『自分を知る。』パコ崎ミャ子さんの日記

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パコ崎ミャ子は、どうすればイイ?

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パコ崎ミャ子 (東京都) 認証済

日記詳細

商業書き物をしている身とすると、ネット・・・私の場合「食べログ」になるのだけど、お金にならない場での活動は、私を取り巻く環境の人達から「お前・・・何やってるんだヨ!」と言われるのが・・・目に見えていると言うか・・・マジギレされるかもとか思ったりもする・・・~♡ だから、誰にも言わないでコソコソと書き記して遊んでいる。ははっ~♡

まぁ、仕事として、言葉を紡いでお金に換えているワケだし、一応、会社のトップとして収入を得て、それで私の会社で働いてくれている人達にお給金を支払っているのだから、公私混同なのかナンなのか、すべからくお金に換えられる要素があるものは大事に紡いでいかないととは・・・いや、いけないのダとは思ってはいる。はい・・・。

しかし、人には息抜きと言うか本業を頑張るための遊びの部分も大事だとも思っている。
キッチキチに仕事人間でも大丈夫な世界もあるとは思うけど、書き物創作がメインとなる世界に片足を突っ込んでいると、決まりきった知識の世界の範囲でしか語ることが出来ないのは、誰もが予想できる展開とか目論見でしかなく、originalityの核である意外性とか驚きを望むことが出来ない。

全く関係ないことや遊びでしかない知識は、その時は本当に全く関係ない話だとしても、後から熟成が進んで、なんかのキッカケになったりもするモノ♡。乱雑な知識でも知らないことを知るとは面白いモノで、その時々の自分の持っているイメージや常識や考え方を柔軟に変化させてくれる。

何であれ、知らないことを知ることは、それは、とっても面白いこと♡
それと、不思議なことで知れば知るほど、自分の知識の拙さ足りなさを身にしみて感じることになる♡

それは、悲観的な話ではなく、限りなく楽しみが増えて行く喜びと繋がっている。
マジでhappyな感覚で、終わり無き幸福の中に居ることに、猛烈に感謝したくなったりする♡

知ることにカスタマイズされていく自分の変化は、成長と言えるかも知れないし、逆に場面によっては萎縮と他人には見られたりするかもしれない。
なぜなら、知れば知るほどに、正論以外の異論、反対意見も同時に吸収することになるから。
だから知識や情報が多くなるほどに、感情的に「これはコウだ」と言い切る確信がどうやっても揺らいでくるし、当然、結論を出すことに意義を見出すことが出来なくなり、寡黙になってしまうことも多々あったりもする。

時に、「情報を精査して、使えるモノだピックアップする」と圧倒的な自信で言い切る人に出会ったりするが、その人の生き方や感性を知るほどに、そこまで憧れを持つ対象でも無いことに気がついてしまうと、その意見ですら「なんの根拠もない、ただの自惚れ」とボソリと言い返したくなったりする。

知識を得るほどに、自分の意見が言えなくなるのは、別に負けることでもない。
それまでの自分が間違っているワケでも無い。
ただ、言うなればやっぱり成長であって、人としての大きさが出ると言うか丸くなるとかの、心の和らぎみたいなモノだと思う。

どれだけ知識を精査できて正しいこと正論を言っていたとしても、心が凝り固まっていると人の意見には、なぜか論調から伝わる違和感が感じ取れてしまい、ストレートに身に伝わってこない。

それは、正論であるがゆえの光が、対となる影の部分である、他者への優しさである部分が必ず欠落しているから。
正論と思い込んでいる言葉には、他人の意見や他人の思いや考えを敏感に読み取る力は備わっていない。

これを言っていいのか? これをシテいいのか?

普通なら一瞬でもチョット考えれば、その意見はこれまでの場を乱し、なにも無かったとこに揉め事の火種を作り出すことになると気がつけるハズ。でも、それが・・・分からなくなってしまう・・・ことになる。

・・・。
・・・別に煽るワケでも無いが・・・。

とても優秀で、観察力洞察力にも優れ、自らをメンタリストと語るお方が、

「僕は生活保護の人たちに、なんだろう、お金を払うために税金を納めてるんじゃないからね。 生活保護の人に食わせる金があるんだったら猫を救ってほしいと僕は思うんで。生活保護の人が生きてても僕は別に得しないけどさ、猫は生きてれば得なんで」

「自分にとって必要のない命は、僕にとって軽いんで。だからホームレスの命はどうでもいい」

「どちらかと言うといない方がよくない、ホームレスって?いない方がよくない?」

「正直、邪魔だしさ、プラスになんないしさ、臭いしさ、ねぇ。治安悪くなるしさ、いない方がいいじゃん。」

「もともと人間はね、自分たちの群れにそぐわない、社会にそぐわない、群れ全体の利益にそぐわない人間を処刑して生きてきてるんですよ。犯罪者を殺すのだって同じですよ。犯罪者が社会の中にいるのは問題だしみんなに害があるでしょ、だから殺すんですよ。同じですよ」


とYouTubeで発言した。

・・・チョット考え・・・なくとも、公の場で言うにはリスクしかない、モロ「問題しかない差別的意見」と誰もが感じてしまう発言である。

そのお方が、猫の尊厳を尊重し、生活保護利用者やホームレスの人の命を比べて、「ホームレスの人の命はどうでもいい」と言ってしまうことは、明らかにかけがえのない命を冒瀆するもので、ホームレスの人に対する差別と偏見に満ちた意見でしかない。さらに、勢いとは言え、社会からの排除や抹殺まで語るとは・・・。


・・・まぁ、これに対して何か言うことも、話す気力も無いが、
私は先の意見の中の「生活保護者、ホームレス」の部分を「パコ崎ミャ子」に入れ替えて何度も読んでみた。


「僕はパコ崎ミャ子に、なんだろう、お金を払うために税金を納めてるんじゃないからね。パコ崎ミャ子に食わせる金があるんだったら猫を救ってほしいと僕は思うんで。パコ崎ミャ子が生きてても僕は別に得しないけどさ、猫は生きてれば得なんで」

「自分にとって必要のない命は、僕にとって軽いんで。だからパコ崎ミャ子の命はどうでもいい」

「どちらかと言うといない方がよくない、パコ崎ミャ子って?いない方がよくない?」

「正直、パコ崎ミャ子邪魔だしさ、プラスになんないしさ、臭いしさ、ねぇ。治安悪くなるしさ、いない方がいいじゃん。」

「もともと人間はね、自分たちの群れにそぐわない、社会にそぐわない、群れ全体の利益にそぐわない人間を処刑して生きてきてるんですよ。犯罪者を殺すのだって同じですよ。犯罪者が社会の中にいるのは問題だしみんなに害があるでしょ、だから殺すんですよパコ崎ミャ子を。同じですよ」


・・・不思議と、「生活保護者、ホームレス」の部分を「パコ崎ミャ子」に入れ替えて何度も読んでいると、悲しいことだけど、その意見の真意とか変えることの出来ないその人の真の部分みたいなのが伝わってきた。


・・・賢いと思い込むとは、なんだろう?
自分の評価を 他人が自分に向ける評価よりも、自分で高めに設定しているって、なんだろう?

・・・そもそも、その言い切れる確信アル知識とは、なんだろう? 

知識、学歴、肩書き、それらを鎧のように着て、戦う人も居るのだろう。
それがその人の生き方とかスタンスで、勝ち負けとかお金とか成功とかの基準となるのだろう。
それはそれで、何にも意見とか私には別に無いし、それこそ「どうでもいい」価値観だとしか思えない。


私がこだわる知識は、いつの時もただの 好奇心 でしかないから、それが学歴に変わろうがお金や肩書きに変わろうが、別にドウと言うことは無いし、何にも変化しないとしても全く問題はない。

ただ興味が湧いて知り得た知識は、単純に私を恍惚の極地に誘ってくれるし、また新たな好奇心の芽生えを感じさせてくれる。

それだけで、知ること 知識は十分だと感じている♡



知識とは、広大な砂漠の砂の一粒一粒のようなもの。
その砂をスプーンですくおうが、バケツですくおうが、砂漠から見たら微々たるもの。
量を誇ったところで、何も価値など無い。
すくうほどに、自分の周りに果てしなく広がる砂漠の大きさに、驚愕し恐れ、そして・・・謙虚さを知る。

誰かを非難するための知識は、知識では無い。

知識は、誰かを幸せに導き笑顔にするもの。

知るとは、何も知らない自分を知ると言うことでしかない♡
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