こんな報道がありました。
「自ら神のごとき口コミに迷惑」 居酒屋が「食べログユーザー」を出禁に
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191003-00000011-jct-bus_allその通りだなあ、と感じました。
そもそも、ネガティブ投稿をしても何の意味もないのです。その理由を2点、書いてみたいと思います。
まず、レビュアーとして多くの方々には参考にならないということを露呈しているに過ぎないからです。上記記事に「自ら神のごとき~」とあります。そう、神と言うより閻魔かもしれませんが、お店に対して駄目出しをしているわけですが、そもそもきちんと営業している(つまり多くのお客さんが来られている)お店に対してネガティブ投稿をする、ということは、多くの方々が何度も通ってよかれと思っているお店を否定しているわけですから、マイノリティになるわけです。つまり、自分の舌が多くの方々とは異なる、ということを一度訪問しただけで自ら証明しているわけです。レビューを読むのはほとんどの方がマジョリティ、一般的な舌の持ち主ですから、例え神の舌だとしても自分達と異なるマイノリティの舌を信用できるわけがありません。
そもそも、食べログのレビュアーというものになってみると、どうも偉くなったような気がします。しかし、とてもマイナーな存在である、ということに気付くべきです。以下の内容で気付いていただけるでしょうか。
全国のお店の中でもっとも口コミ件数が多いお店で約2,000件の口コミしかありません。しかしそういったお店は一日でそんな人数軽くさばいてしまうことでしょう。そして、数件しかレビューがないお店でも繁盛店はいくらでもあります。つまり、何年も営業しているお店のほんの一日の客数よりレビューの数は少ない、それが実態なわけです。パーセンテージもものすごく小さくなりますよね。そんなマイナーな存在でしかないレビュアー、お店に貢献できないまでも、せめて迷惑はかけないようにすべきでしょう。
ちょっと横道にそれますが、一度の訪問ではなく常連だとしても、そのお店の売り上げにどれだけ貢献できているでしょうか。簡単に計算すればわかりますが、一人でパーセントオーダーに乗るなんてことまずないと思います。ですから、仮に常連だとしてもお店に対する貢献度合いは自分が思うよりはるかに小さいのです。
なのにお店の方々はやさしいですよね。とてもよくしてくれますよね。たぶん自分と同じ程度の貢献度の常連は数百人もいるのに、そんなによくしてくれるって、お店側がそれだけの方々を覚えている、という努力に敬意を払うべきです。自分が特別な客だ、ということはほとんどないのです。
話を戻します。どうしてもネガティブ投稿をしたければ、「フォロワーのみ」の投稿とすべきでしょうね。食べログがレビューサイトと言うよりSNS的存在になっている今、レビュアーどうしでしか見えない世界でネガティブ投稿をして、そのお店に行かないようにする、せいぜい許されるのはそこまででしょう。その投稿を読む人数が行くのをやめてもとてもとても小さな割合ですから、お店に迷惑をかけることはありません。
次の理由は、全くお店のためにはなっていないからです。レビュアーとしては「ここを改善してほしい、という指摘はきっとお店の役に立つ」と思い込んで書いているのでしょうけれども、残念ながら思い込み違いで、全くお店のためには役に立っていません。お店としては面と向かって言ってほしいはずです。ネガティブ投稿は臆病クレーマーの戯言にしかなっていません。なぜでしょうか。それは、口コミとして意見を書いても、それがいつの料理に対して誰が感じたことなのかがわからないからです。その場で意見を言ってもらえれば、料理そのものが目の前にあったり、そうでなくてもさっき作ったものであったりで、お店側もどういうものかがわかりますので、それに対する意見が何を意図しているかもわかるでしょう。でもそれがわからずに指摘をしたつもりになっても、それは料理というものが一つとして同じものがない、ということを理解していないことを自ら証明しているに過ぎません。それからもう一つ、どういう方が指摘をするのか、これはとても重要です。どういう年代の方か、性別は、シチュエーションは、そういった諸々がその場で指摘してもらえれば改善のための糸口がつかみやすくなりますし、逆に無視していい意見かどうかもわかります。後者はお店のエゴと思うかもしれませんけれども、若者をターゲットにしてガツンとした料理を提供しているのに、お年を召された方に「もっとあっさりした味付けがいい」と言われても、その通りにする必要はお店としてはないわけですから、そういった見極めもできるわけです。
というわけで、ネガティブ投稿は、お店のためにもならないですし、レビュアー自身の品位を落とす可能性もあるので、まったく意味がなく、すべきではないことと考えます。
ただ、最近は例外があると思っています。お店の姿勢として、きちんとした料理(やお酒)を出していない場合です。今回はこのケースについてあまり書くつもりはありませんが、一つのお店として長く続いているわけではない、ということは確かなようです。