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パコ崎ミャ子は、どうすればイイ?
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パコ崎ミャ子 (東京都) 認証済
この口コミは、パコ崎ミャ子さんが訪問した当時の主観的なご意見・ご感想です。
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1回
夜の点数:4.9
2024/03 訪問
「傍目八目」の意見の答えは、「鹿を追う者は山を見る」なのでアリんス♡
「岡山らしいなぁ~♡」と、岡山の何も知らない私も感じてしまうほどの彩と味わい♡。最高ナリ~♡瀬戸内の地の魚は「天下一」の名に、何の異論も御座いません。はい♡ ホントにです♡三代目の山本淳さんの奏でるお鮨は、綺麗な動きの中から生まれてくる♡・・・イロイロと食べ過ぎて、飲み過ぎて騒ぎ過ぎた・・・。ははっ~♡チョットだけ、記憶のおすそ分け也♡・・・。「ままかり」の握り少し甘めの酢で〆られていて、魚の香りがほんのりと旨味の裾のに合わせられ、身のほぐれに加速するように旨味が湧き立つ。飲み込むのを少しだけ待つと酢飯の甘さが急に高鳴る♡ 「飯を借りる」に由来する、米と合う意味がこんな私にもよく分かる一品。「細魚(サヨリ)」の握り丁寧な二枚漬けの色味が、これまた麗味として繊維の細やかさと立っている。春の歓喜がそこに舞い踊るような光景にテンションが上がる。添えられた煮キリが、サヨリのか細いハズの甘さを瞬時に倍増させて、満足感を演出してくれる。似たような仕事に出会うが、作り手が変われば、これほどまでに変わるものなのかと実感する。「子鯛」の握り大人の鯛のコリコリブリブリの食感とは対極にある、身の柔らくしっとりとした子鯛。ほのかに風味が寄せる昆布締めの甘さがそよいでいる。この味わいが、ここの酢飯と相性が格別に良く、口の中で鯛の若く早春の代えがたい色香と感じ取れる。変に柑橘系とか余計なことをしないのがセンスの高さと感じる。「コウイカ」の握り時期的に、コウイカでも松ぼっくり柄の松葉かも?歯の先立ちはバリっとした始まりから、ねっとりと踏み踊りと感触の面白さが厚みの中に潜んでいる。味わいがスダチのほんの僅かな香りで、綺麗に整えられている。味を一貫の中に構成するセンスの良さは経験よりも天性のものと感じてしまう一品♡。さらに、昨今の何でもかんでも柑橘系に逃げる鮨は鮨では無いとちょっと思うオイラ。「鰺」の握り見た目が豪快で有り、その存在感の不敵さに驚愕する♡ ここでしか出会えない握り♡ ちょっと単位の桁を間違えたほどの甘味、甘味、甘味。三つの甘味が混在した旨味が口の中を濁流のように暴れ回る。鰺の旨さは汁気の脂と分っていても、ちょっと驚く♡ 旨味と言う陳腐な言葉では言い表せないほどの鰺の王様の横っ腹に噛みついたような感覚になる。飲み込むのを躊躇するほどの美味しさの完成形を見る♡ 酢で〆ているのは分かるが、その加減の出来の良さは、生きてきた中で今日のが一番♡ なんなんだコレは・・・と、追加注文がこの場で決定になる♡「米烏賊の木の芽味噌」旬の時期が短い、「子持ちの米烏賊」の木の芽味噌和え。10cmにも満たない可愛く小さな烏賊の中に、米と見まがう卵がぎっしりと詰まっている。ちょっと小さいイカメシと間違えそうと言うと怒られそう也♡。食べた時の食感の楽しさが、木の葉味噌の香り立つ甘き濃厚さと程よく手をつないで笑っている。この時期に、コレを食べない意味など無い。最高ナリ♡「ガリ」しっとりと潤みのある甘めのガリ。コチラのガリ、世界で一番美味しいガリと思っている♡ もったりとかベッタリする感じも無く、しょっぱ過ぎたり酸っぱすぎたりもしない。良いガリは、日本酒で口をすすぐと良く分かると言ったもので、日本酒の澱みがスーッと消える。変なアルコールの高鳴りを面白がって鼓舞するそんじょそこらのモノとはワケが違う。一等一番の物也♡ 歯触りの感触も一拍二拍と名調子。合いの手には最高。愛の手とすら感じる♡・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。2019年に閉店した後も作り続けられていた「鮨 魚正」の「あみ漬け」。岡山のお店らしく、備前焼の素朴な土色を馴染ませた小瓶に入っている。私の家にも、いくつか蓋つきのその小瓶はある。一つには小さく丸いサボテンを植えてみたり、一つは机の上のペン立てになっていたり、一つは冷蔵庫の中で梅干しを抱え込んでいたりする♡・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。2022年1月に、前の店主だった洋子さんの息子さん淳さんが岡山市内で営まれていた「鮨 山もと」の暖簾を下ろし、「三代目 魚正」として再始動されると聞いた時は、単純に小躍りした。皆が待ち望んだ「天下の魚正」の復活が叶ったと。でも、落ち着いて三代目がそこに行きつくまでの歴史と時間、それを取り巻く環境をフッと考えてしまったら、「三代目 魚正」を名乗る並々ならぬ悟道を開き進む覚悟のような、自分が「目指す仕事」に対する「真面目さと誠実さ」をその時に、強く思ったりもした。全てを近くで見ていたワケでも無いし、何かの内情を知っているワケでも無い。そんな私が語るのは、傍目八目(おかめはちもく)とは言え無いが、曾祖父の代からの仕事を継いでいる私には、「ちょっとだけ感じることの出来る」気持ちとして、「代替わり」の喜びのような、あがきのような、辛さと言うか、不思議な感情の喜びの高鳴りや逆に滅入る高低差ある感情の揺らぎが、少しだけ感じられたりもした。子供の時から年に何回か通う内になんとなく、周りの大人達と二代目の洋子さんとの会話から、ただ推察する私の思い込みの話でしかない。「魚正」は、昭和30年に初代の山本正一さんが、今の場所で開業した。もともと、手先が器用で「面倒くさい」と言う言葉を言わない性格で、調理経験を積む中で「独自の手法」で「鮨」を会得した。岡山での他の「鮨」をメインとするお店よりも、地産地消の意識が高く、扱うお米、お酒、器、そして魚介類海鮮の意味を当地「岡山」で一早く気が付いて、当初より実践していた。その意識の高さと味わいの素晴らしさが人づてに伝わるのは当然のことで、瞬く間にお客さんの半分は地元、もう半分は県外からと当地では知らぬ者のいない名店の道を駆け上がって行った。さらに、その味わいは昭和38年に発表される「吉行淳之介」先生の小説「赤と紫」の中に登場することで、もう一段階上へと昇りつめる。「岡山と言う土地には、冴えの効いた旨い鮨屋が一軒ある。「魚正」と言う店だ。瀬戸内の海にねぐらを持つ魚は旨いから、鮨も旨いと言うのは道理だが、この「魚正」はそれだけではない。ネタの吟味は言うに及ばず、親指ほどの春の子持ちの米烏賊、身厚うねりの心地よいヒラメのエンガワ、さらには関西風で仕上げた堅からず柔らかずのもどかしいほどの歯ごたえのアナゴ。アナゴは「つノ字」とも「のノ字」とも愛嬌ある仕立てで目の前にとつと置かれる。皮目が剥がれるほどの煮方ではないので、ツメは塗らない。そのアナゴがまた震えるほどしっとりとした脂を蓄えているので、つまむ指先に少しでも力を込めたら無駄に旨さが染みこぼれしないかと、口に運ぶまでの距離を気にして顔から迎えに行ってしまうほど」「吉行淳之介」先生のアナウンスは絶大で、その後「阿川弘之」先生、「佐和子」先生、「遠藤周作」先生、「北杜夫」先生、「三浦朱門」先生、「佐藤愛子」先生、それと「丸谷才一」先生などなど、他にも沢山のそうそうたるメンバーが「吉行淳之介」先生の後を追うように来店しては、絶賛しその思いを文として紡いで行った。その時代の、初代 山本正一さんの仕事ぶりは、皆さんが口をそろえて、「この魚正の主人は、最近、東京あたりの流行の効いた店ではもう出会えない、一種の天才と呼ばれた名人達と同じ気質をよく蓄えている。どんなに忙しくても他に職人は置かず、沢山の客の鮨を自分一人で握ってのける。どんな店でも名が売れ人気となれば、職人を2、3人と置いて、楽に金を仕舞いこむ気になるもの。しかし、この主人は、この魚正に来る客は「主人の握った鮨を食いに来ている」のだと髄の果てまで知っている。名や肩書き、店の名を味わいに来て、雇われの名の知れぬ職人の鮨を食い能書きを垂れる阿呆な客は、この魚正には来ないことを知っている」当時の「魚正」の話は、二代目の洋子さんが笑いながら、初代 山本正一さんの仕事ぶりを知っている人達と楽しく話していたのをよく聞いた。当時の洋子さんは、初代の頑固さには相当参ったらしく、「よその店なら、とっくに辞めてました」とケラケラと笑いながら話してくれた。その洋子さんの握る鮨。シャリの握りは温かく、柔らか目で、程よい空気を抱き込んでいる。正に、今では多くの寿司職人の中でも忘れ去られている「つかみずし」の本質で握られている。通常のにぎりは、握りやすい人肌まで酢飯を冷ましたり冷めるのを待ち「本手返し」や「小手返し」といった、あらかじめ成形した酢飯にネタを合わせて、回したり返したりしながら形にしていく。最近では温かいシャリを売りとする店も増えたが、「つかみずし」ほどの温度には達していない。本来の「つかみずし」は、通常の手順で握っていくわけではない。手で持てないくらい熱々の酢飯を使い酢飯をごくごく少ない手数でネタを一体化させる。よくよく見ると酢飯の形は左右対称ではない。そこに秘密と技があり、それが箸でも崩れず、手持ちも良く、口に入れてハラリとほどける。本来、鮨としての矜持は「つかみずし」の本質のそこにあり、本当は「本手返し」や「小手返し」は教科書的な初歩の技で、鮨マニアが語るほどの大それた技の話でもなかったりする。洋子さんは、その「つかみずし」の技を初代に習った事は無いと言う。初代 山本正一さんの握る姿をまじかで見て、その足の踏ん張り、背筋の通り、リズムに合わせた指先の反りを「目」と「音」、それと「息の吐く吸う姿」から体得したと話してくれる。「勉強と言うか、なにか私が仕事で見落としていることが無いか、よく他所のお店に食べに行くのですが、習ったことは無いです。ただただ、父である先代の仕事をそのまま父のスタイルで出すことを心がけています。オリジナルとか色とか言われますが、男の力加減と女の力加減、真似するにしても限度はあるでしょう。父の本質は、「父の鮨を食べに来ている」お客さんに向き合うことです。技術とか技とかは後からついてきます。しかし、心に留め置かないといけない本質に届かないうちは、言葉を重ねて何を語ったとしても、証明にはならないですからね」洋子さんの握る鮨は、目をつぶって食べると、初代 山本正一さんの握った鮨と、誰も見分けがつかなかったと口をそろえて皆が言う。「初代 山本正一さんの握りと変わらないですね」と客が水を向けても、洋子さんは、「この店に来てくれるお客さんは、みんな優しいですから。ぼっこううれしいです」照れなのか、大袈裟な岡山弁で笑わせてくれた。鮨屋は、極めて特殊な日本的な形態である。作る者と食べる者とが対峙する。お互いの顔色や声の質や空気感、感情の囁きまで伝わり合う。そこに、凛とした気合や心意気の圧は本来は必要は無い。迎える側と迎えられる側の「心のゆとり」がつなぎ目として有れば良い。初代、二代目からとのバトンを受け取るために、三代目は三代目なりの準備を寡黙に淡々とこなして来た。三代目「魚正」に寄せる周りの気持ちは、痛いほどに三代目には分かっていると・・・伝わってくる♡その、三代目 山本淳さんが握る華やぎの鮨を見ただけで、昔を知る者の胸に、過去の想い出が瞬時に蘇るのだから♡・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。お料理が目の前にあると、当然、そのお料理に注目が行ってしまう。でも、チョットだけ視点を大きめに拡げると、お料理を持ち上げてくれている「器」の存在にも気が付ける時がある。「魚正」様での楽しみは当然のようにお料理の味わいなのだが、そのお料理の乗って来る「器」にも、確信に似た趣があり、「備前焼」のそこにある素直さに気がつけると、勝手にナンカ、ニコニコになる♡私は少しだけ骨董が好きで、幸運にも琴線にふれた「器」なんかを手にする機会に恵まれると、大抵は、その価値とか値段よりも、その「器」に入れるナリ、のせるお料理ナリが「どんな風に思い浮かぶか?」が基準になったりする。「この器になら、アノお料理をのせたら~♡」「器」は飾ったり、仕舞い込む楽しみもあるとは思うが、「器」として生まれて来た本質を感じると・・・ドウなんだろう?・・・チョットだけ、「器」と「お料理」の関係性を感じる・・・違うな・・・「学ぶ」出来事を三代目「魚正」様で想い出したりも・・・する。 ははっ~♡・・・。目の前にある「米烏賊の木の芽味噌」がのせられた小皿もまた、栄え過ぎず慎まし過ぎず、お料理の色味と味わいにソっと寄り添って居る♡三代目「魚正」にてそんな「器」から、春の喜び「米烏賊の木の芽味噌」を一つまみ口に頬ばると、芯と立つ噛み応えの先にスルリとあらわれるネットリともホックリとの烏賊の卵がまた、何とも心地よい身体が潤う食感に感じられ、静々と魅了される♡旬の時期が短い、「子持ちの米烏賊」を風味高い「木の芽味噌和え」として三代目が仕上げたセンスは、まごうなき「魚正」様の歴史的な進化と感じる。「魚正」の今に至る歴史を少なからず知る身とすると、10cmにも満たない可愛く小さな烏賊の中に、米と見まがう卵がぎっしりと詰まっている春の味覚を旬と立ち上げるため、試行錯誤の連続の歴史を懐かしむ気持ちにもなってしまう。記憶の先にアル昔の「魚正」様の「米烏賊」の仕上がりは、サッと生姜が淡く効くような煮あげだった時もあれば、魚のアラで炊いた出汁に煮切り醤油を合わせ、その味わいの中で踊らせた時もあった。また、米烏賊の弱い風味に化粧させるため、蟹の出汁を少しだけ合わせた祝膳の装いな時もあった♡それもこれも、長く通う人達に、驚きと美味しさを味わわせてくれる店主の優しさと皆が心に伝わっている。『この皿に合わせた「米烏賊の木の芽味噌」の色味が、備前の皿の引き立ちが良いから、さらに米烏賊をより良く美味しそうに見せてくれますね』「・・・皿だけに、「サラ」に美味しく食べてもらいたいですから・・・」そんな三代目との会話を楽しんでいたら、フッと幼い時の思い出が・・・湧いて・・・きた♡「「米烏賊」を「この備前の煎餅皿に乗せてみたい」」と言った「鴨川のオバ様」の話を~♡・・・。「備前焼」は、ドコでも人気の焼き物。その名の通りが彩った「備前焼の器」を気心の知れた旧知のお店に持ち込み、「理想のお料理」をのせて愛でて味わって楽しむ♡そんな、楽しみも昔は普通にあった・・・♡「備前焼」は、全国津々浦々とその名声と使い勝手の良さ、さらには芸術性高き「世界に一つしかない景色」をどの一品にもそれぞれ持ち合わせているのが魅力。当然のように収集家や骨董好きの間でも人気が高い。好事家が、手に入れた「備前焼」を岡山のお店に持ち込み、自分が思い描いた岡山の地の料理を乗せて楽しむ。・・・グルメとか、マニアが語る、決まりきった最近の文言とはチョットだけ違う、昔の酔狂な楽しみ方もまた「美味しい」味わいを楽しむ歴史の一端と笑みがこぼれる・・・。ははっ~♡・・・。「韋駄天お正」の異名を持つ「鴨川のオバ様」は心に決めたことがあると、いつものおっとりした話し方では無く、ちょっと早口でまくしたてるような言葉を含み笑いのような顔で言う。「ちょっと、今、ミャ子ちゃんのオバーさんと話していたら、「岡山」に行くことになったから一緒に行きましょう。学校には遠くの親戚が危篤とか亡くなったことにして、「しばらく休みますっ」と言っておくから、さぁ、用意する。立つ。着替える。ハイ、ハイ、キビキビ動く!」・・・。「鴨川のオバ様」は、祖母の友達で、よく家に遊びに来ていた。その日も、二人でドコかの骨董市か蚤の市に、朝早くから荷物持ちを従えて出かけていたらしい。さっき小学校から帰って来た時は、居間で笑い声を響かせながら、二人で戦利品を所狭しと広げ確認をしていた。『「鴨川のオバ様」こんにちは』「あっ、ミャ子ちゃんお帰りなさい。宿題が終わったら、コッチで一緒にお菓子を食べましょう。でも、宿題が終わったらネ。お勉強は今の時代は大切ですよ。後で今日出会った備前焼の煎餅の小皿を見せてあげるから、手に触って感触を遊びなさいね。宿題が終わったら顔を出しなさいね」『・・・はい』そんな言葉を有難く頂き、心の中で「・・・チぇ」とか言ったか思ったかは忘れたけど、自室に戻るとランドセルを机の上に放り出し、昨日の夜に途中になった「大草原の小さな家」の読みかけをベットで横になりながら目で追いだした。しばらく、読みふけっていたが「感謝祭では七面鳥と合わせてコーンブレッドを食べる」あたりの話を読みだしたら、「コーンブレットとは?」が気になり大辞林を引っ張り出してその物を確認したり、物が分かったら今度は今度で料理百科で「コーンブレットの作り方」を調べたり、次々に湧く疑問に対処するため、ベットの上に本を持ち込み何冊か広げてアッチコッチと首を全力でブンブンと振りながら、目に入って来る情報を脳に吸い込ませていた。「・・・ゃん。・・・ちゃん。・・・ミャ子ちゃん。ミャ子ちゃん!」『・・・ん? あっ・・・』声に気がつき顔をあげると、ベットの上に乱雑に広げた本の中央に座り込む私の顔を覗き込むように、鴨川のオバ様の顔がソコにはあった。「部屋に入って来るの分からなかったの? 何度も声をかけたのに・・・。・・・凄い集中力ね。うん、それで良し良し。ミャ子ちゃんは、将来が楽しみだワ。ワハハ」いつもは家族の皆からも学校の人達からも、「集中して周りが見えなくなる」ことをイロイロと咎められていた私だけど、「鴨川のオバ様」だけは、そんな私を・・・一度も注意することも指導することもなく、「そうそう、そのままで良い良い」と言ってくれた。それと、私の「どうして?なんで?」の質問に丁寧に教えてくれる・・・「私の先生」と呼べる最初の人だった。・・・あっ、もう一つ・・・大人の世界でも、本当の意味で、ひねくれもせず、斜に構えることもなく、他人のせいや批評批判をして誰からも相手にされず孤立もしていないのに、「世間から全てにおいて自由を許される」存在を最初に感じた人だった・・・。「鴨川のオバ様」は、ベットの上でキョトンとしている私に向かい、「ちょっと、今、アナタのオバーさんと話していたら、「岡山」に行くことになったから一緒に行きましょう。学校には遠くの親戚が危篤とか亡くなったことにして、「しばらく休みますっ」と言っておくから、さぁ、用意する。立つ。着替える。ハイ、ハイ、キビキビ動く!」いつものおっとりした話し方では無く、ちょっと早口でまくしたてるような言葉を・・・含み笑いのような顔で言った。・・・。岡山には、「鴨川のオバ様」、祖母と母、それと私の他にカメラマンと言う人とか大人がイロイロ・・・結構な大所帯での移動だった。移動中、「鴨川のオバ様」の隣の席は私の指定席で、旅の間中アレコレと会話を楽しんだ。『オバ様、どうして岡山に行くの?』「うん? それはね、今日手に入れた小皿に乗せてみたいお料理が岡山にあるからよ」そう言うと、手持ちのバックの中からガサゴソとちょっと乱暴に包んだ新聞紙の包を引っ張り出し、一枚の「小皿」を中から取り出し、「はいっ、持ってみて」と私の手の中にポトリと置いた。「この小皿は、備前焼の煎餅皿と言うのよ。この周りにはみ出した波々のヨレが煎餅を焼いた時の余分な縁に見えるでしょ? 煎餅皿と名を付けた人は本当にセンスが良いわね」鴨川のオバ様は、よく良いモノを「センスが良い」と言っていた。オバ様が若い時にアメリカに留学した時の名残だと息子さんが笑いながら茶化していたのをちょっと思い出した♡ 「備前焼は、岡山県の焼き物なの。表面をツルツルにする釉薬を一切使用しない作り方だから、素朴な土の色合いがかもし出され、見た目はザラザラしているように思うけど、それを手に持った時のしっとりとして肌になじむ不思議な感触に大抵は驚くのよ。時代を経過し、使うほどに肌触りが変化していくのも魅力だけど、土の顔として1つとして同じ色や模様にはならない、味わいの深さが良さなのよ」『ふ~ん。・・・どうして、釉薬?をかけないの?』「そうね・・・普通なら、そう言う作り方を昔からしてきたから・・・と、言う所かも知れないけど、私はね、岡山は「たたら」今で言う「製鉄」「鉄を作る」その「炉」に秘密があると思っているの」『・・・鉄?』「そう。鉄を作り出すには、かなりの高温が必要なのよ。その作り出す火力の力が備前焼の高温で焼成する焼絞め陶に生かされて、固く割れにくい陶器に成ったのだと思っているの。これから行く岡山は、昔々、日本は飛鳥時代と言う時の「鉄を作った炉」の遺跡が沢山ある場所なの。鉄が作れたのは物凄いその時代の最先端の技術なのよ。それがあったから、日本は発展してきたのよ」『ふ~ん。・・・鉄を作り出す「火力」が、他の物を作り出す・・・「陶器」?にも使われたってコト?』「それは、まだちゃんと分ってイナイのよ。私もまだ考えたり調べたりしているの。ミャ子ちゃんは、調べるの得意でしょ。今度、「鉄」について調べて教えてくれると嬉しいな。一緒に知っていることを教え合いましょう」『うん♡ 分かった♡ 調べてみる♡』私の興味に対する視点は、今考えると「鴨川のオバ様」が最初に広げてくれたような気がしている。知らない世界の見方や考え方、また、興味の持って行き方など、言葉の説明だけでは無く、見る触る行動する、そして調べ考える。考えがまとまったら、また見る触る行動する、そして調べ考えるの繰り返しで、そこにゴールや答えなど最初からな無いとあきらめることなど別にしなくてもよくて、ただただ、進むだけに意味を見出すコトが大事なんだと。進むうちに、何かが積み重なって行くモノなのだと・・・。『オバ様、今日手に入れた小皿に乗せてみたいお料理が岡山にあるって・・・どんなお料理?』「うん? それはね、米烏賊と言って、親指ぐらいの大きさしかない烏賊よ」鴨川のオバ様は、そう言うと、ちょっとイタズラっぽく笑いながら自分の左右の親指を合わせてクイクイと動かしてみせてきた。「米烏賊って、この時期になるとご飯粒みたいな卵をお腹にミッチリと詰め込んで、食べるとプチプチともネットリとも違う不思議な感覚の美味しさがあるの。その米烏賊をサッと煮あげて木の葉味噌で色良く仕上げて信じられないくらい美味しく食べさせてくれるお店が、日本で唯一、岡山にあるの。その米烏賊を二つほどこの煎餅皿に乗せたら・・・この小皿が喜ぶと思ってね」『・・・えっ? 小皿が喜ぶの?』「そうよ。お皿は何のために生まれてきたの? お料理を美味しく食べて貰うために生まれてきたのよ。この煎餅皿は、今までドコかの小綺麗な床の間にでも木枠を脚に飾られていたのよ。可哀想でしょ。本当は、お料理を乗せたかったのに。だから、これまでの苦労を労って、最高に似合うお料理を乗せて着せてあげようと思ったの」『・・・お皿に烏賊を乗せるために・・・岡山・・・なの?』「そうよ。骨董の道とは、眺めてウンチクを垂れ流すモノじゃないのよ。使って初めて、良さが分かるし、打ち解けて相対するものなのよ。はい、じゃ、岡山に着くまで、その煎餅皿を撫でまわしておきなさい。料理を乗せて使った後に撫でたら、その皿が「ありがとう」と言う声が手に伝わって来るから」『はい♡』バカなのか素直なのか、煎餅皿を撫でまわすそんな私を「鴨川のオバ様」は愛してくれた♡ ははっ~♡自分の気に入った皿に、自分が思い描いたお料理で着飾って楽しむ♡そんな、乙な楽しみ方があった時代も・・・チョットだけ前にはあったりした。良いとか悪いとか、常識とか社会的にとか、ウルサクナイ時代があったりも・・・した。そんな子供の時の懐かしさを三代目「魚正 山本淳」様に行くと想い出す♡ははっ~♡
2024/03/24 更新
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「岡山らしいなぁ~♡」と、岡山の何も知らない私も感じてしまうほどの彩と味わい♡。最高ナリ~♡
瀬戸内の地の魚は「天下一」の名に、何の異論も御座いません。はい♡ ホントにです♡
三代目の山本淳さんの奏でるお鮨は、綺麗な動きの中から生まれてくる♡
・・・イロイロと食べ過ぎて、飲み過ぎて騒ぎ過ぎた・・・。ははっ~♡
チョットだけ、記憶のおすそ分け也♡
・・・。
「ままかり」の握り
少し甘めの酢で〆られていて、魚の香りがほんのりと旨味の裾のに合わせられ、身のほぐれに加速するように旨味が湧き立つ。飲み込むのを少しだけ待つと酢飯の甘さが急に高鳴る♡ 「飯を借りる」に由来する、米と合う意味がこんな私にもよく分かる一品。
「細魚(サヨリ)」の握り
丁寧な二枚漬けの色味が、これまた麗味として繊維の細やかさと立っている。春の歓喜がそこに舞い踊るような光景にテンションが上がる。添えられた煮キリが、サヨリのか細いハズの甘さを瞬時に倍増させて、満足感を演出してくれる。似たような仕事に出会うが、作り手が変われば、これほどまでに変わるものなのかと実感する。
「子鯛」の握り
大人の鯛のコリコリブリブリの食感とは対極にある、身の柔らくしっとりとした子鯛。ほのかに風味が寄せる昆布締めの甘さがそよいでいる。この味わいが、ここの酢飯と相性が格別に良く、口の中で鯛の若く早春の代えがたい色香と感じ取れる。変に柑橘系とか余計なことをしないのがセンスの高さと感じる。
「コウイカ」の握り
時期的に、コウイカでも松ぼっくり柄の松葉かも?歯の先立ちはバリっとした始まりから、ねっとりと踏み踊りと感触の面白さが厚みの中に潜んでいる。味わいがスダチのほんの僅かな香りで、綺麗に整えられている。味を一貫の中に構成するセンスの良さは経験よりも天性のものと感じてしまう一品♡。さらに、昨今の何でもかんでも柑橘系に逃げる鮨は鮨では無いとちょっと思うオイラ。
「鰺」の握り
見た目が豪快で有り、その存在感の不敵さに驚愕する♡ ここでしか出会えない握り♡ ちょっと単位の桁を間違えたほどの甘味、甘味、甘味。三つの甘味が混在した旨味が口の中を濁流のように暴れ回る。鰺の旨さは汁気の脂と分っていても、ちょっと驚く♡ 旨味と言う陳腐な言葉では言い表せないほどの鰺の王様の横っ腹に噛みついたような感覚になる。飲み込むのを躊躇するほどの美味しさの完成形を見る♡ 酢で〆ているのは分かるが、その加減の出来の良さは、生きてきた中で今日のが一番♡ なんなんだコレは・・・と、追加注文がこの場で決定になる♡
「米烏賊の木の芽味噌」
旬の時期が短い、「子持ちの米烏賊」の木の芽味噌和え。10cmにも満たない可愛く小さな烏賊の中に、米と見まがう卵がぎっしりと詰まっている。ちょっと小さいイカメシと間違えそうと言うと怒られそう也♡。食べた時の食感の楽しさが、木の葉味噌の香り立つ甘き濃厚さと程よく手をつないで笑っている。この時期に、コレを食べない意味など無い。最高ナリ♡
「ガリ」
しっとりと潤みのある甘めのガリ。コチラのガリ、世界で一番美味しいガリと思っている♡ もったりとかベッタリする感じも無く、しょっぱ過ぎたり酸っぱすぎたりもしない。良いガリは、日本酒で口をすすぐと良く分かると言ったもので、日本酒の澱みがスーッと消える。変なアルコールの高鳴りを面白がって鼓舞するそんじょそこらのモノとはワケが違う。一等一番の物也♡ 歯触りの感触も一拍二拍と名調子。合いの手には最高。愛の手とすら感じる♡
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
2019年に閉店した後も作り続けられていた「鮨 魚正」の「あみ漬け」。
岡山のお店らしく、備前焼の素朴な土色を馴染ませた小瓶に入っている。
私の家にも、いくつか蓋つきのその小瓶はある。
一つには小さく丸いサボテンを植えてみたり、一つは机の上のペン立てになっていたり、一つは冷蔵庫の中で梅干しを抱え込んでいたりする♡
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
2022年1月に、前の店主だった洋子さんの息子さん淳さんが岡山市内で営まれていた「鮨 山もと」の暖簾を下ろし、「三代目 魚正」として再始動されると聞いた時は、単純に小躍りした。
皆が待ち望んだ「天下の魚正」の復活が叶ったと。
でも、落ち着いて三代目がそこに行きつくまでの歴史と時間、それを取り巻く環境をフッと考えてしまったら、「三代目 魚正」を名乗る並々ならぬ悟道を開き進む覚悟のような、自分が「目指す仕事」に対する「真面目さと誠実さ」をその時に、強く思ったりもした。
全てを近くで見ていたワケでも無いし、何かの内情を知っているワケでも無い。
そんな私が語るのは、傍目八目(おかめはちもく)とは言え無いが、曾祖父の代からの仕事を継いでいる私には、「ちょっとだけ感じることの出来る」気持ちとして、「代替わり」の喜びのような、あがきのような、辛さと言うか、不思議な感情の喜びの高鳴りや逆に滅入る高低差ある感情の揺らぎが、少しだけ感じられたりもした。
子供の時から年に何回か通う内になんとなく、周りの大人達と二代目の洋子さんとの会話から、ただ推察する私の思い込みの話でしかない。
「魚正」は、昭和30年に初代の山本正一さんが、今の場所で開業した。
もともと、手先が器用で「面倒くさい」と言う言葉を言わない性格で、調理経験を積む中で「独自の手法」で「鮨」を会得した。
岡山での他の「鮨」をメインとするお店よりも、地産地消の意識が高く、扱うお米、お酒、器、そして魚介類海鮮の意味を当地「岡山」で一早く気が付いて、当初より実践していた。
その意識の高さと味わいの素晴らしさが人づてに伝わるのは当然のことで、瞬く間にお客さんの半分は地元、もう半分は県外からと当地では知らぬ者のいない名店の道を駆け上がって行った。
さらに、その味わいは昭和38年に発表される「吉行淳之介」先生の小説「赤と紫」の中に登場することで、もう一段階上へと昇りつめる。
「岡山と言う土地には、冴えの効いた旨い鮨屋が一軒ある。
「魚正」と言う店だ。
瀬戸内の海にねぐらを持つ魚は旨いから、鮨も旨いと言うのは道理だが、この「魚正」はそれだけではない。
ネタの吟味は言うに及ばず、親指ほどの春の子持ちの米烏賊、身厚うねりの心地よいヒラメのエンガワ、さらには関西風で仕上げた堅からず柔らかずのもどかしいほどの歯ごたえのアナゴ。
アナゴは「つノ字」とも「のノ字」とも愛嬌ある仕立てで目の前にとつと置かれる。
皮目が剥がれるほどの煮方ではないので、ツメは塗らない。
そのアナゴがまた震えるほどしっとりとした脂を蓄えているので、つまむ指先に少しでも力を込めたら無駄に旨さが染みこぼれしないかと、口に運ぶまでの距離を気にして顔から迎えに行ってしまうほど」
「吉行淳之介」先生のアナウンスは絶大で、その後「阿川弘之」先生、「佐和子」先生、「遠藤周作」先生、「北杜夫」先生、「三浦朱門」先生、「佐藤愛子」先生、それと「丸谷才一」先生などなど、他にも沢山のそうそうたるメンバーが「吉行淳之介」先生の後を追うように来店しては、絶賛しその思いを文として紡いで行った。
その時代の、初代 山本正一さんの仕事ぶりは、皆さんが口をそろえて、
「この魚正の主人は、最近、東京あたりの流行の効いた店ではもう出会えない、一種の天才と呼ばれた名人達と同じ気質をよく蓄えている。
どんなに忙しくても他に職人は置かず、沢山の客の鮨を自分一人で握ってのける。
どんな店でも名が売れ人気となれば、職人を2、3人と置いて、楽に金を仕舞いこむ気になるもの。
しかし、この主人は、この魚正に来る客は「主人の握った鮨を食いに来ている」のだと髄の果てまで知っている。
名や肩書き、店の名を味わいに来て、雇われの名の知れぬ職人の鮨を食い能書きを垂れる阿呆な客は、この魚正には来ないことを知っている」
当時の「魚正」の話は、二代目の洋子さんが笑いながら、初代 山本正一さんの仕事ぶりを知っている人達と楽しく話していたのをよく聞いた。
当時の洋子さんは、初代の頑固さには相当参ったらしく、「よその店なら、とっくに辞めてました」とケラケラと笑いながら話してくれた。
その洋子さんの握る鮨。
シャリの握りは温かく、柔らか目で、程よい空気を抱き込んでいる。
正に、今では多くの寿司職人の中でも忘れ去られている「つかみずし」の本質で握られている。
通常のにぎりは、握りやすい人肌まで酢飯を冷ましたり冷めるのを待ち「本手返し」や「小手返し」といった、あらかじめ成形した酢飯にネタを合わせて、回したり返したりしながら形にしていく。
最近では温かいシャリを売りとする店も増えたが、「つかみずし」ほどの温度には達していない。
本来の「つかみずし」は、通常の手順で握っていくわけではない。
手で持てないくらい熱々の酢飯を使い酢飯をごくごく少ない手数でネタを一体化させる。
よくよく見ると酢飯の形は左右対称ではない。
そこに秘密と技があり、それが箸でも崩れず、手持ちも良く、口に入れてハラリとほどける。
本来、鮨としての矜持は「つかみずし」の本質のそこにあり、本当は「本手返し」や「小手返し」は教科書的な初歩の技で、鮨マニアが語るほどの大それた技の話でもなかったりする。
洋子さんは、その「つかみずし」の技を初代に習った事は無いと言う。
初代 山本正一さんの握る姿をまじかで見て、その足の踏ん張り、背筋の通り、リズムに合わせた指先の反りを「目」と「音」、それと「息の吐く吸う姿」から体得したと話してくれる。
「勉強と言うか、なにか私が仕事で見落としていることが無いか、よく他所のお店に食べに行くのですが、習ったことは無いです。ただただ、父である先代の仕事をそのまま父のスタイルで出すことを心がけています。
オリジナルとか色とか言われますが、男の力加減と女の力加減、真似するにしても限度はあるでしょう。
父の本質は、「父の鮨を食べに来ている」お客さんに向き合うことです。
技術とか技とかは後からついてきます。しかし、心に留め置かないといけない本質に届かないうちは、言葉を重ねて何を語ったとしても、証明にはならないですからね」
洋子さんの握る鮨は、目をつぶって食べると、初代 山本正一さんの握った鮨と、誰も見分けがつかなかったと口をそろえて皆が言う。
「初代 山本正一さんの握りと変わらないですね」
と客が水を向けても、洋子さんは、
「この店に来てくれるお客さんは、みんな優しいですから。ぼっこううれしいです」
照れなのか、大袈裟な岡山弁で笑わせてくれた。
鮨屋は、極めて特殊な日本的な形態である。
作る者と食べる者とが対峙する。
お互いの顔色や声の質や空気感、感情の囁きまで伝わり合う。
そこに、凛とした気合や心意気の圧は本来は必要は無い。
迎える側と迎えられる側の「心のゆとり」がつなぎ目として有れば良い。
初代、二代目からとのバトンを受け取るために、三代目は三代目なりの準備を寡黙に淡々とこなして来た。
三代目「魚正」に寄せる周りの気持ちは、痛いほどに三代目には分かっていると・・・伝わってくる♡
その、三代目 山本淳さんが握る華やぎの鮨を見ただけで、昔を知る者の胸に、過去の想い出が瞬時に蘇るのだから♡
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
お料理が目の前にあると、当然、そのお料理に注目が行ってしまう。
でも、チョットだけ視点を大きめに拡げると、お料理を持ち上げてくれている「器」の存在にも気が付ける時がある。
「魚正」様での楽しみは当然のようにお料理の味わいなのだが、そのお料理の乗って来る「器」にも、確信に似た趣があり、「備前焼」のそこにある素直さに気がつけると、勝手にナンカ、ニコニコになる♡
私は少しだけ骨董が好きで、幸運にも琴線にふれた「器」なんかを手にする機会に恵まれると、大抵は、その価値とか値段よりも、その「器」に入れるナリ、のせるお料理ナリが「どんな風に思い浮かぶか?」が基準になったりする。
「この器になら、アノお料理をのせたら~♡」
「器」は飾ったり、仕舞い込む楽しみもあるとは思うが、「器」として生まれて来た本質を感じると・・・ドウなんだろう?
・・・チョットだけ、「器」と「お料理」の関係性を感じる・・・違うな・・・「学ぶ」出来事を三代目「魚正」様で想い出したりも・・・する。 ははっ~♡
・・・。
目の前にある「米烏賊の木の芽味噌」がのせられた小皿もまた、栄え過ぎず慎まし過ぎず、お料理の色味と味わいにソっと寄り添って居る♡
三代目「魚正」にてそんな「器」から、春の喜び「米烏賊の木の芽味噌」を一つまみ口に頬ばると、芯と立つ噛み応えの先にスルリとあらわれるネットリともホックリとの烏賊の卵がまた、何とも心地よい身体が潤う食感に感じられ、静々と魅了される♡
旬の時期が短い、「子持ちの米烏賊」を風味高い「木の芽味噌和え」として三代目が仕上げたセンスは、まごうなき「魚正」様の歴史的な進化と感じる。
「魚正」の今に至る歴史を少なからず知る身とすると、10cmにも満たない可愛く小さな烏賊の中に、米と見まがう卵がぎっしりと詰まっている春の味覚を旬と立ち上げるため、試行錯誤の連続の歴史を懐かしむ気持ちにもなってしまう。
記憶の先にアル昔の「魚正」様の「米烏賊」の仕上がりは、サッと生姜が淡く効くような煮あげだった時もあれば、魚のアラで炊いた出汁に煮切り醤油を合わせ、その味わいの中で踊らせた時もあった。また、米烏賊の弱い風味に化粧させるため、蟹の出汁を少しだけ合わせた祝膳の装いな時もあった♡
それもこれも、長く通う人達に、驚きと美味しさを味わわせてくれる店主の優しさと皆が心に伝わっている。
『この皿に合わせた「米烏賊の木の芽味噌」の色味が、備前の皿の引き立ちが良いから、さらに米烏賊をより良く美味しそうに見せてくれますね』
「・・・皿だけに、「サラ」に美味しく食べてもらいたいですから・・・」
そんな三代目との会話を楽しんでいたら、フッと幼い時の思い出が・・・湧いて・・・きた♡
「「米烏賊」を「この備前の煎餅皿に乗せてみたい」」と言った「鴨川のオバ様」の話を~♡
・・・。
「備前焼」は、ドコでも人気の焼き物。
その名の通りが彩った「備前焼の器」を気心の知れた旧知のお店に持ち込み、「理想のお料理」をのせて愛でて味わって楽しむ♡
そんな、楽しみも昔は普通にあった・・・♡
「備前焼」は、全国津々浦々とその名声と使い勝手の良さ、さらには芸術性高き「世界に一つしかない景色」をどの一品にもそれぞれ持ち合わせているのが魅力。当然のように収集家や骨董好きの間でも人気が高い。
好事家が、手に入れた「備前焼」を岡山のお店に持ち込み、自分が思い描いた岡山の地の料理を乗せて楽しむ。
・・・グルメとか、マニアが語る、決まりきった最近の文言とはチョットだけ違う、昔の酔狂な楽しみ方もまた「美味しい」味わいを楽しむ歴史の一端と笑みがこぼれる・・・。ははっ~♡
・・・。
「韋駄天お正」の異名を持つ「鴨川のオバ様」は心に決めたことがあると、いつものおっとりした話し方では無く、ちょっと早口でまくしたてるような言葉を含み笑いのような顔で言う。
「ちょっと、今、ミャ子ちゃんのオバーさんと話していたら、「岡山」に行くことになったから一緒に行きましょう。学校には遠くの親戚が危篤とか亡くなったことにして、「しばらく休みますっ」と言っておくから、さぁ、用意する。立つ。着替える。ハイ、ハイ、キビキビ動く!」
・・・。
「鴨川のオバ様」は、祖母の友達で、よく家に遊びに来ていた。
その日も、二人でドコかの骨董市か蚤の市に、朝早くから荷物持ちを従えて出かけていたらしい。
さっき小学校から帰って来た時は、居間で笑い声を響かせながら、二人で戦利品を所狭しと広げ確認をしていた。
『「鴨川のオバ様」こんにちは』
「あっ、ミャ子ちゃんお帰りなさい。宿題が終わったら、コッチで一緒にお菓子を食べましょう。でも、宿題が終わったらネ。お勉強は今の時代は大切ですよ。後で今日出会った備前焼の煎餅の小皿を見せてあげるから、手に触って感触を遊びなさいね。宿題が終わったら顔を出しなさいね」
『・・・はい』
そんな言葉を有難く頂き、心の中で「・・・チぇ」とか言ったか思ったかは忘れたけど、自室に戻るとランドセルを机の上に放り出し、昨日の夜に途中になった「大草原の小さな家」の読みかけをベットで横になりながら目で追いだした。
しばらく、読みふけっていたが「感謝祭では七面鳥と合わせてコーンブレッドを食べる」あたりの話を読みだしたら、「コーンブレットとは?」が気になり大辞林を引っ張り出してその物を確認したり、物が分かったら今度は今度で料理百科で「コーンブレットの作り方」を調べたり、次々に湧く疑問に対処するため、ベットの上に本を持ち込み何冊か広げてアッチコッチと首を全力でブンブンと振りながら、目に入って来る情報を脳に吸い込ませていた。
「・・・ゃん。・・・ちゃん。・・・ミャ子ちゃん。ミャ子ちゃん!」
『・・・ん? あっ・・・』
声に気がつき顔をあげると、ベットの上に乱雑に広げた本の中央に座り込む私の顔を覗き込むように、鴨川のオバ様の顔がソコにはあった。
「部屋に入って来るの分からなかったの? 何度も声をかけたのに・・・。・・・凄い集中力ね。うん、それで良し良し。ミャ子ちゃんは、将来が楽しみだワ。ワハハ」
いつもは家族の皆からも学校の人達からも、「集中して周りが見えなくなる」ことをイロイロと咎められていた私だけど、「鴨川のオバ様」だけは、そんな私を・・・一度も注意することも指導することもなく、「そうそう、そのままで良い良い」と言ってくれた。
それと、私の「どうして?なんで?」の質問に丁寧に教えてくれる・・・「私の先生」と呼べる最初の人だった。
・・・あっ、もう一つ・・・大人の世界でも、本当の意味で、ひねくれもせず、斜に構えることもなく、他人のせいや批評批判をして誰からも相手にされず孤立もしていないのに、「世間から全てにおいて自由を許される」存在を最初に感じた人だった・・・。
「鴨川のオバ様」は、ベットの上でキョトンとしている私に向かい、
「ちょっと、今、アナタのオバーさんと話していたら、「岡山」に行くことになったから一緒に行きましょう。学校には遠くの親戚が危篤とか亡くなったことにして、「しばらく休みますっ」と言っておくから、さぁ、用意する。立つ。着替える。ハイ、ハイ、キビキビ動く!」
いつものおっとりした話し方では無く、ちょっと早口でまくしたてるような言葉を・・・含み笑いのような顔で言った。
・・・。
岡山には、「鴨川のオバ様」、祖母と母、それと私の他にカメラマンと言う人とか大人がイロイロ・・・結構な大所帯での移動だった。
移動中、「鴨川のオバ様」の隣の席は私の指定席で、旅の間中アレコレと会話を楽しんだ。
『オバ様、どうして岡山に行くの?』
「うん? それはね、今日手に入れた小皿に乗せてみたいお料理が岡山にあるからよ」
そう言うと、手持ちのバックの中からガサゴソとちょっと乱暴に包んだ新聞紙の包を引っ張り出し、一枚の「小皿」を中から取り出し、「はいっ、持ってみて」と私の手の中にポトリと置いた。
「この小皿は、備前焼の煎餅皿と言うのよ。この周りにはみ出した波々のヨレが煎餅を焼いた時の余分な縁に見えるでしょ? 煎餅皿と名を付けた人は本当にセンスが良いわね」
鴨川のオバ様は、よく良いモノを「センスが良い」と言っていた。オバ様が若い時にアメリカに留学した時の名残だと息子さんが笑いながら茶化していたのをちょっと思い出した♡
「備前焼は、岡山県の焼き物なの。表面をツルツルにする釉薬を一切使用しない作り方だから、素朴な土の色合いがかもし出され、見た目はザラザラしているように思うけど、それを手に持った時のしっとりとして肌になじむ不思議な感触に大抵は驚くのよ。
時代を経過し、使うほどに肌触りが変化していくのも魅力だけど、土の顔として1つとして同じ色や模様にはならない、味わいの深さが良さなのよ」
『ふ~ん。・・・どうして、釉薬?をかけないの?』
「そうね・・・普通なら、そう言う作り方を昔からしてきたから・・・と、言う所かも知れないけど、私はね、岡山は「たたら」今で言う「製鉄」「鉄を作る」その「炉」に秘密があると思っているの」
『・・・鉄?』
「そう。鉄を作り出すには、かなりの高温が必要なのよ。その作り出す火力の力が備前焼の高温で焼成する焼絞め
陶に生かされて、固く割れにくい陶器に成ったのだと思っているの。これから行く岡山は、昔々、日本は飛鳥時代と言う時の「鉄を作った炉」の遺跡が沢山ある場所なの。鉄が作れたのは物凄いその時代の最先端の技術なのよ。それがあったから、日本は発展してきたのよ」
『ふ~ん。・・・鉄を作り出す「火力」が、他の物を作り出す・・・「陶器」?にも使われたってコト?』
「それは、まだちゃんと分ってイナイのよ。私もまだ考えたり調べたりしているの。ミャ子ちゃんは、調べるの得意でしょ。今度、「鉄」について調べて教えてくれると嬉しいな。一緒に知っていることを教え合いましょう」
『うん♡ 分かった♡ 調べてみる♡』
私の興味に対する視点は、今考えると「鴨川のオバ様」が最初に広げてくれたような気がしている。
知らない世界の見方や考え方、また、興味の持って行き方など、言葉の説明だけでは無く、見る触る行動する、そして調べ考える。考えがまとまったら、また見る触る行動する、そして調べ考えるの繰り返しで、そこにゴールや答えなど最初からな無いとあきらめることなど別にしなくてもよくて、ただただ、進むだけに意味を見出すコトが大事なんだと。
進むうちに、何かが積み重なって行くモノなのだと・・・。
『オバ様、今日手に入れた小皿に乗せてみたいお料理が岡山にあるって・・・どんなお料理?』
「うん? それはね、米烏賊と言って、親指ぐらいの大きさしかない烏賊よ」
鴨川のオバ様は、そう言うと、ちょっとイタズラっぽく笑いながら自分の左右の親指を合わせてクイクイと動かしてみせてきた。
「米烏賊って、この時期になるとご飯粒みたいな卵をお腹にミッチリと詰め込んで、食べるとプチプチともネットリとも違う不思議な感覚の美味しさがあるの。その米烏賊をサッと煮あげて木の葉味噌で色良く仕上げて信じられないくらい美味しく食べさせてくれるお店が、日本で唯一、岡山にあるの。その米烏賊を二つほどこの煎餅皿に乗せたら・・・この小皿が喜ぶと思ってね」
『・・・えっ? 小皿が喜ぶの?』
「そうよ。お皿は何のために生まれてきたの? お料理を美味しく食べて貰うために生まれてきたのよ。この煎餅皿は、今までドコかの小綺麗な床の間にでも木枠を脚に飾られていたのよ。可哀想でしょ。本当は、お料理を乗せたかったのに。だから、これまでの苦労を労って、最高に似合うお料理を乗せて着せてあげようと思ったの」
『・・・お皿に烏賊を乗せるために・・・岡山・・・なの?』
「そうよ。骨董の道とは、眺めてウンチクを垂れ流すモノじゃないのよ。使って初めて、良さが分かるし、打ち解けて相対するものなのよ。はい、じゃ、岡山に着くまで、その煎餅皿を撫でまわしておきなさい。料理を乗せて使った後に撫でたら、その皿が「ありがとう」と言う声が手に伝わって来るから」
『はい♡』
バカなのか素直なのか、煎餅皿を撫でまわすそんな私を「鴨川のオバ様」は愛してくれた♡
ははっ~♡
自分の気に入った皿に、自分が思い描いたお料理で着飾って楽しむ♡
そんな、乙な楽しみ方があった時代も・・・チョットだけ前にはあったりした。
良いとか悪いとか、常識とか社会的にとか、ウルサクナイ時代があったりも・・・した。
そんな子供の時の懐かしさを
三代目「魚正 山本淳」様に行くと想い出す♡
ははっ~♡