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パコ崎ミャ子は、どうすればイイ?
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パコ崎ミャ子 (東京都) 認証済
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1回
夜の点数:5.0
2024/12 訪問
「信頼」を食べる♡
昔、銀座の「きよ田」様に連れて来てもらうと、必ず「妖術という身で握る鮓の飯」の川柳を皮切りに、「伝説の寿司職人 藤本茂蔵 様」の軌跡をカウンターに陣取る翁達と三代目の木村様に聞かされたモノだ♡ははっ~♡今の「きよ田」の主人 吉沢様は、「自分は四代目では無く、四人目です」と謙虚でアタリが柔らかい物腰だが、凛と一本筋の通った粋なお方♡ で、そうやすやすと三代目が四代目へとバトンを託したとは、誰も思っていない。時間が育む「信頼」と言う根拠に裏打ちされた確信が「四代目 吉沢 様」のソコにはアルと、「きよ田」に集う歴々の方々はジッと見守っている♡ネット上のスラング程度の話題で、「寿司屋の修行で10年ってどう?」てのがある・・・が、私の感覚で言うと、「今、私がしている仕事と比べられる話では無いが、10年程度で一人前の顔をしても・・・、まだまだ上には上が居るし・・・、自分自身、死ぬまで修業は終わらない・・・。10年程度で「信頼」と言う関係性に「絶対」の安心感を相手に与えられるほど・・・の確信は無いし、慢心せずにこの先もずっと謙虚に行かないと、足元をすくわれそうで・・・」と♡「きよ田」のウリは、「信頼」である♡今日昨日、学校を卒業した程度の技術や口コミを「信頼」の根拠とすることに、別に異論は無いが、免許は何とか取得した程度の研修医中の医者に、自分の心臓移植の手術をお願いする気には・・・私はなれない。「大袈裟だ!」 と、言われそうだが、身銭を切って楽しむ人生の快楽「食」に、「なんで妥協しないといけないのか?」と素直な気持ちで反論したくなる・・・~♡「きよ田」のお寿司を食べる人によっては、ネタが薄いとか料金が高いとか、ドコかの何かと比べて言っているのだと思うのだが・・・、でも、「きよ田」のお寿司は、「きよ田」のお寿司であって、それ以外の何物でも無い。長い歴史の中で、イロイロな人達、さまざまな業種の人達、銀座の街の変化の中で「寿司」の看板だけで「信頼」を得て「きよ田」の今はある。今日昨日の宣伝の張り方だけで、一歩二歩程度の歩みで立ち止まったワケではなく、長く堅実な歩みの中で「信頼」と言う評価を得て来たのでアル。「きよ田」に、築地で一番、東京で一番、日本で一番と謳われる食材、お魚各種が集まって来るのはどうしてだろう? イロイロと説明しなくても、普通は気が付くものだ。出てくる素材、握られるネタ、環境を整える調度品、空間を仕切る四代目、「信頼」の根底を味わうための「きよ田」に何を言うことがあろうか・・・。いつだって私は、先人の教えを守りつつ、今日、ここで食せる幸せを全身に刻み込む♡・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。三代目の木村様が立ち上げた系列点「離れ」の話が出だした時、店に通う翁達に、「俺達は、先代に付いてお互いに学び楽しみ良い時間を貰った。お前達は四代目を盛り立てて、同じ時間の中でお互いに高めて行け」と、有難い話を頂いたモノだ♡「きよ田」のお寿司は、どれそれとあげつらい、事細かに言うほど、自分の寿司に対する知識や知り得る歴史がありきたりで、失笑のネタにもならないと感じ入るが・・・、勝手に、私の「まぐろ好き」は、「きよ田」でつくられた、と、生意気にも思っている♡本マグロの美味しさは、時期や採れた場所によって旬の時期は本当はかわるモノ。何かの情報で、一様に夏は味が薄く冬が濃厚になる・・・とは、一年間本マグロを追い続けると本当は言え無くなる。青森県の大間で獲れる本マグロ(クロマグロ)は、9~12月が旬だけど、同じ青森県の深浦町で獲れる本マグロ(クロマグロ)は、6~7月の方が脂がノリ、旬の時期と言われていたりする。・・・しかし・・・だ、どこそこで採れた、誰々が生産した、とか、生の食材ほど、割いてみて調理しないと分からないモノは無い。同じ学校を卒業しても、大人としての仕上がりが千差万別とあるように、料理が生に近くなるほど、その素材本質の差は大きくなる。「本まぐろ」も、同じ。割いて、仕事をして、白木に置かれ、口に入れ、飲み込み、鼻に口中香の通りを持って初めて判別できるモノ。「きよ田」で食べる「本まぐろ」は、「信頼の味」と言える♡鮮度抜群の赤身の寝かせは、意識が深く落ちて行きそうになるほど深紅と強く、切り分けた包丁の刃スジが表面の透明感を損なわず、艶の照り返しが眩しいほどの輝き。本マグロでしか味わえない独特のしっとりと吸い付くような味わい。適度な弾力が溶け消える濃厚さの枠となり、歯先が落ちる度に舌に微かな酸味がからむ。酢飯とまみれ、醤油一滴程度とまとまると、口の中は通り抜ける後ろ髪を眺めながら、落ち着いた甘味と満足感の快楽となる。中トロ、大トロと脂が乗り切っている身は、数日寝かせて程よいピンク色に変化し、見るからに身の一片一片に蓄えたイノシン酸の旨味爆弾の存在に嬉々としてしまう。一瞬で理解できる熟成度で、職人の技とセンスがこれほどまでも左右するモノか、と、色味の花咲、桃紅色が目見通りがキメの細かで、全くもって他では出会ったことは無い。体温でトロケルるほど柔らかく、ほどけ消えて行く心地よい舌触りは、他には感じることができ無い唯一無二の存在感。その時に最高の魚、素材が集まり、それを技術とセンスで仕上げていく。どちらかが欠けても「信頼」は得られない。当然、長い年月で培ってきた結果としての「信頼」なのである。「信頼」を「きよ田」で食べている♡・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。『・・・。まぁ・・・聞け・・・。ここの初代 藤本は、10歳の時には寿司の世界に入り、22歳の時に「二葉鮨」で名をあげ、赤酢の手触りとコハダや白身の寝かせ、江戸前の真髄たるネタとシャリのバランスで客を魅了した。当然、築地の野郎どもは、藤本に魚を卸したくてしょうがない。「まぐろ」なんかは、早いうちに一等一番が寄って来たモノだ。その後48歳で、「なか田」。51歳に、「すし春」で「おまかせ」が始まり、白と蒼で統一した魯山人の皿に握りを並べた。59歳で、「にし木」。そして61歳で「きよ田」での「究極のおもてなし」とあいなる。目線の先に映える檜で作られた木製の氷の冷蔵庫なんか、藤本の象徴みたいなモノだぞ。段差の低い白木のカウンターもシンプルの極みで視線の惑いが無く、寿司の味わいに色合いが乗るだろ。藤本茂蔵には、客として集まる歴々の猛者たちは絶対なる「信頼」を寄せて、「あれを握れ、これを握れ」など言う者は野暮と言うモノで、美の極みと空間が集約したような寿司と愛で楽しんだモノだ。たまに、一見の変な客が騒ぎ立てようものなら、白木の段差の低い三尺六寸ほどのカウンターに座る客達が、店の外に首根っこ掴んで引きずり出し、袋叩きにしたものだ。「おまかせ」と言う形態は、藤本茂蔵が始めたと言われているが、そんな単純な話では無い。どんな客でも、最初はネタを好みで注文して食べていた。しかし、一見から常連になり、店に通う度に出てくる握りの味わいに、心底満足の極みまで到達する「信頼関係」が出来ると、誰だって「大将の握る寿司は、何を食べても美味しい・・・、もう、「信頼」しているから「おまかせ」でお願い」と、おさまる所におさまるモノだ。本当の「おまかせ」は、店が言い出したシステムでは無く、客が求めた先の結果なんだよ。今日昨日と、算盤弾いて「ウチは おまかせ一本」と店が言い出す「根拠の無い信頼」の押し売りとはワケが違う。お腹が満たされ出すと、人は食べるスピードは遅くなり、噛む回数が増えるモノ。お客の様子も見ずに、通り一辺倒の決められた「おまかせコース」を淡々とこなすバカな職人と信頼関係など出来るモノか。寿司なんぞ、食べる相手との呼吸を合わせた握りの出方が整わないと、旨くも何とも無いものだ。そのへんがピタッと決まるかドウかが、「信頼関係」と言うモノ。旨い不味い以前の話をキッチリ説明出来ない店など、おしなべてタカが知れているモノだ。藤本の最初は、白身。次は、まぐろがトントンと来る。そして、イカ、赤貝、コハダと旬に合わせて来て、巻物は、かんぴょう巻。かんぴょう巻は、他の握りと大きさを合わせた珍しい5つ切り。玉子は、芝エビとハモのすり身が入り、そこに包丁の切り込みが十字に、四方に角が開く江戸前寿司の花、鞍かけの妙技。季節にもよるが、おおよそ10種のおまかせの流れ。藤本の寿司を芸術と言うが、旨い寿司とは何なのかをただただ突き詰めた結果だと思う。・・・ちなみに、藤本は一滴も酒が飲めない下戸だったのも、味に向かう意識になったのかもなぁ。藤本の握りの技術 シャリの握り方。最初の一手でシャリ種の大きさは決まり、手数は3回でおさまる。普通の一流どころの職人が5~6回でも少ないと言う所を3回で形を決め切ってしまう。シャリの底が割れやすく、口の中に入れるとパラパラと米粒が広がり、ネタと供に喉を通過する。シャリが固いと、先にシャリが喉を通りネタは後から通過する。シャリの底に指で「船底をつける」要領でくぼみをつける。そのくぼみを側面から優しく閉じれば、中は柔らかく外側は並んで整ったシャリ玉になる。意識と技が整い、そこから生み出された握りは、必然的にシャリが高くなりネタの庇が落ち、綺麗に巻くように整う。藤本と言えば、昔からの客程、穴子と言うモノだ。シャリとネタの間にまぶす柚子の風味がまた格別で、夏は青柚子、冬は黄柚子となる。上にツメの味わいが、ここでしか味わえない甘さの福よかな広がりに品がアリ、飲み下す時の余韻の響きが一音も二音も高く透きとおり、鼻先にと抜けていく。江戸前の寿司は、ネタとシャリのバランス。ネタが新鮮で大きいだけの見た目重視ではダメ。シャリも、上品の極みみたいに小さい南京豆程度ではダメ。おお、そうだ、オメーさん、あっちこっちの寿司屋に顔が効くようだが・・・、どんなに名店とおだて揚げられている店でも、「手渡し」をしてくる店は下の下だぞ。江戸前寿司と言うモノを食う客は、鳥の子でも犬っころでもネーんだよ。ましては、職人はテメ―のかぁーちゃんでもネーんだ。寿司って言うモノは、最初にその立ち姿で圧倒される「歌舞伎の見得」を味わうモノ。見得は、流れを強引に堰止めることで、いっそう強く激しい感情を表現しているワケだ。見得の無い歌舞伎が歌舞伎じゃネーように、トンと白木に置かれて「見得をきれない」寿司は・・・寿司じゃネーんだよ。はっはっはっ』・・・。・・・昔の粋な大人達は、お酒の席でも乱れ無く名調子で、ひよっ子にもならないオイラにも話しかけてくれた。お店のルール、そこに行きつくまでの客の心得、ひいては金の手放し方・・・とか♡四代目のお寿司も、何十年後は伝説となり語り継がれていくものと「信頼」している。ははっ~♡・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。チョットだけ・・・~♡私は、味覚の原体験と言うか、子供の時に「美味しい」と食べたモノがいまだに残っているタイプ。お寿司と言えば、「まぐろ」で、お刺身と言えば「まぐろ」の一択派。時代と言うのか、養殖のマグロが出回る頃には大人になっていて、「天然まぐろ」との味わいの違いに目を白黒させた・・・りもした。小学生の娘は、寿司ネタで好きなトップ3が、サーモン、鯛、えんがわ と、子供っぽいのか通なのか判断が迷うラインナップ・・・。・・・でも、チョットだけイロイロと考えた時に、「あれ? もしや養殖・・・の味わい?では?」と感じてしまった・・・。魚全般に感じる、天然の方は固くて少し生命の青さを感じ、養殖の魚の方は角が無く身が柔らかく、人的配合飼料で育ち、あまり味に魚の主張が少ない・・・。天然を有難がる風潮で育った私だが、子供の時から養殖の優しい味わいに慣れ親しんでいくと、美味しさの基準が世代によって変わるのが当たり前となっていくかも?、と・・・チョットだけホンのちょっとだけ寂しい気持ちにもなったりする。天然の魚の美味しさをなんとか伝えていきたいなと思っても、時代の変化には抗えないのかもしれない・・・。寿司とは、こういうモノだ・・・とか、こうアルべきだ・・・とか、言う前に、何か見落としている気が強くする。人それぞれ、「美味しい」に対して見る角度は違うと思うが、基準となる「本来の味」に統一感が無いと、もしかして「食の歴史」は、・・・ドコかで途切れてしまうのかもと、ここでもチョットだけ不安になったりする。本マグロ。天然モノは、生命力が力強いが、味わいは極めて繊細。垂らす醤油で、その全体像が変わるほど微細で透き通っている。醤油も、まぐろの香りが引き立つようなモノが合うと感じ、再仕込醤油、溜醤油を中心に濃口醤油をイロイロと試す面白さがあったりもする♡「味」の話をすると、結局は「香り」の話に行きついてしまう・・・。単純に、鮮度が同じなら、天然モノと養殖モノは「香り」が全然違う。「本まぐろ」なら、更に醤油を付けた時の「味わい」の抜ける「香り」が、天然モノと養殖モノと全然違う。そんな違いを私は「味の楽しみ」と育ってきたが・・・、娘達は、これから何を「味の楽しみ」として行くのだろう・・・。大人として、何を伝えていくべきが・・・一年の反省を込めて・・・イロイロと考えたりする~♡ははっ~♡
2024/12/16 更新
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日本酒あり
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昔、銀座の「きよ田」様に連れて来てもらうと、必ず「妖術という身で握る鮓の飯」の川柳を皮切りに、
「伝説の寿司職人 藤本茂蔵 様」の軌跡をカウンターに陣取る翁達と三代目の木村様に聞かされたモノだ♡
ははっ~♡
今の「きよ田」の主人 吉沢様は、「自分は四代目では無く、四人目です」と謙虚でアタリが柔らかい物腰だが、凛と一本筋の通った粋なお方♡
で、そうやすやすと三代目が四代目へとバトンを託したとは、誰も思っていない。
時間が育む「信頼」と言う根拠に裏打ちされた確信が「四代目 吉沢 様」のソコにはアルと、「きよ田」に集う歴々の方々はジッと見守っている♡
ネット上のスラング程度の話題で、「寿司屋の修行で10年ってどう?」てのがある・・・が、
私の感覚で言うと、
「今、私がしている仕事と比べられる話では無いが、10年程度で一人前の顔をしても・・・、まだまだ上には上が居るし・・・、自分自身、死ぬまで修業は終わらない・・・。10年程度で「信頼」と言う関係性に「絶対」の安心感を相手に与えられるほど・・・の確信は無いし、慢心せずにこの先もずっと謙虚に行かないと、足元をすくわれそうで・・・」
と♡
「きよ田」のウリは、「信頼」である♡
今日昨日、学校を卒業した程度の技術や口コミを「信頼」の根拠とすることに、別に異論は無いが、
免許は何とか取得した程度の研修医中の医者に、自分の心臓移植の手術をお願いする気には・・・私はなれない。
「大袈裟だ!」 と、言われそうだが、身銭を切って楽しむ人生の快楽「食」に、「なんで妥協しないといけないのか?」と素直な気持ちで反論したくなる・・・~♡
「きよ田」のお寿司を食べる人によっては、ネタが薄いとか料金が高いとか、ドコかの何かと比べて言っているのだと思うのだが・・・、
でも、「きよ田」のお寿司は、「きよ田」のお寿司であって、それ以外の何物でも無い。
長い歴史の中で、イロイロな人達、さまざまな業種の人達、銀座の街の変化の中で「寿司」の看板だけで「信頼」を得て「きよ田」の今はある。
今日昨日の宣伝の張り方だけで、一歩二歩程度の歩みで立ち止まったワケではなく、長く堅実な歩みの中で「信頼」と言う評価を得て来たのでアル。
「きよ田」に、築地で一番、東京で一番、日本で一番と謳われる食材、お魚各種が集まって来るのはどうしてだろう? イロイロと説明しなくても、普通は気が付くものだ。
出てくる素材、握られるネタ、環境を整える調度品、空間を仕切る四代目、「信頼」の根底を味わうための「きよ田」に何を言うことがあろうか・・・。
いつだって私は、先人の教えを守りつつ、今日、ここで食せる幸せを全身に刻み込む♡
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
三代目の木村様が立ち上げた系列点「離れ」の話が出だした時、店に通う翁達に、
「俺達は、先代に付いてお互いに学び楽しみ良い時間を貰った。お前達は四代目を盛り立てて、同じ時間の中でお互いに高めて行け」
と、有難い話を頂いたモノだ♡
「きよ田」のお寿司は、どれそれとあげつらい、事細かに言うほど、自分の寿司に対する知識や知り得る歴史がありきたりで、失笑のネタにもならないと感じ入るが・・・、
勝手に、私の「まぐろ好き」は、「きよ田」でつくられた、と、生意気にも思っている♡
本マグロの美味しさは、時期や採れた場所によって旬の時期は本当はかわるモノ。
何かの情報で、一様に夏は味が薄く冬が濃厚になる・・・とは、一年間本マグロを追い続けると本当は言え無くなる。
青森県の大間で獲れる本マグロ(クロマグロ)は、9~12月が旬だけど、
同じ青森県の深浦町で獲れる本マグロ(クロマグロ)は、6~7月の方が脂がノリ、旬の時期と言われていたりする。
・・・しかし・・・だ、
どこそこで採れた、誰々が生産した、とか、生の食材ほど、割いてみて調理しないと分からないモノは無い。
同じ学校を卒業しても、大人としての仕上がりが千差万別とあるように、料理が生に近くなるほど、その素材本質の差は大きくなる。
「本まぐろ」も、同じ。
割いて、仕事をして、白木に置かれ、口に入れ、飲み込み、鼻に口中香の通りを持って初めて判別できるモノ。
「きよ田」で食べる「本まぐろ」は、「信頼の味」と言える♡
鮮度抜群の赤身の寝かせは、意識が深く落ちて行きそうになるほど深紅と強く、切り分けた包丁の刃スジが表面の透明感を損なわず、艶の照り返しが眩しいほどの輝き。
本マグロでしか味わえない独特のしっとりと吸い付くような味わい。
適度な弾力が溶け消える濃厚さの枠となり、歯先が落ちる度に舌に微かな酸味がからむ。
酢飯とまみれ、醤油一滴程度とまとまると、口の中は通り抜ける後ろ髪を眺めながら、落ち着いた甘味と満足感の快楽となる。
中トロ、大トロと脂が乗り切っている身は、数日寝かせて程よいピンク色に変化し、見るからに身の一片一片に蓄えたイノシン酸の旨味爆弾の存在に嬉々としてしまう。
一瞬で理解できる熟成度で、職人の技とセンスがこれほどまでも左右するモノか、と、色味の花咲、桃紅色が目見通りがキメの細かで、全くもって他では出会ったことは無い。
体温でトロケルるほど柔らかく、ほどけ消えて行く心地よい舌触りは、他には感じることができ無い唯一無二の存在感。
その時に最高の魚、素材が集まり、それを技術とセンスで仕上げていく。
どちらかが欠けても「信頼」は得られない。
当然、長い年月で培ってきた結果としての「信頼」なのである。
「信頼」を「きよ田」で食べている♡
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
『・・・。まぁ・・・聞け・・・。
ここの初代 藤本は、10歳の時には寿司の世界に入り、
22歳の時に「二葉鮨」で名をあげ、赤酢の手触りとコハダや白身の寝かせ、江戸前の真髄たるネタとシャリのバランスで客を魅了した。
当然、築地の野郎どもは、藤本に魚を卸したくてしょうがない。「まぐろ」なんかは、早いうちに一等一番が寄って来たモノだ。
その後48歳で、「なか田」。
51歳に、「すし春」で「おまかせ」が始まり、白と蒼で統一した魯山人の皿に握りを並べた。
59歳で、「にし木」。
そして61歳で「きよ田」での「究極のおもてなし」とあいなる。
目線の先に映える檜で作られた木製の氷の冷蔵庫なんか、藤本の象徴みたいなモノだぞ。
段差の低い白木のカウンターもシンプルの極みで視線の惑いが無く、寿司の味わいに色合いが乗るだろ。
藤本茂蔵には、客として集まる歴々の猛者たちは絶対なる「信頼」を寄せて、「あれを握れ、これを握れ」など言う者は野暮と言うモノで、美の極みと空間が集約したような寿司と愛で楽しんだモノだ。
たまに、一見の変な客が騒ぎ立てようものなら、白木の段差の低い三尺六寸ほどのカウンターに座る客達が、店の外に首根っこ掴んで引きずり出し、袋叩きにしたものだ。
「おまかせ」と言う形態は、藤本茂蔵が始めたと言われているが、そんな単純な話では無い。
どんな客でも、最初はネタを好みで注文して食べていた。
しかし、一見から常連になり、店に通う度に出てくる握りの味わいに、心底満足の極みまで到達する「信頼関係」が出来ると、
誰だって「大将の握る寿司は、何を食べても美味しい・・・、もう、「信頼」しているから「おまかせ」でお願い」と、おさまる所におさまるモノだ。
本当の「おまかせ」は、店が言い出したシステムでは無く、客が求めた先の結果なんだよ。
今日昨日と、算盤弾いて「ウチは おまかせ一本」と店が言い出す「根拠の無い信頼」の押し売りとはワケが違う。
お腹が満たされ出すと、人は食べるスピードは遅くなり、噛む回数が増えるモノ。
お客の様子も見ずに、通り一辺倒の決められた「おまかせコース」を淡々とこなすバカな職人と信頼関係など出来るモノか。
寿司なんぞ、食べる相手との呼吸を合わせた握りの出方が整わないと、旨くも何とも無いものだ。
そのへんがピタッと決まるかドウかが、「信頼関係」と言うモノ。
旨い不味い以前の話をキッチリ説明出来ない店など、おしなべてタカが知れているモノだ。
藤本の最初は、白身。
次は、まぐろがトントンと来る。
そして、イカ、赤貝、コハダと旬に合わせて来て、
巻物は、かんぴょう巻。
かんぴょう巻は、他の握りと大きさを合わせた珍しい5つ切り。
玉子は、芝エビとハモのすり身が入り、
そこに包丁の切り込みが十字に、四方に角が開く江戸前寿司の花、鞍かけの妙技。
季節にもよるが、おおよそ10種のおまかせの流れ。
藤本の寿司を芸術と言うが、旨い寿司とは何なのかをただただ突き詰めた結果だと思う。
・・・ちなみに、藤本は一滴も酒が飲めない下戸だったのも、味に向かう意識になったのかもなぁ。
藤本の握りの技術 シャリの握り方。
最初の一手でシャリ種の大きさは決まり、手数は3回でおさまる。
普通の一流どころの職人が5~6回でも少ないと言う所を3回で形を決め切ってしまう。
シャリの底が割れやすく、口の中に入れるとパラパラと米粒が広がり、ネタと供に喉を通過する。
シャリが固いと、先にシャリが喉を通りネタは後から通過する。
シャリの底に指で「船底をつける」要領でくぼみをつける。
そのくぼみを側面から優しく閉じれば、中は柔らかく外側は並んで整ったシャリ玉になる。
意識と技が整い、そこから生み出された握りは、必然的にシャリが高くなりネタの庇が落ち、綺麗に巻くように整う。
藤本と言えば、昔からの客程、穴子と言うモノだ。
シャリとネタの間にまぶす柚子の風味がまた格別で、夏は青柚子、冬は黄柚子となる。
上にツメの味わいが、ここでしか味わえない甘さの福よかな広がりに品がアリ、飲み下す時の余韻の響きが一音も二音も高く透きとおり、鼻先にと抜けていく。
江戸前の寿司は、ネタとシャリのバランス。
ネタが新鮮で大きいだけの見た目重視ではダメ。
シャリも、上品の極みみたいに小さい南京豆程度ではダメ。
おお、そうだ、オメーさん、あっちこっちの寿司屋に顔が効くようだが・・・、
どんなに名店とおだて揚げられている店でも、「手渡し」をしてくる店は下の下だぞ。
江戸前寿司と言うモノを食う客は、鳥の子でも犬っころでもネーんだよ。
ましては、職人はテメ―のかぁーちゃんでもネーんだ。
寿司って言うモノは、最初にその立ち姿で圧倒される「歌舞伎の見得」を味わうモノ。
見得は、流れを強引に堰止めることで、いっそう強く激しい感情を表現しているワケだ。
見得の無い歌舞伎が歌舞伎じゃネーように、
トンと白木に置かれて「見得をきれない」寿司は・・・寿司じゃネーんだよ。はっはっはっ』
・・・。
・・・昔の粋な大人達は、お酒の席でも乱れ無く名調子で、ひよっ子にもならないオイラにも話しかけてくれた。
お店のルール、そこに行きつくまでの客の心得、ひいては金の手放し方・・・とか♡
四代目のお寿司も、何十年後は伝説となり語り継がれていくものと「信頼」している。
ははっ~♡
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
チョットだけ・・・~♡
私は、味覚の原体験と言うか、子供の時に「美味しい」と食べたモノがいまだに残っているタイプ。
お寿司と言えば、「まぐろ」で、お刺身と言えば「まぐろ」の一択派。
時代と言うのか、養殖のマグロが出回る頃には大人になっていて、「天然まぐろ」との味わいの違いに目を白黒させた・・・りもした。
小学生の娘は、寿司ネタで好きなトップ3が、サーモン、鯛、えんがわ と、子供っぽいのか通なのか判断が迷うラインナップ・・・。
・・・でも、チョットだけイロイロと考えた時に、「あれ? もしや養殖・・・の味わい?では?」と感じてしまった・・・。
魚全般に感じる、天然の方は固くて少し生命の青さを感じ、養殖の魚の方は角が無く身が柔らかく、人的配合飼料で育ち、あまり味に魚の主張が少ない・・・。
天然を有難がる風潮で育った私だが、子供の時から養殖の優しい味わいに慣れ親しんでいくと、美味しさの基準が世代によって変わるのが当たり前となっていくかも?、と・・・チョットだけホンのちょっとだけ寂しい気持ちにもなったりする。
天然の魚の美味しさをなんとか伝えていきたいなと思っても、時代の変化には抗えないのかもしれない・・・。
寿司とは、こういうモノだ・・・とか、こうアルべきだ・・・とか、言う前に、何か見落としている気が強くする。
人それぞれ、「美味しい」に対して見る角度は違うと思うが、基準となる「本来の味」に統一感が無いと、もしかして「食の歴史」は、・・・ドコかで途切れてしまうのかもと、ここでもチョットだけ不安になったりする。
本マグロ。
天然モノは、生命力が力強いが、味わいは極めて繊細。
垂らす醤油で、その全体像が変わるほど微細で透き通っている。
醤油も、まぐろの香りが引き立つようなモノが合うと感じ、再仕込醤油、溜醤油を中心に濃口醤油をイロイロと試す面白さがあったりもする♡
「味」の話をすると、結局は「香り」の話に行きついてしまう・・・。
単純に、鮮度が同じなら、天然モノと養殖モノは「香り」が全然違う。
「本まぐろ」なら、更に醤油を付けた時の「味わい」の抜ける「香り」が、天然モノと養殖モノと全然違う。
そんな違いを私は「味の楽しみ」と育ってきたが・・・、
娘達は、これから何を「味の楽しみ」として行くのだろう・・・。
大人として、何を伝えていくべきが・・・一年の反省を込めて・・・イロイロと考えたりする~♡
ははっ~♡