った。
これまで、つちかってきた幸せとか、頑張って手にしたプライドや、生まれや学歴、身に着けて来た教養や知識すら無駄に感じて、それらを知る人達に、今の私を知られることが恥ずかしくもあり、追い込まれる恐怖のようにも思えた。
親子とはいえ、子供との意思の疎通が難しく、一方的に愛を注いだとしても、飼い犬ほどの感謝も受けることも無く、ただ漠然と食べる寝るを繰りかえす姿を見続ける。
子育てとは名ばかりの擦り細る気持ちと、疲れ果てた先に脳裏に浮かぶのは、今後の一生。
人並みに楽しめるイベントも共に解決する苦労も訪れはしないと理解した。
お受験も、誕生会も、学芸会、部活の応援、お弁当、式と言う式、晴れ姿と言う姿・・・。
私は、今後、心の底から 笑う ことなど無いのだと感じ取った。
だからこそ、不平や不満を言わない旦那には、逆に何も言えなかった。
言えない代わりに、私の態度や表情からは、その全てを読み取っていたのだと思う。
子供の面倒を見るため専業主婦となった私とは違い、
旦那は会社勤めで夜遅くまで仕事をこなした上で、週末や休日は率先して家事や家族サービスに尽くしてくれた。
普通とは違う子育てを身をもって理解し、日常に疲弊していく私を支えようとしてくれた。
「パパ、ママ」の言葉を話さず、冷蔵庫の前で食べ物を求めて何時間も泣きわめき、奇声と雄叫びを起きている間は、何時間でも連続で叫び続ける。気分転換として、外に連れ出すとしても、車の中からは基本的には出ることは出来ない。スマホの動画やナビの画面はたまに見てくれるが、何か癇に障る音が耳に飛び込むのか、急に耳を塞いで、火がついたように泣き出してしまう。
自閉症の子供に対しては、行政のシステムがあり、週の中で何時間は療育をしてくれる。
それは、何かを学び取る機会として子供にとっては有難く、感謝しかない。
・・・また、親にとっても、子供と離れる時間が不安よりも「有難さ」と感じられる、唯一の時間であったりもする。
子供と離れる時間を 有難い と思う・・・思ってしまう。
自分の時間が全く無いのは、「親の責任として当然」だとか、「子供がかわいそう」とか・・・言われたとしても、心の中の片隅にある、誰にもぶつけることも言えることでも無い、やりきれない不満は・・・確実にある。
「普通の生活」として受け入れるしかないと理解した今の生活の中で、取り繕っても疲弊していく心の中に、本心なのか分からないが、「全てを無にかえしたい」「終わりにしたい」とかの不の感情が確かにあることに・・・、違いは無い。
・・・。・・・。・・・。
旦那が進めてくれた「会」は、銀座の中でも「木挽町」と言われる界隈のビルの一角で行われていた。
しばらく街に出ることも一人で歩くこともなかった私は、家を出る前までは気持ちが進まなかったが、一歩外に出て、自分の目的のママに歩くだけの自由に底知れぬ開放感と、顔に受ける艶やかな街中の光に、気持ちが洗われ軽くなる気がした。
ただ、歩くだけ。ただ、自分の行きたい方向に自由に歩くことが、どれだけ幸せな事か・・・。
「会」は、その目的も意義も思想も、申し分ない出来で、私も参加できることに感謝しかなかった。
日頃の言いたかったことを自由に言え、その根底にある「言ってはいけない本心」を汲み取ってくれる世界があったことに涙した。毎回、流す涙で、それまでの日々にくすんでしまった心を再び輝かせるために、磨き流せる気持ちになった。
「周りに合わせて、無理に前向きにならなくても、イイのですよ」
その場にとどまり、ウジウジすることですら肯定されると、人は不思議なもので自分の足で立ち上がろうとしてしまう・・・。
そんな気持ちに、なれるとは思ってもいなかった。
ただ、2時間ほど、家を離れ、子供と離れ、世間と触れ合うだけで、生きて行く明日に少しでも希望や楽しみが見出せるとは思ってもいなかった。
笑顔を思い出しても、イイのかも?
そんな気持ちに、少しなれたりもした。
・・・感謝した。
・・・。・・・。・・・。
「会」には、率先して参加した。
目的に心底賛同できたし、何よりも、自分が助けられているのが分かったから。
半年参加して、もう、無くてはならない機会と場となっていた。
月に一回の開催でも、運営側はボランティア活動の人達なので、組織としての強弱は慢性的なスタッフ不足が原因なのは見て取れた。
もともと、勤めていた会計事務所で、申告書の製作だけではなく、クライアントに求められれば、企画や運営の事務処理、会計などはもちろん、特殊なNPO法人の経理も担当していた。
ボランティア活動としての行政との橋渡しとか、経費の計算や予算見積もりなど、私なりに手助けできる部分があると思い、運営側に参加することを申し出て、受け入れてもらえた。
子供が生まれてから、初めての前向きな気持ちと行動だった。
忘れていた、先を思い描いての前進だった。
「会」の運営は、基本的には「会」に参加した「この場所が必要な人達」が行っていた。
感覚の一端には、同調があり、色や形は違えど同じ問題を抱えている人達だった。
その人達のそれまでの人生は分からないが、皆一様に、ある瞬間に一度「笑顔」を忘れて、今、また自分の心の中により所になる核をすえるために、必死で心を穏やかにつとめる事を積み上げている人達だった。
人が集まっているのに、常に、皆が皆を思いやり、誰かが誰かを立てて、またその誰かを立てて、心地よい場で事はいつも進んでいた。尊重し合う優しさと、出来ることへの素直な申告。最後は譲り合いであっても、必ず協力と協調がソコにあり、誰もトラブルを起こすことなく穏やかに進んでいく。
皆が、この「会」を大事にし、かけがえのないものとちゃんと理解しているのが、よく分かった。
そんな中でも、彼は、やっぱり第一印象から違っていた。
魅力的に輝いていて・・・とても良かった。
ただ、・・・良かった。
彼は、自然と穏やかな表情をして、身なりも清潔感と整いがあり、話すトーンが明るく、誰かが始めた面白くない話題であっても、努めて面白くする努力をしてくれた。その返しや例えが、とても上手だった。
「会」の流れで、どうしても重い話題を話したくて集まって来る人達の中で、前後の順番を鑑みて自分の番になると、その場で話題を自在に変える機転の良さが雰囲気が、いつも良く分かった。
不平不満を言って良い場でも、場の空気感とそれを受け止める人達の心の流れを感じ取り、誰かのコンプレックスや恥部を晒すことなく、かばい投げかける優しさのある話し方をする。
それが、「今日、どこどこで何を食べた」とか、自分の一日の行動を日記のように、生きて行く薄さを話し、自分に中身がないことを饒舌でごまかしているように聞こえたとしても、あえて自分が笑いの点となったとしても、それを誇りのように振舞える自信が伝わって来る。だから、嫌味には周りは感じない。
自分がどうやって生きて行ったらイイのか分からない人達に、
「自信なんか誰も無いのですよ」「それで、イイのですよ」
と、最後に諭すように伝えてくれる。
好きになるのに・・・時間や理由など必要がなかった。
彼、じゃなければ、ダメな気がした。
・・・。・・・。・・・。
「会」に参加するのは、月に一度。
運営にも参加するようになり、準備でもう一日。
つまりは、月に二度、家を2時間ほど空ける。
そうなるべくして、彼とは、そうなった。
決まっていたようにそうなったラブホテルには、カップラーメンがいつも2つあった。
彼と大手を振って二人で、食べ歩きやショッピングやカップルのような真似事は出来ない。
休憩の二時間の間で、時間の読めないルームサービスは気が進まなかった。
それと、そんなとこで散財と言えるほどの額でもないが、彼に余計な負担を負わせたくはなかった。
もらった名刺の名で、予測がついたから。
カップラーメンを二人で待つ3~5分の時間も、不思議とすぐに経ってしまうものだった。
日常では、一日の時間の経過が、騒音と叫び声の中で、何度も時計を見返すほどゆっくりと感じるのに、
彼との時間は、追い立てられるように過ぎていく。
「こないだの醤油のカップラーメンも美味しかったけど、今日のも美味しいね」
「そうね。このネギ脂? 入るとお店みたいな味になるのね」
いつまでも続くとは思わない時を 何でもない会話で埋めていく。
「ねぇ・・・、いつか、二人で、あそこの萬福に行きたいわ。小さい時から行っているお店で、私には思い出の味なのよ」
「あぁ・・・。いいね。いつか、行こう。僕も好きなんだ。萬福のラーメン。しみるんだよね・・・」
隙間と言わないが、足りない何かを満たされる感覚だけは、ドンドン敏感になり、
ドコまでも果てに向かって進んでしまう。
簡単に、他人の浮気や不倫を否定することに、意見や異など当然の様に無い。
でも、これは私と彼・・・。もしくは私の家庭と彼の家庭の話であって、それ以外の他人の問題ではない。
自閉症の子供を持つ親だから、許されるとも思っていないし、許されたいとも思っていない。
ただ、本当のことを私が話すのだから、聞かないフリ、見ないフリをして欲しいだけ。
軽蔑も嘲笑も非難も全て受け入れるし、
その後に待っているhappyでは無いその全てを受け入れる覚悟は、とうの昔に出来ている。
いや、ある瞬間から、そんなもの全てを受け入れて生きている。
もう、人生の最後までそれを背中から降ろすことなく、終わることもないと思っている。
だから、お願いします。
聞かないフリ、見ないフリは出来ないでしょか?
無理なお願いですか?。
月に二回。2時間だけ。
・・・。・・・。・・・。
旦那には、かなり前に彼との関係はバレていたと思う。
「会」に行くとなると、私の顔が女に戻っていたと思うから。
薄いとしても、普段はしない化粧道具を引っ張り出してメークはしていた。
高級では無くても、自然と小綺麗な組み合わせで着るモノを揃えていた。
下着の緩みや擦れを気にしていたのも、もしかしたら知っていたかもしれない。
それと、何よりも、普段は子供の動きに合わせるため履かないストッキングを履いて出て行ったから。
多分、随分前に分かっていたのだと思う。
「転勤が、決まった」
旦那は、淡々と話し出した。
転勤が決まり、環境が穏やかな土地なので、子供と私と三人でゆるやかに生活を進めたいと。
都会よりも、行政の補助が整っていて、今後、子供の成長が先に行ったとしても、
対応や子育てが今よりも良くなる・・・。
「だから、「会」を辞めて来てくれ。そして、・・・別れて来てくれ・・・」
私は、黙っていた。
責めるでもなく、諭すように人生の方向性を話す旦那に、何も言えなかった。
席を立ち、寝室に向かう旦那に・・・、
「すいません。殴って下さい。殴ってくれたら、明日、終わりにしてきます・・・」
振り向いた旦那は、泣いていた。
ボロボロと泣いていた。
私は・・・。
・・・。・・・。・・・。
・・・。・・・。・・・。
・・・。・・・。・・・。
空港のラウンジで、一回乗り込んだ飛行機を機械トラブルかなんかで降ろされた。
3時間ほどラウンジでウダウダすることになってしまった。なんてこった~♡
皆さん、シャンパンとかワインとかガブガブやり出したので、私もご相伴にあずかろうとニコニコし出したら、
lineで担当の編集者様から、
「ミャ子ちゃん~ヘルプ! 読み切りのシナリオお願い。
こう、人間の内面をえぐる系のチョイハードな奴を~30分でお願い。
待ってまーす!」
と、入ったのを読んでしまった・・・。
しょうがないと、付き合いもあるし、別にアレかと、
チラチラとネットニュースを読んで、
一昨日行った、銀座の 【萬福】様のラーメンをからめて、
一気にビールを飲みながら10分くらいで書き上げて、送信。
30分後・・・。
「今回は、貴方様のご期待にそえることは出来ませんでした」
と、返事が来た・・・。
「・・・なんだ、オイラ、M-1 予選で落ちたん・・・かい」
・・・はぁ?
なんだ、それ?
ふざけんな!発注通りに書いただろうがよー!
あーたまキタ。
いいもん!
ドコでも使えないように 食べログ にアップしちゃうもん~♡
ビール、7杯飲んだ勢いでアップする!
そして、行くぜメキシコ。なんで私が行かされるのだぁ~!
ははっ~♡