『ode to my dear witch -chapter 1-』さむそいぽさんの日記

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さむそいぽ (50代後半・男性・東京都) 認証済

日記詳細

会話には、戦い、という側面もあるのではないか、と自分の経験からも思います。

この方とならワクワクするような会話をできるのではないか、
という方と硬軟取り混ぜてお互いしゃべり倒していた時間は、
時間を忘れてしまうほどに本当に楽しいものでした。
たいていの方は何度も会ってくれたりしたので、
多少は楽しんでくれていたのだと思います。

でも、時にはズタズタにされてしまうことがあり途方にくれます。
なにくそ、と奮起して、今度はなんとかついていこうと思っても、
付け刃ではどうにもならないことも多くありました。

逆にズタズタとまでいかなくても、傷付けてしまうこともありました。
しかしこの場合、振り返ると自分が虚勢を張っていて、
不用意な発言をしたりしていました。

戦いには武器が必要です。
いつ何時でも対応できるよう、手入れを怠ってはいけません。
武器を扱う体力も必要です。
そして武器をアップグレードしていくことが必要です。

これは会話においてはどういうことか、
当たり前ではありますが、いつ何時どういう人とでも会えるよう、
自分を磨いておく、ということが必要だ、
ということではないでしょうか。

戦いには、戦わない、という戦略がある、と言うより、
その戦略をとることが多いのではないか、と思います。
武器はそれぞれ威力が違います。
赤子をひねるように勝ってしまうことがわかるときに、
わざわざ戦うことをするでしょうか。
逆に、そういうときに戦いを挑まれたら、
武器を収めるよう、いさめることもあるでしょう。

そして、結局戦うのはやはり同じような戦力の人、
となるのだと思います。
ということは、弱いままだと相手も弱い人ばかり、
強くなればどんどん強い相手と戦うことができるのかもしれません。

会話、という題材の場合、
負けることのメリットは、負けた人が負けたと自ら認識し、
さらに強くなれるよう、努力することではないでしょうか。
たいていの場合、会話における戦いの勝利とは、
お互いが勝利すること、なのかもしれません。

一方、相手の力量がわからないケースが多くなり、
会話とは、鏡を持って相手に向き合うことではないか、
とも感じてきています。

相手が大きな鏡を持って自分の全身を映してくれると嬉しくなります。
しかしその時相手は何をしているか、
重たい鏡を一所懸命支え、かつ見やすい角度に調整してくれているのです。

その時自分は何をしているのか、
小さな鏡を適当に振り回しているだけかもしれません。
楽しかったなあ、と思っても、相手は次回会ってくれるでしょうか。

やはり、まずは重たい鏡であっても
相手を映し出すことに注力したいものです。

いずれにせよ、さあ今その会話に臨む、というそのとき、
やはりその時点までに考えたことしかでてきません。
ということは、考えたことがない題材では会話にならないのです。

結局のところ、考えたり調べたり、を愚直に続けていくしかない、
というのが現時点での考えです。
ただし、方向性の間違った努力は意味がありません。
視野を広げたり狭めたりしながら、ということも
常に考えることが必要なのかもしれません。

ツールその1「言葉会話」を一つの題材として、
これを書いている時点でやっとここまで考えたことを書いてみました。
しかし、これは結論ではないでしょう。
結論とは、もうそれ以上検討の余地がないことです。
どういうことであれ、その時考えていることは、
あくまでその刹那の考えでしょう。
これ以上考える必要はないという地点、
そこまで人生の目標に近づいている人はいるのでしょうか。

なんてことないことしか書けていませんが、
文章にすることでしか考えをまとめられないので書いてみました。

ツールその2とその3は、自分の経験に照らし合わせて、
いったいどう解釈したらいいのか、今のところ見当がつきません。
その3はジェンダーによっても解釈が異なる問題なのでしょうし、
ここで書けるようなことではありませんが、
視点として考えたことがなかったので、
掘り下げていくのも面白いだろう、とは感じました。
その2については、幽体離脱しそうなほどに魂が揺れ動いている時にでも
果たして自分以外の方を受け入れる余裕があるのか、
でもそこまでできるのが本当の人付き合い、というものかもしれません。

感情のやりとりとは、こういうものなのか?
と思い起こした事例を書いてみたいと思います。

もうだいぶ前のこと、
当時はしばしば映画館で映画を観ていましたが、
見逃した評判のいい映画をDVDで観よう、ということになり、
レンタルして当時の彼女の家で一緒に観始めました。
最初は雑談とかしながら観ていましたが、
次第に口数が少なくなり、そのうち彼女は部屋の電気を消しました。
そして、映画を観ながらもわたくしの近くを離れ、
特に必要のあるわけではない簡単な家事をはじめました。
ですから、わたくしは涙を流すことを隠す必要はありませんでした。
そして映画が終わると彼女は一言も発することなく、
ベッドに入り寝てしまいました。
わたくしもそうでしたが、彼女も自分の揺れ動く感情の状況で
他人がいることに戸惑いがあったのでしょう。
しかし、お互いに何も会話を交わさなくても
お互いの気持ちがわかっていた、とは思います。

ちなみにその映画は「遠い空の向こうに」といいます。
この映画のことを思い起こすだけで、
鳥肌が立ち、涙が出てきます。

とりあえず、以上です。
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