哲学的な話をするとスルとすると、ははっ~♡
世界には多種多様な哲学がイロイロとアルけど、それを突き詰めると哲学者の「者」にばかり比重がかかっていると感じられる。
つまり「哲学」とは、「個人」の「考え方」の話で終始するのが、結局お決まりのような気がするって話・・・。
「個人」ということは、それを話している「人」が、どんな人だったかに私はもの凄んごく興味が出る♡
その「人として」、それを言うに値するかどうかのバックボーンを知りたいし、「名言」並びに「言葉」だけが一人歩きしていても、何か全然全くピンとこないし~ネ♡
唐突に、この女は、「また何を言い出しているのか?」と、思われるのは十分承知の助ではあル~ん~♡
私程度のチキン女が何を言ったとしても、鼻糞にも劣る程度の知識からの意見でしかないし、誰にも何の影響も与え無いので、構わず話す~ん♡
ショせ~ん~♡ 68万7828冊の哲学書の類&現地視察、その程度の何でもない考察しか出来ていないし、滑り出しは「カイエ・ソバージュ」辺りからで、世界の神話、ギョベクリ・テぺをかすり、当然のタレス、ソクラテス経由での流れを辿って近世哲学、現代哲学に進み込み、南米とか未来的アフリカ哲学が最近のお気に入りの、洗濯物を3日溜め込むなど当たり前のノの、ドコにでもいる普通の主婦目線の話でしかない♡
ははっ~♡
「哲学」の歴史を紐解くと、個人が便座の上でウンウンと唸って絞り出した話は、マジ最近の流行りゴトだと言う事実を500周位まわって来ると、自然とダンダンと気が付いてくる。
もともと「哲学」の原始は、国家主導と言うか王様や村長を中心に、シャーマン的で「宗教的」な「真意の解明」を「集団」で行い、何年もかけ政治体系の変化に合わせながら壁画、口伝、記録として伝えてきている。
簡単に言うと、神話や民話、伝説の類は、その伝えたいことが既に「哲学」で、それを宗教やその当時の社会性を着せることで、長い期間多くの人々に伝える工夫をしているのだ。
それこそが、人類たる証明になる一種の「発明」ナノでもある♡
ちょっと面白い「遺跡」の見方の一つとして、その政治や成り立ち、系統を知ることもイイのだけど、実はどんな古い文化遺跡であっても、必ず「位が高い」「他とは違う」「賢者」「哲学者」と言う痕跡、軌跡が多々残されている。
それは、「国」もしくは「政治体系」の中で「真理の正当性」をその組織のトップなり大多数の民衆が「承認」もしくは「保護」することで、その人に「特別な価値」を理解していた現れで、「思考・思想」の価値をほとんどの人は自覚するまでも無く生活の中で知っていたと理解できる。
これは、「哲学史」の中で、世界のどんなに「小さいコミュニティ」であっても、その「世界」の中には、その独自の「哲学」を持っていたことを表している。
有史以来の世界には、その国、その人達の中に独自に「哲学」が数限りなくアル。
何か「哲学」もどきの本を読み、ソコに書かれていることが、「全ての真理」と思い込むのは勝手だけど、マジで、その程度の理解度で得意げに話されるのは、社会悪でしかない。
現代哲学であれば、「哲学」の本質は、個人であれ集団でアレ、その思考を「社会生活」の「生き方」において導きに活用することが大切である。
「哲学」と言えば、西洋のモノとし、起源を古代ギリシャ「だけ」に求めるのは間違えである。
盲目的に中国やインドや南米など、世界各地の地域に根付いた哲学を無視しているのは、それこそ「真理」にはほど遠い。
それはソレはそゲはまた、ギリシャが属していた地中海地域全体の歴史の見方としても、かなり、完璧に明後日の方向を向いてしまっている間違えである。
エジプトでは紀元前27~22世紀の古代王朝において、すでに「哲学者」「賢者」という名称が使われ、「真理や宇宙、人間の倫理」についての思索が沢山の壁画、ヒエログリフ、ヒエラティックで時代の変容に合わせ、体系づけられ伝わっている。
エジプト哲学の中に、「真理」に近い意味合いを持つ、「マート(Maat)」という概念の言葉がある。
この「マート(Maat)」と言う概念は、「公平性、真面目さ、真実性、真理、正しさ」と言った意味を持ち、その流れは現代につながるアフリカ哲学でもスンゲー重要となっている。
かなり遠く古くより広くアフリカ全土、エジプト、エチオピア、コンゴ、中央アフリカ、ギアナ、カメルーン、ガボン、ナイジェリア、スーダン、南アフリカの各地に、「マート(Maat)」という概念は言語の中に見出される。
古代ギリシャの文明すら、古代エジプトや周辺地域の哲学と相互関係で影響を与え合っていたと考えるのが、ごくごく自然の流れっス。
アフリカ哲学の話をしたので・・・、
もうチョットだけ・・・♡
古代ギリシャ・ローマ期においても、エジプトを始めとしてアフリカ大陸の地中海沿岸部では、優れた哲学者が生まれている。
少しだけ上げるとすると、アレキサンドリアの「オリゲネス」、カルタゴの「テルトゥリアヌス」、リコポリスの「プロティノス」、カルタゴ生れで、エジプトやチュニジア、そしてローマでキリスト教父にして哲学者として名を馳せ、ヒッポで司祭となった「アウグスティヌス」などなど。
私の大好きな♡ 現在までの歴史上で初めての女性哲学者であると言われる、現在のエジプト生まれの「ヒュパティア(350?~400?)」も、新プラトン主義の哲学者であり、数学者・天文学者である。
近世においてもアフリカ、エチオピアから17世紀、有神論的合理主義を唱え、反キリスト教的な「ゼラ・ヤコブ(1599-1692)」が登場し、倫理や知恵、心理や教育について論じた。
18世紀では、ガーナ出身で、ドイツのハレ大学やイエナ大学で教員を務めた「アントン・ウィルヘルム・アモ(1703-1759)」がいる。
彼はデカルトの心概念を批判し、「感覚知覚」を心に帰属させない「経験主義哲学」を説いた。
また彼の大きな主張の一つ、「各地域の各哲学の存在」の認識からは、近世アフリカ哲学者による研究も進み、長らく無視されていたアラビア語による哲学、イスラム科学やイスラム哲学が、伝統的基盤により複雑な発展を遂げていたことが現在では確かめられている。
また「アントン・ウィルヘルム・アモ」のイエナ大学時代の後に、イエナに移住して来た哲学者、言語学者として有名な「ヴィルヘルム・フォン・フンボルト(1767-1835)」がいる。
フンボルトは、ゲーテ、シラー、フィヒテ、シュレーゲル兄弟らと交流することで「アントン・ウィルヘルム・アモ」の思想にふれ傾倒していく。
「ヴィルヘルム・フォン・フンボルト」は、カントの「認識論」の「感覚知覚」の解釈に置いて、「経験を始まりから無視する理論が、全ての考察の楔となっている」と明解な問題提議をし、「カントの三批判書は未完である」と明言している。
カントが大好きな日本国内で、カントを否定する論を知るのは難しいが、「個人」の「考え」である「哲学」ほど、「集団的考察」の環境がいかに大事かを見直すキッカケとなり、現代哲学の発展に大きく寄与する考え方を提示した。
「哲学」は西洋のモノと、石で頭が出来ている人達は狂信的に、その鼻の高さでモンゴロイドよりも「香り」に秀でている形態の人達の言うことを崇拝するが、「哲学」は、その環境、社会の流れにより微妙に変化するモノだから「ソクラテスやカントが現代に蘇ったら、何を言うと思う?」をイメージして学ばないとあんまり意味は無いと思う。
・・・だからなのか、現代の哲学者の中には学生に平気で「哲学なんて学んでも意味など無い」とか言う者がいるけど、なんなら代わってオイラがイン哲の講義を代わってもよい・・・、やっぱ嘘、ウソ♡ でも、母校のイン哲よ頑張れ♡
あんまり一つの「哲学」に傾倒しすぎると、「個人思想的な宗教の沼」にハマって抜け出せなくなり、今を生きる現在進行形にそぐわない言動を炸裂させ話すことになり、周りから取り残されてしまう危険がアル。
「哲学」で「誰々」が「何を言った」かは、全く重要では無く、それを「知り」ドウ自分に「取り込み」、「言葉」として明解に「カスタマイズ」するかがマジで大事になる。
だから・・・、変化を恐れず「自分なりの哲学」を構築して行く過程が・・・、「人生」である♡ と「哲学」は教えてくれている。
哲学は、「学問を学問する学問」とか言われるが、もう少し恐れずに簡単に言えば、
「昔から言い伝わっている、おばあちゃんの知恵袋with現代版地域性有り」
もしくは、
「こないだ知り合いの友達のネーちゃんが、こう言っていたらしい」
程度の話なのである。
何も難しい言葉を難しい言葉で言い表さなくても・・・大抵の人は「そんなこと知っている」って、いう程度の話を回りくどく言っているだけなのである♡
・・・難しい言葉=優秀を「哲学」を使って表現したい気持ちも分らなくもないが、
現実の「結果」が伴わないのに、「哲学」だけを振り回されても、マジクソ普通は「周りが迷惑なだけ」で、アる~ッス♡
・・・。
イロイロな国で交渉人として働く時に、日本だけの常識とか知識は足枷にしかならない。
対面で代表として出てくる相手側の人は、当然世界のグローバルな情勢を知らないワケでは無いが、何かを代表するその立場が「発言」を決めてしまう時があったりする。
「哲学」は、その時に大きな武器になる。
その国の地域性や置かれた状況を知っておくことも大事だが、その国独自の「哲学」を知っている方が、相手が「何を言って来るか」の先読みが出来る。
交渉は、コチラの「意見」を押し通すことが「成功」では無く、期間を決めない長い目の「繋がりの構築」がその根底にある。
その時は「成功」だとしても、何年後かには「失敗」にかわる可能性も秘めている。
私が「哲学」を学ぶことは、一つの「考え方」を知ることでなく、「その人の発言が生まれた状況」を「分析」するためのキッカケでしかない。
私が「哲学」に重きを置く部分は、ただ、ただ、「相手の成り立ち」を知りたいから。
上辺だけの「知ったか」の言葉を羅列する人なのか、
「取り込んだ知識」を上手に使える人なのか。
世界は広く、上には上が居ると感じられる毎度の交渉の席は、当然目が爛々と輝き、何日寝なくても全然平気でワクドキが止まらな~イぃ♡
・・・。
・・・で、ははっ~♡
・・・ほんじゃ~なんか調子が出て来たので続ける♡
現代「哲学」の基礎、「個人思考の哲学」は、古来よりの「集団的な哲学」を歴史のウネリの中で、「宗教」から切り離し、「個人」の「素養」に任せ考えだし現代につなげたことも、実は大事な「発明」だったと言える♡
「個人」の「考え」の話は、雑音なく深く切り込める利点がある。
しかも、それを「多様な表現」と「自由に書き記す」ことにより、同時に沢山の人に伝えることが可能となり、「学ぶキッカケ」を大きく生み出すことが出来る。今のインターネットの広がりも見方によっては、現代の「哲学」の形態だと言える。
何も難しい話では無く、ただ当たり前すぎて、なかなか言葉に出来ない程度の話ナノである♡
では、では、ははっ~♡
「個人」の「哲学」がドコから始まったのかの意見は分かれると思う。
が、
西洋哲学と言うくくりから見れば、タレス(紀元前624~546頃)、ソクラテス(紀元前470~399頃)、プラトン(紀元前427~347頃)、あたりか。
東洋哲学と言うなれば、老子(紀元前571~471頃)、孔子(紀元前552~479頃)、荘子(紀元前369~286頃)か。
また、インド哲学となると、もっともっと古く古く、ウッダーラカ・アールニ(紀元前800?~700?)かな。
最近、流行りのアフリカ哲学に関しても、その存在は紀元前900頃の遺跡にある以上、「個人」の存在は否定出来ないかもしれない。
もしかすると・・・ギョベクリ・テぺ(紀元前1万~8000)の時代には確立していたのかも・・・知れない♡
続く・・・~♡