goodmanKobaさんが投稿した吉平(東京/築地)の口コミ詳細

レビュアーのカバー画像

goodmanKobaのレストランガイド

メッセージを送る

この口コミは、goodmanKobaさんが訪問した当時の主観的なご意見・ご感想です。

最新の情報とは異なる可能性がありますので、お店の方にご確認ください。 詳しくはこちら

利用規約に違反している口コミは、右のリンクから報告することができます。 問題のある口コミを報告する

吉平築地、築地市場、東銀座/とんかつ、揚げ物

7

  • 昼の点数:5.0

    • ¥3,000~¥3,999 / 1人
      • 料理・味 5.0
      • |サービス 5.0
      • |雰囲気 5.0
      • |CP 5.0
      • |酒・ドリンク 5.0
7回目

2026/01 訪問

  • 昼の点数:5.0

    • [ 料理・味5.0
    • | サービス5.0
    • | 雰囲気5.0
    • | CP5.0
    • | 酒・ドリンク5.0
    ¥3,000~¥3,999
    / 1人

築地の吉平にて、ロース100とメンチかつとハムかつを

1月下旬の築地。
冬の空気は薄く澄んでいて、街全体が冷蔵庫の中みたいにきりっとしていた暖簾をくぐると、そこはいつもの揚げ油の宇宙。衣が弾ける音は、遠い星で起きる小さな爆発のように規則正しく、そして優しい。

僕が選んだのは、ロース100。そこに、メンチかつとハムかつをトッピング。文字にすると少しやりすぎに見える。でも、音楽で言えばベースとドラムに加えてホーンセクションを入れるようなものだ。厚みは出るが、芯はぶれない。少なくとも、そのつもりだった。神田以来、久しぶりのメンチとハム。皿の上に並んだ三つの揚げ物は、冬の午後の太陽みたいに黄金色で、それぞれが自分の光を持っている。

まずはメンチかつ。
箸を入れた瞬間、肉汁が内側から溢れ出す。それはまるで、ミンチにされてもなお失われなかった肉の誇りが、最後の抵抗を見せているみたいだ。噛むと、ぎゅっと詰まった肉の密度が押し返してくる。柔らかいのに、軽くない。脂は甘く、しかしだらしなくない。肉が「ここにいる」と主張してくる。

次にハムかつ。
厚切りのロースハムは、ただ衣を纏っただけなのに、別の人格を得ている。それは制服を着た優等生が、夜になるとジャズクラブでサックスを吹くような変貌だ。旨味が濃い。塩気が丸い。安心安全のハムというのは、こういうことだと思う。加工肉は出自がすべてだ。その素性の良さが、噛むたびに静かに伝わってくる。

そしてロース100。
君は、なんて懐の深い存在なんだろう。主役でありながら、決して出しゃばらない。二つの個性的なトッピングを受け止める、白いごはんのような包容力。赤身と脂身のバランスは、昼と夜の境界線みたいに穏やかで、どちらにも寄りすぎない。ロースの一切れをごはんにのせる。その上に、わさび。さらに抹茶塩をひと振り。抹茶塩は、まるで春を先取りした粉雪だ。緑色の粒子が肉の上で静かに溶け、味の輪郭を一段くっきりさせる。脂の甘みが、少しだけ背筋を伸ばす。

メンチとハムを十分に楽しむためには、やはりこのロース100が必要だ。ベースラインのないソロは、どこか落ち着かない。ロースはリズム隊だ。静かに、しかし確実に全体をまとめる。最高の組み合わせじゃないか、と心の中で自画自賛していたら、よく会う常連さんが、まったく同じ構成だった。僕たちは特に言葉を交わさない。ただ、皿を見て、少しだけ笑う。偶然というより、必然に近い。同じ方角を向いている人間は、だいたい似た選択をする。

味噌汁をすする。ごはんをかき込む。揚げ物の油と米の甘みが、体の中でゆっくり混ざっていく。

外の築地は相変わらず人で溢れている。でも暖簾の内側では、時間が少しだけ柔らかい。ロース100にメンチとハムかつ。三位一体というより、静かなトリオだ。それぞれが違う旋律を奏でながら、最後には同じ余韻に着地する。食べ終えた皿の上には、金色のパン粉の欠片が残っている。それは、ささやかな勲章みたいだった。

また来よう、と自然に思う。こういう確信は、言葉にしなくても身体が覚えている。冬の午後、築地。揚げ物の湯気の向こうで、僕は少しだけ満ち足りていた。

#吉平
#吉平TONKATSU

2026/02/15 更新

6回目

2026/01 訪問

  • 昼の点数:5.0

    • [ 料理・味5.0
    • | サービス5.0
    • | 雰囲気5.0
    • | CP5.0
    • | 酒・ドリンク5.0
    ¥4,000~¥4,999
    / 1人

築地の吉平にて、リブロース200を。

先週に引き続き、今週もリブロースだ。理由は特にない。ただ、そうするのが自然だった。お気に入りの曲を、続けて聴いてしまうようなものだ。二度目だからといって感動が薄れるわけではない。むしろ、耳は細部に向かう。

お店は相変わらず忙しい。次から次へと人が現れ、暖簾の向こうで時間が圧縮されていく。厨房は、静かな戦場のようだ。無駄な言葉はなく、動きだけが正確に積み重なっていく。

僕はいつものように、心の中で「わさび」と唱える。そして、声に出す。「わさびでお願いします」。

だが、皿の上にそれはなかった。

不在、という言葉が一番しっくりくる。忘れられたというより、今日はここにいない。そんな感じだ。忙しさという大きな波の中で、わさびは静かに沖へ流れていったのだろう。

店長に声をかけようとする。しかし、そのタイミングが見つからない。人の流れが、絶え間なく割り込んでくる。まるで、踏切の向こうに知り合いを見つけたのに、電車が何本も続けて通過していくような状況だ。

まあ、いいか。
今日はこれでいこう。

岩塩。
からし。
そして、そうだ、レモンもある。

選択肢が減ったようで、実は増えている。そんな瞬間が人生にはある。わさびがない分、他の味が前に出てくる。スポットライトを譲り合う舞台役者のように、それぞれが自分の役割を思い出す。

リブロースは、何も気にしていない顔でそこにある。衣は軽く、音を立てて崩れ、肉は静かに湯気を上げる。脂は相変わらず甘く、赤身は芯を失っていない。わさびがいないことなど、この肉にとっては些細な出来事なのだ。

岩塩で食べると、味は水平線のように広がる。からしを添えると、少しだけ風向きが変わる。
レモンを搾ると、午後の光が差し込む。

それぞれが違う方向を指しているのに、最終的には同じ場所に着地する。その感じが、なんだか妙に心地いい。

浅草橋時代のことを思い出す。
あの頃も、わさびを頼んで、のっていなかったことがあった。店内には独特の緊張感が漂っていて、「わさびください」という一言が、必要以上に重く感じられた。声を出す前に、何度も頭の中でリハーサルしたのを覚えている。

築地に来てからは、そんなことはない。
店長は優しく、こちらの存在をきちんと見てくれている。ただ、今日は本当に忙しかった。それだけの話だ。

最初にコールせず、後からのわさびオーダーは有料だ。ルールはルールとして、そこにある。分かっている。それでいい。世の中は、そういう細かい取り決めの上に、案外うまく成り立っている。

ごはんと味噌汁は、今日も変わらず美味しい。
それは慰めではなく、事実だ。主役が少し予定を変えても、脇役は自分の仕事を淡々とこなす。その安定感が、食事全体を支えている。

食べ終えたとき、少しだけ思う。
今日は、わさびがなくてよかったのかもしれない、と。

欠けたピースがあることで、見えてくる全体像もある。完璧ではない昼食。それでも、いや、だからこそ、記憶に残る。

店を出ると、築地は相変わらず人で溢れている。わさびは最後まで現れなかったが、不足感はない。むしろ、少しだけ余白が残った。

その余白を抱えたまま、僕は次の土曜日のことを、なんとなく考えている。

#吉平TONKATSU
#吉平 

2026/01/31 更新

5回目

2026/01 訪問

  • 昼の点数:5.0

    • [ 料理・味5.0
    • | サービス5.0
    • | 雰囲気5.0
    • | CP5.0
    • | 酒・ドリンク5.0
    ¥4,000~¥4,999
    / 1人

築地の吉平にて、リブロース200を

新年という言葉は、まだ少しだけ角が立っている。正月は過去になり、日常は完全には戻りきっていない。その中間地点のような日に、僕は築地へ向かった。

2025年最初のリブロース200。それは「何を食べるか」という問いではなく、「どう一年を始めるか」という確認作業に近い。派手なスタートダッシュではなく、足元を確かめるための一歩。僕はそういう始まり方が好きだ。

土曜日の吉平は14時オープン。そして土曜日は記帳制だ。名前を書き、時間を預ける。並ぶ必要はない。店の前に自分を縛りつけなくても、きちんと順番は守られる。この仕組みが、今の僕の生活に驚くほどよく馴染んでいる。

午前中は娘の塾の送迎がある。時間は細切れになり、気づけば昼を過ぎている。そんな土曜日に、14時という開始時刻と記帳制は、「焦らなくていい」とマスターが言ってくれているようで、少しだけ肩の力が抜ける。

時間になり、暖簾をくぐる。自分の名前は、すでにそこにある。この感覚は、コートをクロークに預けたあと、手ぶらで会場に入る感じに似ている。余計な荷物も、余計な緊張もない。

赤星と小さなつまみ。泡はすぐに消え、味だけが残る。無駄な前置きのない文章のようで、喉をまっすぐに通り過ぎていく。

そして、リブロース。

皿の上のそれは、完成された風景画のようだった。衣はきつね色というより、冬の午後の光に近い色をしている。主張しすぎないが、目を逸らすことも許さない存在感がある。

箸を入れると、衣は軽い音を立てて割れ、肉の断面が現れる。脂と赤身の境界線ははっきりしているが、そこに対立はない。長い時間を一緒に過ごしてきた二人が、同じソファに自然に座っているような距離感だ。

まずは岩塩。脂が舌の上で、ゆっくりとほどけていく。その甘さは丸く、角がない。長年使われてきた木製のテーブルのように、触れるほど安心感が増していく味だ。

わさびを乗せると、味は一段、輪郭を持つ。脂の甘みと肉の力強さが、別々の方向から同じ結論に向かってくる。まるで同じ物語を、異なる翻訳で読んでいるような感覚だ。どちらも正しい。

からしを添えると、少しだけ野性味が加わる。
舗装された道から一歩外れた、砂利道の感触。荒さはあるが、それが逆に心地いい。

ごはんと味噌汁は、特別に美味しい。この日だけそう感じたわけではない。味噌汁は、確実に日々、美味さを増している。一口すすった瞬間、出汁の輪郭が、以前よりもはっきりしていることに気づく。派手な変化ではない。音量を上げたのではなく、解像度が上がった感じだ。雑味が削られ、必要な音だけが前に出てくる。味噌の香りは丸く、温度は正確だ。それは偶然ではなく、毎日そこに立ち続けている人の手の記憶なのだと思う。同じ動作を何度も繰り返すうちに、無駄が消え、結果として「静かに美味しい」という地点に近づいていく。

ごはんもまた、明確に美味しい。粒は立ち、揚げ物の油を受け止めながら、口の中を一度まっさらにしてくれる。主役を引き立てるための存在でありながら、自分が手を抜かれていないことを、きちんと主張している。

もしリブロースが物語の主人公だとしたら、
このごはんと味噌汁は、読み返すたびに重要さが増していく地の文だ。一度目では気づかないが、通い続けるうちに、「ああ、ここがあるから全体が成立しているのだ」と分かってくる。

食べ終えたとき、皿の上には何も残らない。満腹でもなく、不足でもない。ただ、きれいに整ったという感覚だけがある。

店を出ると、築地の街は相変わらず少し騒がしい。けれど、時間を預け、きちんと受け取ったあとの自分の内側は、驚くほど静かだ。

2025年最初のリブロース。それは景気づけではなく、確認だった。この場所が変わらず存在していること。そして自分が、それを必要としていること。

土曜日14時。記帳制という、ささやかな仕組みの中で、生活と吉平は無理なく噛み合っている。それだけで、新年はもう十分に始まっている。

#吉平
#吉平TONKATSU

2026/01/18 更新

4回目

2025/12 訪問

  • 昼の点数:5.0

    • [ 料理・味5.0
    • | サービス5.0
    • | 雰囲気5.0
    • | CP5.0
    • | 酒・ドリンク5.0
    ¥4,000~¥4,999
    / 1人

築地の吉平にて、リブロース200を

12月末日。一年という長い物語が、静かに最終章へ向かっていく、その途中にある日だった。派手なクライマックスはない。けれど、読み終えたあとに、確かな手触りだけが残る。そんな終わり方を、この日は選びたかった。

今年最後の吉平。締めはリブロース200。それは選択というより、確認作業に近い。ここに戻ってくる理由が、今も変わっていないかどうかを、自分自身に問いかけるための。

開店1時間20分前に到着する。外はしっかりと寒い。冬は、自分が冬であることを隠さない。だが店は、待つ人のための場所があり、時間は穏やかに流れている。雨風をしのげるかどうかではなく、「安心して待てる」という事実が、ここにはある。

角ハイを飲みながら、ぼんやりと今年を振り返る。吉平が復活した一年。それは、壊れたままだと思っていた時計が、ある朝ふと正確な時を刻み始めた、そんな出来事だった。世界は、修復可能なのかもしれない。少なくとも、この場所に関しては。

そう考えているうちに、あっという間に開店時間になる。待つという行為は、意外なほど時間を短くする。マスターと店長の動きを眺めながら飲む赤星は、余計な泡のない言葉のようで、喉をまっすぐに通り過ぎていく。

そして、リブロース。

皿の上のそれは、何度も見ているはずなのに、毎回きちんと新しい。衣は軽やかで、均一で、どこにも破綻がない。切り口から覗く肉は、過剰な色気を持たず、ただ「自分はリブロースです」と静かに名乗っている。

まずは岩塩。脂身が、ゆっくりとほどけていく。甘さは前に出すぎず、しかし確実に舌に残る。それは、長く使い込んだ革製品の手触りに似ている。派手ではないが、信頼できる。

わさび醤油に切り替えると、味は一段、輪郭を持つ。脂の甘みと、肉の力強さが、別々の声で同時に語り出す。まるで同じ物語を、昼と夜で読み比べているような感覚だ。どちらも正しい。どちらも、欠けてはならない。

ごはんと味噌汁は、この日だけ特別に美味しいわけではない。むしろ逆だ。いつ来ても、変わらず美味しい。その事実こそが、何よりも雄弁だ。ごはんは粒立ちがよく、味噌汁の出汁は、必要なことだけを、正しい音量で伝えてくる。何年も前から、同じ場所で、同じ完成度を保っている。それは簡単なことではない。

食べ進めながら、ああ、今年は良い一年だったな、と自然に思う。劇的な出来事があったわけではない。ただ、大切な場所が、ちゃんとそこにあり続けた。それだけで、一年は十分に意味を持つ。

完璧に美味しい、という言葉は、ここでは誇張にならない。すべてが、正しい位置にある。

食べ終えたあと、来年の自分の姿が、ぼんやりと浮かぶ。きっとまた、何度もここに来るだろう。それは計画ではなく、習慣でもなく、もっと自然なものだ。呼吸に近い。

一年の終わりに、リブロースを食べる。それは区切りであり、同時に続きでもある。吉平は、そういう時間を、何も言わずに用意してくれる場所だ。

#吉平 

2026/01/05 更新

3回目

2025/12 訪問

  • 昼の点数:5.0

    • [ 料理・味5.0
    • | サービス5.0
    • | 雰囲気5.0
    • | CP5.0
    • | 酒・ドリンク5.0
    ¥4,000~¥4,999
    / 1人

築地の吉平にて、ちきんかつを

吉平のメニューには、確固たる秩序がある。だが、その秩序は完璧に閉じてはいない。ときどき、季節風のように、例外が吹き込んでくる。

大山鶏のちきんかつは、まさにその風だ。いつもそこにあるわけではない。むしろ、ない日のほうが圧倒的に多い。だからこそ、それは「選ぶ料理」ではなく、「出会ってしまう料理」になる。

土曜日の14時。築地の時間が、ほんの少し緩む。Xに投稿された「今だけちきんかつ予約」という短い一文は、海霧の向こうに灯るブイのように、静かに、しかし確実にこちらを呼んでいた。

僕はマスターにお願いして、ちきんかつを予約した。それは席を押さえるというよりも、天気の良さを前もって信じるような行為だった。しかも今回は、むね肉でお願いした。以前は、もも肉だった。安心感の塊のような選択だ。でもこの日は、例外の日だった。

吉平が不定期に出すちきんかつは、どこか控えめだ。大声で「特別です」とは言わない。ただ、黙ってそこにある。気づいた人だけが、少し足を止める。

運ばれてきた大山鶏のちきんかつは、主張しすぎない佇まいだった。衣は軽く、色は淡い。むね肉の断面は、静かな湖面のように落ち着いている。箸を入れると、思いのほか柔らかく、時間をかけて育てられたものだけが持つ密度を感じさせた。

岩塩で食べる。塩は、嘘をつかない。噛むほどに、鶏の旨みがはっきりと輪郭を持って現れる。もも肉とは違う。だが、劣ってもいない。方向が違うだけだ。これは、派手な会話ではなく、長く続く沈黙のような美味しさだ。

ここで、手作りのタルタルに手を伸ばす。それは市販品の賑やかさとは無縁で、必要なものだけが、正しい順番で並んでいる。卵のコク、ほどよい酸味、そして全体をまとめる静かな塩気。ちきんかつに添えると、むね肉の落ち着きが、一段階、外向きになる。まるで内省的な人が、ふと冗談を言った瞬間のようだ。

わさび醤油に切り替えると、風景が変わる。むね肉の静けさに、わさびの鋭さが一筋の光を入れる。醤油が全体をまとめ、味は一気に現実へと引き戻される。その瞬間、これは「また出会えるとは限らない味」なのだと、はっきりわかる。

今日はレバのパテも用意されていた。濃厚だが、重たくない。肝のクセは丁寧に角が取られ、バターのような滑らかさだけが残っている。これは前菜というより、思考を切り替えるための一口だ。ちきんかつへ向かう前の助走として、あるいは余韻を整えるための句読点として、実に正しい位置に置かれている。

吉平のちきんかつは、名物にはならない。不定期であることが、その存在理由だからだ。いつでも食べられるものではなく、たまたまその日に居合わせた人の記憶にだけ、静かに残っていく。

食べ終えたあと、僕は少しだけ時間を置いた。また来よう、とは思わなかった。「また出会えたらいいな」と思った。

吉平には、そういう料理が似合う。確約されないからこそ、忘れがたい一皿。土曜14時、大山鶏のちきんかつは、そんなふうに、僕の中にそっと居場所を作った。

#吉平 

2026/01/01 更新

2回目

2025/12 訪問

  • 昼の点数:5.0

    • [ 料理・味5.0
    • | サービス5.0
    • | 雰囲気5.0
    • | CP5.0
    • | 酒・ドリンク5.0
    ¥3,000~¥3,999
    / 1人

築地の吉平にて、ロース100を

築地の路地を歩いていると、東京という街が長年溜め込んできた記憶のようなものが、靴底からじわりと伝わってくることがある。吉平は、そんな記憶の奥にひっそりと差し込まれた、ひとつの安定した座標だ。

マスターから「今日はロース100がおすすめ」それは、長年レコード針を落とし続けてきたDJのように迷いがない。僕はその流れに身を任せることにした。人生の大事な選択の多くは、こういう瞬間にこそ正解が潜んでいる。

脂身の甘さを誇るリブロース。筋肉の密度で語られるぼーひれ。吉平では、どうしても皆が“アッパーな部位”に心を奪われがちだ。だが実は、この店の核心は、もっと静かな場所にある。それが「普通のロース」だ。

目の前に置かれたロース100は、まるで完璧なバランスで組まれた短編小説のようだった。衣はきつね色で、細かく、立体的。網の上に置かれた肉は、必要以上に語らないが、確信だけはしっかり持っている。

箸を入れた瞬間、音が違う。サクッというより、シュワッと空気が弾けるような感触。断面から溢れ出す肉汁は、自己主張が強すぎない。それでいて確実に存在を主張する。まるで、長年連れ添った相棒がふと見せる横顔のようだ。

驚くほどジューシーだ。そこいらのとんかつ屋で「ロース」と呼ばれているものとは、もはや別の言語で語られている。林SPFの持つポテンシャルは確かに高い。だが、それをここまで引き上げているのは、間違いなくマスターの揚げだ。温度、時間、油の機嫌。そのすべてを把握していなければ、この仕上がりには辿り着けない。

噛むたびに、肉の繊維がきちんとほどけていく。
脂は軽やかで、後味は驚くほど澄んでいる。それは、重たい言葉を使わずに深い話をする人のような味だった。

もちろん、アッパーな部位を狙うのも吉平の正しい楽しみ方だ。だが、このロースの旨さを知ってしまうと、吉平という店の輪郭が、もう一段くっきりと見えてくる。派手さの裏に隠れた、本質。静かなところに置かれた、決定的な一枚。

食べ終えたあと、僕はしばらく箸を置いたまま、何も考えなかった。それでいいのだと思った。吉平のロース100は、考えるための料理ではない。ただ、受け取るための料理なのだから。

またここに戻ってくる理由が、ひとつ増えた。
それだけで、この日のとんかつは十分すぎるほど、役目を果たしていた。

#吉平

2025/12/29 更新

1回目

2025/11 訪問

  • 昼の点数:5.0

    • [ 料理・味5.0
    • | サービス5.0
    • | 雰囲気5.0
    • | CP5.0
    • | 酒・ドリンク5.0
    ¥3,000~¥3,999
    / 1人

築地の吉平にて、リブロース200gを

吉平が戻ってくる。
それだけで、世界の色が変わった。

神田の吉平に最後に行った2023年8月のことを、僕は忘れたふりをして生きてきた。けれど本当はずっと胸の奥に刺さっていた。あの日の熱気、油の匂い、カウンター越しに見たマスターの背中。店を出るときに無意識に「また来ます」と言った自分の声までも、今思えば痛いほど鮮明だ。

その「また」が、いつまで経っても来なかった。店が静かに扉を閉じた瞬間、僕の中で何かがぽっきりと折れた。毎日の中で、言葉にできない“欠け”みたいなものができてしまい、それを直す術もなかった。

そんな2年間だった。



その沈黙を破ったのは、ある日の午後にふと開いた吉平のXだった。

「新店舗決定」

その文字を見た瞬間、心臓を鷲掴みにされたようだった。呼吸の仕方を忘れて、気づいたらスマホを強く握りしめていた。目の奥が熱くなって、胸の奥がぎゅっと締めつけられて、鳥肌が一斉に立ち上がった。

僕は自分でも驚くほど、吉平が好きだった。ただ好きだった、なんて軽いものじゃなく、生活の軸であり、週の終わりのご褒美であり、心を守る“家”みたいな存在だった。

浅草橋と神田の時代に、何度通ったかなんてもう思い出せない。数えようとしたことすらない。気づけば、生活の呼吸と同じリズムで、僕はそこに通っていた。

吉平は、僕の胃袋の一部であり、心の一部でもあったのだと思う。だからこそ、その喪失は大きく、その復活は、言葉にできないほどの救いだった。



復活の知らせから数ヶ月後、築地の吉平の暖簾をくぐった瞬間、胸の奥が勝手に震えた。

店内の空気、光、温度、木の香り。それらが一瞬で心の深部に流れ込み、閉じていた何かをそっと開いた。

そして、カウンターの向こうに立つマスターと店長。変わっていなかった。時の流れなんて、ふっと笑い飛ばすように。
ただそこに立っていた。その姿を見た瞬間、胸の奥の堰がきしんだ。

神田時代とはオペレーションが違う。だけど、二人が放つ“吉平のリズム”は、魂の部分でまったく同じだった。

店長の芯の強さが少し増したようで、マスターはいつも通り落ち着いていて、二人のやりとりは、懐かしさと幸福と安心をまるごと運んでくる。

その景色を眺めながら飲む赤星は、まるで失った時間を少しずつ取り戻していくような味がした。



2年間、僕は吉平を探していた。似た店を巡り、高い評価のとんかつを食べ漁り、時に希望を持ち、時に落胆しながら。

けれどどの店でとんかつが揚がる音を聞いても、どうしても吉平のマスターの姿が浮かんできた。

衣の繊細さ、油の温度を読む目、リブロースの脂の「甘さ」を最高潮に高める揚げ方。職人の背中には、誤魔化しの余地なんてない。

本物だけが持つ匂い、気配、説得力。僕が追い求めていたのは、まさにそれだった。そして今日、ようやく本物に戻って来られた。



皿の上に現れたリブロースは、ただの料理以上のものだった。見た瞬間、胸が熱くなった。

ひとくち噛んだ瞬間、堰が切れた。美味い、とか、柔らかい、とか、そんな単純な言葉ではまったく足りなかった。

「戻ってきたんだ」その事実が味となって舌に広がり、涙腺までまっすぐ届いてきた。

マスターの揚げる脂身は、世界のどこにも存在しない甘さだ。優しさと凄みと温度が共存した奇跡のような甘さ。わさびを乗せることで完成するというのも、吉平だけが到達した唯一の境地だ。

興奮で手が震え、気づいたらあっという間に完食していた。本当は、もっとゆっくり、ひと噛みひと噛みを胸に刻みたかったのに。でも次があると思うと、それでよかった。



吉平、
あなたの復活は、
僕の人生の一部を救ってくれました。

長い2年だった。
本当に長かった。

でも今日、はっきりわかった。
とんかつは単なる食べ物じゃない。
人生だ。
記憶であり、時間であり、感情であり、
時に支えであり、祈りのようなものでもある。

帰ってきてくれて、本当にありがとう。
どれだけこの日を待っていたか、
どれだけあなたが必要だったか、
ようやく言える気がする。

#吉平

2025/12/10 更新

エリアから探す

すべて

開く

北海道・東北
北海道 青森 秋田 岩手 山形 宮城 福島
関東
東京 神奈川 千葉 埼玉 群馬 栃木 茨城
中部
愛知 三重 岐阜 静岡 山梨 長野 新潟 石川 福井 富山
関西
大阪 京都 兵庫 滋賀 奈良 和歌山
中国・四国
広島 岡山 山口 島根 鳥取 徳島 香川 愛媛 高知
九州・沖縄
福岡 佐賀 長崎 熊本 大分 宮崎 鹿児島 沖縄
アジア
中国 香港 マカオ 韓国 台湾 シンガポール タイ インドネシア ベトナム マレーシア フィリピン スリランカ
北米
アメリカ
ハワイ
ハワイ
グアム
グアム
オセアニア
オーストラリア
ヨーロッパ
イギリス アイルランド フランス ドイツ イタリア スペイン ポルトガル スイス オーストリア オランダ ベルギー ルクセンブルグ デンマーク スウェーデン
中南米
メキシコ ブラジル ペルー
アフリカ
南アフリカ

閉じる

予算

営業時間

ページの先頭へ